ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

◆日本の神話と古代史と日本文化コミュの◆「葵祭」、上賀茂神社と下鴨神社の謎(一)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
◆「葵祭」、上賀茂神社と下鴨神社の謎(一)

◆◇◆葵祭(賀茂祭)、上賀茂神社と下鴨神社の謎

 京都の5月といえば、雅に京の町を巡行する京都三大祭の一つ葵祭が行われる。

 この祭りにはあまり知られることのない神秘的な神事が密かに執り行われる。

 それは葵祭(賀茂祭)で大変重要な「御蔭神事・御蔭祭」(明治初年までは御生<みあれ>神事と称していたが、御蔭の地で行われるところからこう呼ばれる)である。

 この神事は下鴨神社では真昼に、上賀茂神社では「御阿礼(みあれ)神事」を真夜中に、執り行われる。この華やかな祭りの裏でひっそりと取り行われる神秘的な神事とは何だろうか?

※御蔭祭(下鴨神社)は、葵祭に先駆けて行われる神迎えの重要な神事(神聖な儀)である。神職、氏子は葵の葉を身につけ、神馬に神霊を迎える御座をのせ比叡山の御蔭神社へと行列する。

 真昼、奥宮として鎮座する御蔭神社から、葵祭の神霊(賀茂別雷神の荒魂・あらみたま)を迎える神事(社殿内で神移し)が行われる。その様子は見学も拝むこともできない、神聖な秘儀である。

※御阿礼神事(上賀茂神社)は御蔭祭同様、新しい神霊を迎える儀式で、深夜、葵を身につけた宮司以下の神職が御阿礼所に設けられた神籬(ひもろぎ)の前で饗饌の儀を行い、奉幣の後、阿礼という榊の枝に神霊を遷す神事だ。

 今も古儀のまま一灯をも許さない浄闇の裡に宮司以下が神事を行う。この神事は神秘で何人の参拝も許さないため(最も神聖な秘儀のため)、非公開となっている。


スサノヲ(スサノオ)

コメント(859)

>>[819]

魏志の言う146年〜189年の倭国大乱は?
大乱とありますから、西日本全域を捲き込むくらいの43年間続いた大きな争乱だったのでしょう?そして魏志の記事によれば、「暦年王無し」とあります。よって神武から崇神(三世紀末)迄の平均即位年を20年から15年くらい(5年×8代=40年)に変更しないと年数が合わなくなりますよ?w
気をつけてネ?
しかも、しかも、107年より始まる倭国王帥升の系譜を使うならば、上記の神武より始まる九代の欠史八代の天皇間に、倭国大乱は起こった事にしないと年代合わせは更に苦しくなりますよ?w
そして崇神三世紀末で計算をお願いします。
>>[807]

外野は外野らしく、大人しくしていて欲しいですね?
>>[820]
倭国大乱は2世紀後半。
146年〜189年の倭国大乱など魏志は言ってない。
何言ってるんだおまえは。
>>[821]
>しかも、しかも、107年より始まる倭国王帥升の系譜を使うならば、上記の神武より始まる九代の欠史八代の天皇間に、倭国大乱は起こった事にしないと年代合わせは更に苦しくなりますよ?w

なにを言ってるんだ。
倭国大乱で卑弥呼登場だろ。
おまえは脳味噌の一部がカニ味噌なのか。
いやそんな高級なものでもないかもしれない。
>>[823]
>「信念」に基づく姿勢です。w

それ新興宗教と同じ。
>>[826]

新興宗教は一切如何わしき宗教?
それって大いなる偏見ですね?!w
現憲法の精神を真っ向から否定するとは!
如何わしいのは、一体何方でしょうか?!w
>>[824]

大乱は146年〜189年です!

何を言ってんだか、馬鹿馬鹿しのも程がある。
この数字は一般的にも認められている年代です。
>>[819]

>大和盆地で大変革があった時期

良く分かってんじゃないですか!?
そして私が何度も要求してきた事は、父君を裏切って迄、崇神が何故にこの様な大変革を為さねば為らなかったのか、或いはその変心の理由ですよ。また其れを可能成らしめた背景です。

これ等を是非とも凡愚な私に教えて下さいな? ミヤーンさん?
>>[816]

ホルス:隼神(両眼に太陽と月の目を持つ神

ソホル(ソウル)蘇の顔を持つ鷹(大鳳)或いは隼。 鳥族の末裔?
漁労と農耕の民の総称ですかね?

ホルス:名前の由来は、エジプト語で「顔」を意味する「ホル」をラテン語化した名前。または「上にあるもの」を意味する「ホル」が由来
>>[830]

ホルスとソウルとは何も関係ありません。
>>[828]
後漢書は同時代資料ではない。

魏志倭人伝
「其國本亦以男子爲王住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子爲王 名曰卑彌呼
其の国もまた元々男子を王として70 - 80年を経ていた。倭国は乱れ、何年も攻め合った。そこで、一人の女子を共に王に立てた。名は卑弥呼という。

これ以上でも以下でもない。
>>[829]
>>大和盆地で大変革があった時期

>良く分かってんじゃないですか!?
そして私が何度も要求してきた事は、父君を裏切って迄、崇神が何故にこの様な大変革を為さねば為らなかったのか、或いはその変心の理由ですよ。また其れを可能成らしめた背景です。

2世紀末の話なんだが?
なんで崇神と関係あるのだ、アホ。
関係あるとすれば神武、ニギハヤヒ。
>>[832]

何を言ってんだか?w
必要なのは、資料作成の年代ではなく、資料が示す正確な情報なんですよ!そしてその情報には、倭国大乱は146年〜189年の間と明確に謳っています。そして7、80年の数字も倭人からの情報だとすると、二倍暦のはずです。実際には約40年間と言う事になりますね。後の戦国時代と同じです。
>>[831]

私が言っているのは、ホルスではなく、ソホルです。つまり「蘇のホル、蘇の顔」と言う意味ですね。訛って今日の「ソウル」ですよ。ホルはエジプト語で「顔」を表す単語だそうです。
>>[834]
>そしてその情報には、倭国大乱は146年〜189年の間と明確に謳っています

だから後漢書より同時代資料である魏志の方をまずみるべきという話だ。
146年〜189年なんてそんな具体的な年代が出てくる方がおかしい。
どっちにしても2世紀末には卑弥呼は畿内にいた。
葛城鴨王朝にヒミコもトヨもいる事を認めながら、
ヒメタタライスズもアマトヨツも直視できないおまえは歴史語る資格はなし。

論外だ。
>>[833]

二世紀末に大和で起こったのは、大変革等ではなく、政治体制の後退なんですよ。女の子を女王に立てる何て事は一時代前の政治体制です。旧態依然とした古い政治体制の事です。
こんなのは、到底大変革何て言えません!
倭国の統一へ向けた大変革が実行されたのは、三世紀末のハツクニシラスの称号を持つ崇神天皇以降の話ですよ。
もう、ソロソロ理解してくれても良い時期が来ているはずですがね?まだまだ…
>>[836]

三世紀初頭からの纏向の発展ぶりをどの様に説明するつもりでしょうか?説明して下さいな。
出雲王朝を仮にあったとすれば、やはりスサノオからということになりますね。
ホツマ伝より見ますと、出雲は根の国の一部でサホコチタル国と越根の国に別れます。
根の国はイザナギの父アワナギが治めていました。
アワナギの後、イサナギの兄弟のクラキネが治め、クラキネ → コクミ → タマキネ → カンサヒ → アメオシヒ の順に治め、アメオシヒの時、反乱を起こし、ツキヨミの子イブキヌシが派遣され途中、タカマを追放されていたスサノオを加え討伐します。

そのままスサノオが出雲に住み着いたようです。
スサノオはイナダ姫との間に
オオヤヒコ(イソタケル、和歌山県和歌山市、伊太祁曾 (イタキソ) 神社)
オオヤ姫(和歌山県和歌山市宇田森、大屋都比賣 (オホヤツヒメ) 神社)
ツマツ姫(和歌山県和歌山市、都麻都比賣 (ツマツヒメ) 神社)
コトヤソ(『旧事』事八十神)
オオナムチ
オオトシクラムスビ(奈良県橿原市石川町宮ノ本、大歳神社)
カツラギヒトコトヌシ(奈良県御所市森脇字角田、葛城坐一言主 神社)
スセリ姫
を産みます。

ヤマト、紀州に進出していたのでしょうね。
クシタマホノアカリテルヒコがヤマト下向していません。

オオナムチはスクナヒコナと共に国造りを行います。スクナヒコナはカンミムスビの子です。
この頃、タカギムスビとの関係が良好だったようで、オオナムチはオオモノヌシの称号を受けました。



>>[837]

>二世紀末に大和で起こったのは、大変革等ではなく、政治体制の後退なんですよ。女の子を女王に立てる何て事は一時代前の政治体制です。旧態依然とした古い政治体制の事です。
こんなのは、到底大変革何て言えません!


なにを興奮してんだこのボケ。
奈良盆地では、2世紀末に弥生時代の環濠集落が終わり、古墳や土師器の時代が始まる。
その土師器が九州、北陸、関東にまで広がる。
これは大変革だ。
そしてその中心に卑弥呼がいた。
どこが政治体制の後退なんだ、アホ。
>>[838]
纏向は吉備を中心とした瀬戸内の要素、つまり物部。
王権ではない。
何回も言わすなボケ。
>>[836]

神武から崇神迄の天皇系譜は、二世紀初めから三世紀半ばに掛けての天皇系譜です。そして神武から第四代天皇迄の都は確かに葛城だったと考えて良いでしょう。しかしその後倭国大乱を挟んで三世紀からは、王都は奈良の纏向に変わっているのですよ。そして王朝の主体者もスサノオの出雲から出雲系の尾張氏へと代替わりしているのですよ。そして卑弥呼や台与が活躍するのは、三世紀以降で纏向の都に於いてです。ヒメタタライスズ姫はこの場合無関係です。
そしてこの様な解釈が可能になるには、記紀神話の新たな解釈が是が非でも必要になるのです。出ないと貴方は絶対に私が描く様なストーリーを理解出来ないでしょうね。
>>[840]

アホ、ボケを盛んに発して興奮しているのは、貴方の方ですよ!w
私の特異な発送の源は記紀神話の解釈に在る、と何度も言ってきたはずです!記紀神話には史実が含まれていると何度も言ってきましたが、その事を貴方が耳に遺していないだけです。何故なら私の解釈は、貴方にとって気に食わない、しかも容認出来ない内容だからです。
例の“イザナギとイザナミそして火の迦具土神に纏わる話で、黄泉平坂の争いに関する話”ですよ。これこそが倭国大乱勃発と、その真の原因と為っているのです。記紀はきちんとこの辺りの事情を記述しています。

まぁ、しかし貴方はこれ等の話すら創作としているのですから、理解出来ないのもやむを得ないですがね。
>>[839]

出雲はスサノオの出雲だけではありません。原出雲とでも言える帝国はスサノオ以前から存在していたと考えています。大山積、大綿津見と言われる列島の主達ですね。彼等こそ八百万神々の主ですよ。スサノオもニニギも共に彼等との交流を先ず初めていますね。コノハナサクヤヒメ、チルヒメとの婚姻話がそれです。吉野や熊野の山々に籠る連中ですよ。

>>[841]

纏向付近に散在する100メートル級の三世紀初頭造成の初期前方後円墳を一体全体誰の墓だと考えているのでしょうか?

いやはや…
これ等こそ第五代孝昭から始まる欠史八代の天皇達の墓なのですよ。この王朝こそが三世紀初頭から始まる初期ヤマト王権です。
>>[843]
>私の特異な発送の源は記紀神話の解釈に在る、と何度も言ってきたはずです!記紀神話には史実が含まれていると何度も言ってきましたが、その事を貴方が耳に遺していないだけです。何故なら私の解釈は、貴方にとって気に食わない、しかも容認出来ない内容だからです。

この日本語自体が分からない。
記紀には史実が含まれてるのは当たり前なのだが、
自分だけがそれを言ってたかのような言い分は、
結局何を言ってるのか分からない。

であんたは何が言いたいのか。
卑弥呼とトヨが葛城鴨王朝にいるととりあえず認めた。
にもかかわらず、わしが言ってる人物2人から目をそらしてる時点でボロボロ。

また崇神が扶余になるわけもなし、当然ユダヤにもならないからね。
結局、自分が何を言いたいのか、自分でも分らなくなってるはずだ。

君は何が言いたいの?


>>[845]
>纏向付近に散在する100メートル級の三世紀初頭造成の初期前方後円墳を一体全体誰の墓だと考えているのでしょうか?

ウマシマジやヒコユキ。

>これ等こそ第五代孝昭から始まる欠史八代の天皇達の墓なのですよ。

ほらまたアホのくせに断定してる。
そんな事はどこにも書かれてない。
第五代孝昭と纏向古墳の要素である瀬戸内とは何も関係がない。
だいたい彼らは磯城にはいない。




>>[840]

「よく衆を惑わす」と魏志の記事にもある様に卑弥呼の政治は亀甲占いの、しかも誤魔化しに近い政治ですよ。故に崇神は宮中からそれ以前の神々を放逐したのです。彼は現実の政治を人間の知情意に基づく政治体制に戻したののですね。そしてこの体制を完成したのが八世紀の朝廷と言う事になります。
>>[844]
大山積は栃木、大綿津見は鹿児島の神様です。
>>[846]

良いですか?
葛城王朝はスサノオをトップとして第四代迄続いた後に倭国大乱が勃発してその王権は閉じてしまうのですよ。その間には卑弥呼も台与も存在していません。彼等が存在するのは、倭国大乱が終息した後の189年以降の事になります。故にヒメタタライスズヒメの存在等卑弥呼とは無関係となります。そして三世紀初頭から纏向で始まる初期ヤマト王権にはスサノオの姿は存在していないのですよ。王権の主体は既に尾張氏に変わっているのですからね。
貴方の考えは神武が倭国大乱後に纏向に侵入し、ニギハヤヒを倒して新たな王朝を葛城に開いたと言いたいのでしょう?そして其処にはヒメタタライスズヒメと呼ばれた卑弥呼女王が存在していた、と。その後第十代崇神天皇の時代にクーデターらしき物があって、政治体制が大きく変化した、と主張したいのでしょう?笑い
しかしご存知の通り神武以降の八代の天皇には事蹟が無い故に幽霊天皇と為ってしまうのですよ。故に系譜上第十代崇神天皇迄続か無いのです。
そして貴方の主張では、学者連中が主張する「欠史八代の天皇」の問題解決は絶対不可能となります。故に私は貴方の説を容認する事が出来ないのですよ。
>>[846]

卑弥呼と台与が葛城王朝に存在していた、とは申していません。卑弥呼も台与も尾張氏に属していたが故に結局は葛城にも属していた事になる、と文言の一部を訂正します。しかし実際にはスサノオの王朝には卑弥呼も台与も存在していません。彼等が存在する様に為ったのは時代が更に下った後の事です。
>>[847]

彼等は纏向で新たな王朝を開いていたのです。この王朝は三世紀半ば以降の開化朝迄続いています。そしてこのストーリーこそが欠史八代の問題を解決する糸口となる事が出来るのです。遺跡の状況とも合致します。無惨にも野晒しの数個の古墳群が彼等のお墓なのですからね。
>>[850]
>故にヒメタタライスズヒメの存在等卑弥呼とは無関係となります。

もうアホはだまっておけ、おまえは古代史に向いてない。
>>[852]
>遺跡の状況とも合致します

纏向遺跡の状況は筑紫、吉備、讃岐、播磨の要素だ。
それと欠史8代に何の関係があるのか。

もうおまえ邪魔、消えろ。
だいたい卑弥呼なんて短期間で何度も変えてるくせに、
そのつど偉そうに断定調で教え諭すような文章を書く。

自分の妄想は「〜と思います」と言えと何度も言ってるのに直らない馬鹿。

オオカミ少年も「オオカミが来るかもしれませんよ〜」なら問題ない。
むしろ良い子であった。

平気で嘘を言うから最後は住民に殴り殺されたのですね、確か。
違ったかな。

>[823] ポッキーさん>「信念」

ポッキーさんの信念と歴史の事実とは全くの無関係で相関関係はございませんので、ポッキーさんがいくらお吠えになられても、歴史の事実に干渉することはできません。
歴史書や偽書を基にしたファンタジー小説は、今は既にご不在のヨシムラさんと同様、WEB投稿サイトにでもちまちまと吐露してくださいな。ここは場所違いです。
ポッキーさん静かになってしまったぞ。

ログインすると、残り821件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

◆日本の神話と古代史と日本文化 更新情報

◆日本の神話と古代史と日本文化のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。