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現代人にも通用する仏教思想コミュの019-仏性と成仏

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 「一闡提(いっせんだい:イッチャンティカ、闡提「せんだい」と略す場合もあるようです。)」という仏教用語があります。仏典に出てくるのですが、ほとんどの方はご存じないのかも知れません。意味は、「成仏しない者」という意味ですね。まぁ言えば、悪行の限りを尽くして、嘘の人生を送ったあげく死んだ者。欲界の底に落ちてあがってこれない者とでもいいますかね。
 あるいは、「断善根(だんぜんこん)」と、言って善の根っこが切れてしまっている状態とか?「信不具足(しんふぐそく)」とも言って、信仰心をまったく持っていないのではないか?そういう者がいる。これはもう、悟ることも難しい、救いようもない者だ。おそらく、もう二度と人間には戻ってこないだろう。
 本当に仏教は、地獄に堕ちたものを救うことは出来ない宗教なのか?いやそうではない。というのが仏教の教えるところなんですな。釈尊在世時にも、悟りの縁がないものでも悟れることが出来ると、多くの説法がなされています。

 それはどういうことでしょうか?

 もう一つ仏教用語で「如来蔵(にょらいぞう)」という言葉があります。これは、古代インドの言葉では、「タターガタガルバ」と言うんだそうです。この意味は、「タターガタ」とは如来のことで、「ガルバ」とは胎児のことです。つまり、「如来の胎児」という意味ですね。「人は、そりゃ〜仏様では無いけれど、お母さんのおなかの中にいる胎児のような状態なんだ。これから時間をかけて生まれて育ってくれば、きちんと大人になれるものだ。」つまり、時間がたてば普通の人間だって如来になれるはずだってことですな。

 なんか大変そうでしょ。(^_^;)

 これが、「仏性(ぶっしょう)」と呼ばれるものでして。いわゆる、仏の性質を万人が持っているということですね。

 しかし、このタターガタガルバという言葉が中国に入ってくると、「如来蔵」と訳されて、ちょっと違った意味へと変貌していったんですね。元々は「単なる胎児」だったんですが、「もともと、人間は、如来がおおいをかぶされて隠れて見えている。」というふうに解釈がされたのが間違いの元をつくったと言えるんですね。なんか、もみ殻を精米すれば、中の白い米が姿を現すみたいなふうに取られてしまうわけです。
 本来は、そんな簡単なものではないにもかかわらず。ほっとけば、成仏するみたいなふうに取られるようになったんですね。

 これが、日本にも入ってきました。

 ただ、この救いの言葉も・・・極端にとれば、「勉強なんかしないでいいんだ。遊んで暮らしていても、どうせ仏様になれるだから、好きなことをやっておけばいいんだ。」みたいな話になれば、こりゃ〜どうでしょうか?そこには、修行のかけらもないし何のために頑張らねばならないのか意味がないですね。

 これでは、大泥棒も殺戮者もお釈迦様と変わりがないことになってしまいます。

 仏教では、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」という革命的な宣言をしています。これは、誰にでも「仏性」があると宣言しているわけでしてね。誰でも悟れる根っこがあると宣言しているのと同じことなんですが・・・しかし・・そこには、「条件」があるということが、どっかにすっ飛んでしまえば、おかしげなことになります。

 仏教は、この「成仏(じょうぶつ)」の方法として、さまざまな法門があります。大きく分けると「自力門(じりきもん)」と「他力門(たりきもん)」ですね。
 自力門は、自助努力によって悟りを得るということですな。何度も転生輪廻を繰り返しながら、だんだんに仏に近づこうとすることですね。
 もう一方の他力門は、すでに仏になっておられる阿弥陀如来に助けて貰って、もう生まれ変わらないで済むように「浄土(いわゆる天国ね。)」へ連れて行って貰うということですね。

 日本では、この他力門全盛ですが・・・少なくとも、仏教ですのでね。自力門の勉強もしなければ、仏教が目指している「人間完成の道」に近づけないのも確かです。

 (^_^)vhttp://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42692429&comm_id=4273190

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