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クラシックマジック研究コミュの『The Expert At The Card Table』

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アードネス(S.W.Erdnase)による1902年に刊行された本。
純粋にスライハンドによるカードマジックの本としてだけではなく、ギャンブラーによる世界初の本としても名高い。
今現在でもこの本をベストとして推奨する人もいる。
前編がギャンブルテクニック、後編がマジックを解説している。
巨匠ダイ・バーノンのみならず、ロス・バートラム、マーチン・ガードナー、グレート・トムソーニ、デビット・ウイリアムソン等々、この本の影響を受けカードマジックの魅力に取り憑かれた人は多い。

アードネス
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=8288516&comm_id=236730

ダイ・バーノン
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9097292&comm_id=236730

ロイヤルロードトゥカードマジック
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=8871361&comm_id=236730

関連コミュ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1417890

コメント(67)

harukoさんへ
なるほど。
自分もてっきり、大ハーマンと言われるアレキサンダーが始祖だと思っていました。
>お父さんがアシスタントやるように言ったそうです。
アレキサンダーのお父さんもマジシャンだったのですか?

つくだ煮さんへ
なるほど、それでカウフマンがかつてビデオ『オンザパス』においてハーマンパスがアレキサンダーである、と述べていたのはそのロターバーグ師の影響であったのですね。

さて、改めてワンハンドシフトを読んでみました。
どうも私の勘違いか、あるいは、トムソーニのオリジナルだったのか、やり方が違いました。
クラシックパスを片手で行う、ではなくてむしろハーマンパスを片手で行う、とでもいうべきかも知れません。
下半分を上にシフトするのです。しかもシャーリアパスと違いデックの右サイド(小指側)からなのです。
それにしてもオーティスの解説はありがたい。
今まで良く分からなかったオープンシフトやSWEシフトもなんか分かりかけて来たような…。
RYUSEIさん、

 ハーマンパスの定義について、会長に聞いてみました。
 ハーマンパスとは、下半分が上半分の下で半転し、つづいて上半分も半転することから、、、半転することにより、パスを見えなくするかたちが基本、と教わりました。定義したければ、「デックを半転させることにより見えなくなるパス」だろう、だそうです。

 ですので、インビジブルパスも、ターノーバーパスも、そのバリエーションはすべてハーマンパスのカテゴリーに入ります。

 ですが、スプレッドパスやアードネス・シフトは、回転しませんからハーマンパスの系列には属さないと考えるのが妥当だろう、だそうです。

 また、クラシック・パスと双璧をなすという考え方はなりたたない、とおっしゃっていました。
harukoさんへ
なるほど。
そこで原点に返らねばならないのですが、本来のホフジンサー考案のハーマンパスは、上記の定義どおりなのですか?
そしてそれが何の資料に残っているのでしょうか?
そして不思議なのは、なぜ、ハーマンパスという名前になったのでしょうか?
私も確認しました。驚き。
ホフジンサーパス: 過去にはハーマンパスとして知られていた
と書かれていました。

発案、あるいは改良した技法の数たるや、当てずっぽうに
何でもホフジンサーじゃないの?
と言っておけば当たってしまう程の勢いでした。

知らなかった事ばかり。。。
まあ、遅まきながら、歴史認識の変わる瞬間に立ち会ってるんだ
な〜と思う今日このごろです。

この雑誌、バックナンバー買っておいた方が良いかもですよ?
>つくだ煮さん

ああ。。。なんて凄い。
今で言うノヴァですね。CWで$12,000で売られている
ソレは、おそらくそのような感じの道具でしょう。
外観が美術品的すぎて、私が使うにはちょっとな道具ですが(笑)

「思った」カードをライズさせる、という演目を、
機械に頼らずに行いたい、というのは十数年来の私のテーマの
1つです。金魚(インク)のは、モダンマジックに解説
されていましたね。写真というか、図版を見られるという
事でしょうか。この演目は、現代でも十分に行えそうですし、
実際に道具も作られていてもおかしくなさそうですね。
つくだ煮さんへ
という事はハーマンパス、という名前がついたのはロターバーグ師の本からであり、そこにアレキサンダーハーマン考案である、とされていた、でよろしいのでしょうか。
そして今後はホフジンサーパスと言うべきだ、という事でしょうか。
やはり、マジッククリスチャン師の本が出てくるのが楽しみですね。
RYUSEIさん、
>アレキサンダーのお父さんもマジシャンだったのですか?
お父さんもマジシャンだったそうですよ!
お兄さんに習い、鳥の声帯模写でもあったそうです(o^∇^o)ノ
ちなみに子供は、16人。コンパース、アレキサンダーは、16人兄弟だったんですね!!
アレキサンダーのお父さんの名前は「サミュエル」だそうです。
16人の子供は、コンパースが一番上でアレキサンダーが一番下らしいです。
あと、”ハーマン”という名字は、本当の名前ではないみたいですね。
いくつか論議があるようですが、別の名前があるようです。

サミュエルは、旅まわりのマジシャンでカードが得意だったそうです。お兄さんからマジックや鳥の鳴き声を習い、アレキサンダーにも鳥の声帯模写を教えたそうです。
ハーマン家はマジシャン一家らしいですよ(^^)
どおりで当時、ハーマンの名前のマジシャンが多いわけですね。
後には、アレキサンダーの奥さんまでもがマジシャンになっています。
その後のハーマン一家はどうなったんでしょうね。

さて、アードネスの本に戻りますが、この本が大きく分けて二部構成である事は以前にも述べました。
じつは、もともとは第一部のみで出版される予定だったそうです。
その後、第二部を付け加えて正式に出版されたものだ、との事。
だから、『シフト』の項目が2つあるのか、とも思いました。
アードネスが記載していたパター(口上)をそのまんま現代でも使っているマジシャンがいます。
リッキー・ジェイです。
現代において最もショービジネス上成功したマジシャンの一人でしょう。
俗にいうマクドナルドエーセスをクイーンで行いますが、その時のセリフはアードネスから拝借しているのです。
実はこのリッキーさんの先生こそが、かのダイ・バーノン師なのです。
マーチン・ガードナー師が執念を持ってアードネス探しを始め、その最初の手がかりとなったのは、イラストレーターを見つけた事でした。
それまで本人が書いていたのであろう、と思われたイラストですが、違います。
スミス(M.D.SMITH)という人が、そのイラストレーターでした。
またガードナー自身がアードネスがアンドリュースである事をほぼ突き止めた頃、このアンドリュースが無学な人間である事に気がつきました。
しかし、アードネスの本自体を無学な人間が書く事は出来ないはずです。
じつは、ゴーストライターがいたようなのです。
イラストレーターのマーシャル・D・スミス。
彼を発見したのは1940年代の事だそうです。
そして彼を1949年のシカゴにおけるS.A.M.のコンベンションにはゲストとして招きました。
このシカゴこそ、スミス氏のホームタウンでもありました。
その時の苦労話はのちにエッセイとして発表されています。

当時、ガードナーだけではなく、カール・ファルブスもアードネス探しに躍起になっており、当時の写真や技法などを考察して『ポールベアラーズレビュー・クロースアップフォリオ#7』(1977)に発表しているそうです。
>1949年のシカゴにおけるS.A.M.のコンベンション
正しくは、1947年のようです。
この本が最初に出版された時、定価は二ドルでした。
この20世紀の初頭(日本においては明治時代)における二ドルはかなりの高価なものでしょう。
かなり高価なものであったのにも関わらず、版を重ねていきました。
例えば、同じ時代のマジックの本は大体一冊50セント(ロターバーグのカタログより)です。
つまり、通常のマジック本の4倍の値段がするほどのものだったようです。
今現在の感覚で言えば、一冊2万円くらいでしょうか。
やはり、高価なものです。しかし、ロス・バートラムなどはそれだけの価値は充分にあった、と述べていたそうです。
先日、ひっさびさに「マジックボーイ」を観たら、
ダニー少年が鞄に詰め込むシーンがありました。
当時、金庫操作の解法の入手に気を取られて、まったく気付かなかったです。

なんとも芸が細かい映画ですね。
え? 鞄に詰め込むってアードネスの本を、ですか?
そそ。
ジャグリングボールを3つ。アリスト(今はなき)デックいくつか。
手錠。金庫操作の解法。(TV初放映時の和訳)
そしてThe Expert At The Card Tableを鞄に詰めてました。
祖母の家を飛び出す冒頭のシーンです。

ミリフラが、素敵に見えるという唯一の経験をできたのが
この映画です(笑)

テロップを見ると、リッキージェイ以外にも
マークウィルソンやガルシアも絡んでいた模様。
んでもって、イリュージョンはジョンゴーン氏です。
やっぱり、リッキー・ジェイだからかな。

そう云えば、お父さん役のポスター(脱出王としての)、ある有名マジシャンがやってるんです。
日本ではあまり知られていないかも知れませんが、ハリー・アンダーソンです。
第一部のタイトルが“CARD-TABLE ARTIFICE"。
邦訳版では、「カードテーブルの技巧」となっています。
ARTIFICEは、具体的な工夫という意味があります。単なる技術編というわけではなく、実践から来るアードネスの智恵を加えた上での技術解説、と考えて良いでしょう。

第二部のタイトルが "LEGERDEMAIN"。
邦訳版では、単純に「奇術編」となっています。
LEGERDEMAIN、ってなんて読めば良いかご存知ですか?
レジャードメイン、って読みます。
この言葉自体は、機械仕掛けも含めて全てのマジックをさす古語ですが、本来の意味は、あくまでも「手」で行われる事に限定されます。
この言葉自体はフランス語から来ているのです。
“Leger de main"に由来し、「手の機敏さ」、文字通り解釈すると「手の光」、「光の手さばき」を意味しているそうです。
日本においてもマジックをかつては「手妻(てづま)」と呼んでいました。
これも「手は稲妻のように早い」という意味なのです。洋の東西を問わず、マジックに対する認知が同じである、という点に面白みを感じます。
アードネスがあえてレジャードメインという言葉を用いたのには何か理由があるように感じてしまいます。
やはり、手先のマジックにこだわったのか、はたまたこの第二部に述べられているカードマジックのほとんどが、フランス経由だからなのか。
T.A.ウォーターの『マジックアンドマジシャン事典』を読む限り、アードネスの正体については、名前を反対側から読む「E.S.アンドリュース」説(カール・ファルブスなど)と「ミルトン・フランクリン・アンドリュース」説(マーチン・ガードナー)の二つが述べられています。
アメリカにおいて、少なくともこの事典が書かれた1988年までは、その正体については諸説があり、特に定説が定まっていない、という事になります。
1989年の邦訳版においても、訳者の浜野氏も同様の事を述べています。
この当時は、日本マジック界の大頭脳とうたわれた高木先生も存命中であり、もしアードネスの正体が確定しているのであれば、それを必ず述べ、なんらかの記事を残していた、と考えられます。
それが、ない、という事はその当時まで確定されていない、と言えるのではないでしょうか。
『マジック・ボーイ」の話に戻ってしまいますが、私もこの映画が大好きです。
 制作に当たって、コッポラは40人くらいのマジシャンにあったそうですよ。
 荒木会長がHPにレビューを書いていますので、よかったらご覧になってください(^^)
http://www.w0o0w.com/prialamagic/kaichoclumn.html#magicboy

横ずれして、スミマセンでした、、、
カナダのテレビ局が制作したバーノンの自伝ドキュメント番組があります。
"Dai Vernon: The Spirit of Magic"
この番組はリッキー・ジェイを含め、バーノンの息子たちも登場し協力している大変興味深いものです。
この番組の中でも当然アードネスについて触れられています。
ここでは、完全にミルトン・フランクリン・アンドリュースが正体である、と断定しています。
「虚栄心が多くのエキスパートを自滅させる。」
「(ギャンブラーの命運は)文字通りその指先にかかっているので、決して自分の腕前を見せびらかしてはいけない。」
S.W.アードネス
ダイ・バーノンは8才の頃にこの本と出会いました。
バーノンのお父さんがマジックに興味を持つ息子の為に良い本はないか、と探していたところ、推薦されたのがこの本だったそうです。
わずか8才の少年がこの本に夢中になる、というのは信じられませんが、そういうものなのでしょう。
敬虔なクリスチャンである母親は、ギャンブルなんか、と軽蔑していました。
当然、幼い息子がギャンブルの本に夢中になる事を快く思わず、読む事を禁止しました。
それでも読む事を止めなかったバーノン少年に対して、母親は第二部の『奇術編』だけ読む事を許可したそうです。
もっとも、その言いつけをバーノン少年がちゃんと守っていた、とも思えませんが…。
>55
では、母親が言ったセリフになっていますが、どうも父親が第二部だけにしろよ、と注意したようです。

さて、アードネスの本の邦訳『プロがあかすカードマジック・テクニック』、ついに復刻されました。
これはどうも単純にかつての初版の重版であり、加筆訂正された部分はないそうです。
その点では残念です。
個人的にはマーチンガードナーの序文を完全な形で訳して欲しかったですね。
あと、イラストを書いたスミスさんの名前も付け加えて欲しかったです。
このアードネスの本がエポックメイキングであったのは周知の通りですが、特に当時のカードマジック界に衝撃を与えたのは、”ボトムパーム”という技法でした。
ボトムパームは、完全にギャンブラーによって編み出され伝えられた技法であり、それまでのマジック界には存在しなかったのです。
現在でもそうですが、ほとんどのカードマジックにおいて使われているパームはトップパームであり、ボトムパームが使われることはありませんでした。
この時代にボトムパームの有効性が確認されたとき、かつてのカードの名手ホフジンサーもボトムパームを使っていたことが分かったようです。
そうした事もホフジンサー再発見に繋がったのではないでしょうか。
アードネスの本の中でボトムパームのページはほんのわずかなものです。しかし貴重な技法であることに気がつき研究したのは,他ならぬダイ・バーノンでした。
キャッスルを終の住処としたバーノンは、かなりのお年でしたがその頃になってもボトムパームがことのほかお気に入りだったそうです。ボトムパームの話になると夢中になっていたとのことです。
バーノンがこだわっていたボトムパームの定義は”デットマンズ・ハンド”というものです。
要するに死人の手のように全く動かないことが理想である、という事だと思います。
実際に行ってみるとトップパームと比べてパームするアクションに不自然さが出易いのがボトムパームであり、その不自然さを解消しない限りは使えない技法であることが分かると思います。
『ロイヤルロードトゥカードマジック』にも記載されている古典カードマジックである”レイディス・ルッキンググラス”。
19世紀のフランスのマジシャンが編み出したとされ、かのロベールウーダンは、「どうしてこのような優雅な名前が付けられたのか分からない」と述べていることから,ウーダンの時代には大変ポピュラーなカードマジックだったのだと思います。
それがアメリカにおいて初公開されたのが、このアードネスの本なのです。
うかつにもそれに気がつかなかったのはタイトルが違っていたからです。
"The Top and Bottom Production"邦題が”トップとボトムからの出現”というあまりにつまらないタイトルだからです。
内容はまさしく『レイディス・ルッキングラス』でした。
タイトルが忘れ去られていたのは、もうアードネスの頃には忘れ去られたマジックだったのでしょうか。
あるいはプロしか行えないマジックだったのではないでしょうか。
だとしてもパスを使わざるおえないこのマジックの難易度の高さは、昔も今も変わらないでしょう。
このマジックを現代でも大切にレパートリーにしていたマジシャンがいました。
それが、ラリー・ジェニングスです。
ジェニングスは数々のオリジナルカードマジックを持っていたのにも関わらず、トリネタとして使っていたのは超古典である『レイディス・ルッキンググラス』だったのが驚きです。
当時、著述家のリチャード・カウフマンもキャッスルでのジェニングスの演技を見て、その古典マジックを演じていたことに驚きを感じていたことを述べています。
アードネス版によるレイディスルッキングラスを読むと当時のマジシャンの演じていた姿がリアルに伝わってきます。
4人の観客にそれぞれ2枚ずつのカードを覚えてもらうのです。それを元のデックに戻すハンドリングが現代のやり方とは思えないほど面倒です。
まず、最初の二枚をデックのなかに戻してパスをしてトップコントロール。その二枚をトップパームして観客にデックをシャッフルさせます。
デックを返してもらったらそのパームした二枚をアディションしてパス。二番目の観客に二枚を返してもらってまたパス。ブラインドシャッフルを行います。
それをもう二回も繰り返すのです。
カードを単に戻してもらうだけなのになんて大変な事をマジシャンは行わなければならないのでしょう!
ダブルカットもマルチプルシフトも存在しなかったのです。
しかし、今も昔も決して観客は馬鹿ではありません。観客がマジシャンがカードをコントロールしているのではないか、という疑念を晴らす為にこんなにも苦労してコントロールするのです。
結果的には選ばれた8枚はトップにコントロールされるに過ぎないのです。
今までどうもこのアードネスの本を買い与えたのはバーノンの父、と思っておりましたがどうも違うようです。
バーノンのお父さんは、あるとき本屋でこの本を見つけこれなら息子が喜ぶに違いない、と思って手に取ってみてびっくりしました。
ギャンブルの本だったからです。
さすがに手品ならいざ知らずギャンブルの本では教育上よろしくないと判断したので買うのを止めてしまったのです。
ところがこういう本を見つけたことを内緒に出来ないんでしょう、つい息子に自慢してしまったのです。
バーノン少年は欲しくて欲しくてたまらなかったのですが父親の言いつけに逆らうことも出来ず、ただ指をくわえているだけだったのです。
>この本が最初に出版された時、定価は二ドルでした。

しかし、ほとんど売れなかったようで定価は半額の一ドルとなりました。
>>ババーノン少年は欲しくて欲しくてたまらなかったのですが父親の言いつけに逆らうことも出来ず、ただ指をくわえているだけだったのです。

そのときから一ヶ月ほどしてからオタワのバック・ストリートの本屋で見つけて買いました。25セントでした。お父さんみ見せると「自分で買ったのだから読むのは自由だ」と言われたそうです。(Vernon-touch 99ページ)
GENII 2008年8月号はDai Vernonの特集ですが、Richatd KaufmanがDai Vernonに、The Expert at the Card Tableについてインタビューした記事が出ています。1983年にインタビューして20数年間カセットに入れっぱなしだったと書いているのでおそらく初出でしょう。
VernonがErdnaseの行間を読みこなせと言っているところが印象的です。世の中の人は単に眺めているだけできちんと読みこなしていないとまで言っているところにVernonの思い入れを感じます。

現在GeniiのサイトでThe Expert at the Card TableのPDF版がダウンロードできるようになってますが、電子化されていると必要な箇所が検索できるのでとても便利ですね。邦訳を見比べると、きちんと訳し切れていないところが結構あるように感じました。
>VernonがErdnaseの行間を読みこなせと言っているところが印象的です。
それを本にしたのが、REVELATIONS Dai Venon 1984 です。
The Expert at the Card Tableの全ページを入れて、その両側にバーノンの註が入っています。
ご承知とは思いましたが、念のために・・・。
この記事は、最初のRevelationが出た時にインタビューしたものを、今年新版がでたのをきっかけに公表したということらしいです。
KaufmanはVernonを知るにはRevelationの新版とDVDが不可欠と言っていますが、新版は旧版とはかなり違うのでしょうか?

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