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2006年01月30日05:22

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「耽奇館主人の日記」自選其の二十二

2003年11月21日(金)
空想映画「聖女シモーヌ」のこと。

私は、純粋な意味でファンなのは、斎藤由貴さんと公言しているが、女優としてリスペクトしているのは、高橋かおりさんである。
映画「誘拐報道」の頃から長いキャリアを持つ、プロの鑑のような女優だ。
かつて、ロマン・ポランスキー監督を国外追放にまで追い込んだ魔性の美しさを誇ったナスターシャ・キンスキーは、子供の頃からカメラの前に立つのに慣れていたせいか、普段でも自然に魅力的なポーズを取る美少女であったが、高橋かおりさんもそんな美少女であった。
高校時代に、安珠という作家が、彼女を被写体とした詩つきの写真集を出して、それを手にした私は、初めて生ける「絶対少女」を見た思いで、非常に感動したものだ。
それで、私なら、高橋かおりさんをこういう風に撮るだろうと、彼女を主演と想定した映画脚本を書いた。タイトルは「聖女シモーヌ」。
陽子という女子高生の主人公が、自分の中に潜む「シモーヌ」という別人格とともに、セックスを巡って、現実と架空の世界を行ったり来たりするという内容だ。この脚本の元になったのは、ヘンリー・ミラーの「性の世界」だった。以下に個人的に心に書き留めている文章を引用しよう。

・・・・・・

本当の原因はもっと深いところにある。新しい世界が作られつつあり、新しいタイプの人間が生まれようとしているのだ。今や大衆は未曾有の苦しみに呻吟すべく運命づけられ、恐怖と不安のあまりなす術もなく立ちすくんでいる。彼らは、砲弾ショックを受けた兵士のように、めいめい自分が掘った墓穴に潜り込み、肉体的要求を満たす場合のほかは、現実との接触をすっかり失ってしまったのだ。肉体も、もちろん、とうの昔に精神の殿堂ではなくなってしまっている。こうして、人間は世界に対して、さらに造物主に対して死ぬ。

・・・・・・

陽子を演じるセーラー服姿の高橋かおりさんが闇の中に立っていて、虚空を見つめている表情へ向かって、クローズアップしていって、唐突に画面が切り替わり、薄暗いダンスホールのフロアをなめるように、カメラが進んでいって、中央に立つ、同じく高橋かおりさん演じるドレス姿のシモーヌが立っているのをロングショットからフルショット、ミドルショットまで迫っていく。
ここでシモーヌが陽子の手を取って、ホールへ引っ張り出し、二人の高橋かおりさんがお互い抱き合うようにして踊り始める。
…といったシーンなどで、「聖女シモーヌ」に込めた私のねらいは、少女が現実を生き延びる手段として、二重人格、あるいは多重人格に陥るのではなく、自らすすんで別世界の自己自身を創造するやり方があるということだった。自分自身を他者の目で眺めるというゆとりを作るのだ。
しかし、幻想シーンに重きを置きすぎてしまい、肝心のストーリーが薄っぺらになってしまったので、結局、高橋かおりさんに捧げるイメージ・プロモーションビデオの台本として、高校時代の思い出の中に沈めてしまった。
現在、高橋かおりさんは、大人の女性として完全に成長しきってしまったが、時々、少女の表情を見せる瞬間があるのに思わず目を見張ってしまう。彼女の少女時代に魅せられた私の幻覚なのだろうか、それとも、高橋かおりさん自身の魔力なのだろうか?
今日はここまで。
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