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2006年01月24日10:52

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「耽奇館主人の日記」自選其の十六

2003年10月12日(日)
リンボあるいはリンコナーダのこと。

今日は幼なじみと会った。
彼は年商ウン億円も稼ぐ某企業の社長という輝かしい肩書を持つが、聾唖者でその上、現在では珍しい「せむし」である。
彼とは国府台の聾学校の出身者同士という仲だ。私は途中で普通の学校に移ったが、同じ障害を持つ者同士は、例外なく親友になるものである。
彼も例に漏れず、親友だ。
しかし、私は一般の意味で、親友という言葉を使っているわけではない。
障害者のそれは、もっと複雑なのだ。
彼は私に親愛の情を示すのと同時に、私自身がハンデを克服して健常者の社会に溶け込んで生活していることに、激しい嫉妬と憎悪を抱いていた。
そういう情念のうねりが、彼を成功させた最大のエネルギーであることは確かだ。
「国府台も変わったな」と彼。「すっかり綺麗になっちまった。あれでは幽霊も二度と出られまい」
最近だが、国府台の聾学校は老朽化した校舎や寄宿舎を取り壊して、隣接する和洋学園に劣らない最新の校舎にリニューアルしたのである。
「びっくりしたよ。幽霊が復活するには、また百年かかるな」と私。
「だが、俺たちの『国府台』は永遠に、頭の中の思い出のままさ。リンボなんだよ」
「地獄の辺土(Limbo)か」
いわゆる、善良な魂の持ち主ではあるが、何らかの理由で洗礼を受けられなかったため、天国に入ることが出来ない者たちがとどまる、天国と地獄のはざまにある土地のことだ。別名「愚者の楽園」とも呼ばれ、白痴や奇形、片輪、生まれずに死んだ子供たちが住む土地としても表現される。
私たちの言うリンボは「愚者の楽園」そのままの意味だった。
実際、当時は、聾唖者だけでなく、私たちの生まれた世代ではまだ深刻な影響が吹き荒れていた、サリドマイドによる身体障害者たち、または知恵遅れなどの精神障害者たちがいたるところに存在していた。
「俺は将来、財産をリンボ再建に費やしたいんだ。ここ市川市は福祉の街だ、俺の望みはたやすく叶えられるだろう」
「財産を資金として財団を作れよ。そうして、しっかり基礎を固めれば、寄付がたんまり集まって、東京ディズニーランドなみのリンボを建設出来るぜ」
「そのつもりさ。そこで、おまえには、おまえの頭の中身をすっかりリンボ建設に活かしてもらいたいんだ。俺は覚えてるぜ。ガキの頃、おまえは俺にふさわしい住居はミノタウロスの神殿のような迷宮だって言ったんだ。当時はすごくムカついたもんだが、俺のような『せむし』は確かに迷宮がよく似合う。俺のために、そして世のために、おまえの迷宮を設計してくれよ」
私は彼の顔を見た。彼はさらに続けた。
「知ってるんだ。おまえは断れない。きっとやってくれるだろう。何故なら、俺が『せむし』であると同様に、おまえの中身も『せむし』だからだ。俺は一時は、見た目の違いを呪ったもんだが、おまえも同様に苦しんできたってことが分かったからな。ワインをもっと飲むか?」
「ああ、飲むよ。俺たちのリンボのために乾杯しよう」
嬉しそうに首を横に振りながら、彼は大きく安堵のため息をついた。
帰宅した後、私はリンボの設計の基礎を、リンコナーダに求めることを決めた。リンコナーダ、南米の、世界最大級の問題作とされる、ホセ・ドノソの「夜のみだらな鳥」に出てくる奇形の巨大な館の名前だ。大富豪の跡継ぎとして生まれたボーイは見るも醜悪無残な奇形児だった。父親はボーイのために、リンコナーダを建設し、庭木や彫像も奇形的に歪め、全国から奇形を集めてボーイの身の回りを世話するようにした。物語はその悪夢のような世界が幻覚的にうねり続ける内容なのだが、私は一読してボーイの怪物的な人間らしさに衝撃を受け、一週間ほど脳が熱を帯びて満足に眠ることが出来なかった。
福祉施設としての機能を持ちながら、世間を挑発するように開かれた、怪奇と幻想に満ちた建築の美観を備える大迷宮。
彼は多分、そこで自らの人生に幕を閉じたいのだ。つまり彼自身の墓だ。
私は彼のために出来ることを尽くしてやるつもりである。
今日はここまで。
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