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2006年01月05日05:21

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「耽奇館主人の日記」自選其の一

2003年05月27日(火)
一夜を鶴駕に乗せて飛ばすこと。

だんだん湿気が濃くなってくると、同じ時期に別府から愛媛の八幡浜への連絡船に乗った時のことを思い出す。二十歳になったばかりで、四国や南九州を中心に民間信仰の取材旅行を繰り返していたのだ。八幡浜に到着し、他の乗客とともに降りてみると、山の方面に、濃い灰色の雲がどんよりと垂れ下がり、せっかくの新緑が黒々と染まっているのが見えた。雨が降りそうだなと思う間もなく、ぽつりぽつりと降ってきた。さて、どこに泊まろうかなと駅前の案内所に向かおうとしたが、縦に連なって歩く乗客たちを熱心に眺めている少女と目が合った。頭と顔から湯気が立ちのぼっているところを見ると風呂に入ったばかりなのだろう、濡れた髪がはりついた顔が紅く染まっていた。齢は十代を終えたばかりの頃だろうか?若々しい美しさが目の中で光り輝いている。「ねえ」少女が呼びかけてきた。「泊まるとこを探しとんなら、うちに泊まらん?」にっこりと笑いかける。私は大きくにやりと笑い、「いくらぐらい?」と聞いた。少女は指を突き立てて、三本立てようとしたが、思い止どまったように二本に減らした。「こんぐらいでええよ、兄さん、あんまし持ってないやろ?」私は笑い、「泊まるよ」と言った。
少女は一人暮らしだった。いつもは郵便局で事務のバイトをしているが、死んだ親の借金を返すために土日祝の休みはこうして船着き場に来て客を取ってるのだという。まだ始めたばかりで、私で二人目だった。案内された部屋は恐ろしいほどのあばら家だった。追い炊きの風呂にくみ取り式の便所、濃い茶色に変色した畳、ボロボロのふすま、穴が開いて下地が見えている砂壁、ねじ式の鍵つきの木枠の窓…その代わり、布団はきれいだった。しかも羽布団である。最初の客のお代で買ったのだそうだ。だから、私からちゃんとした稼ぎになるとか。風呂から上がると、ガタガタするちゃぶ台の上に夕食が用意されていた。ビールと刺し身とご飯、みそ汁、漬物というメニューだった。私が座布団の上に座ると、少女が寄り添ってビールを注いできた。「兄さん、どこから来たん?」「東京さ」「どこへ行くん?」「ここから電車で高知へ行くんだ」「何しゆう?」「お化けを探して歩いてるんだよ」そこで私はにやりと笑うと、少女はああ、怖いと笑ってみせた。
羽布団は軽くて温かかった。その中で少女の湿った裸身に自らの裸身をからませるようにして、さらに羽布団を温めていった。
やることやったし、さあ休もうという時に、窓の下の文机の上に文房具に混じって折り紙セットがあるのを見つけた。私はあれを折っていいかね?と言うと、少女はうんと頷いて私に折り紙セットを手渡してきた。「これ、色がきれいやから、何となく買うてみただけやけど、何か折れんの?」私はほほ笑みながら、手早く鶴を折ってみせた。少女が拍手してみせる。私はまじめな顔になった。
「『鶴駕(かくが)』という言葉があってね、元々は中国の仙人の乗り物さ。向こうでは鶴に願いを込めて飛ばすと幸福がもたらされると言われていたんだ。これは私だと思うといい。これに願いを込めて飛ばしたりすれば、私の鶴は君に幸福を運んでくるさ」
「ありがとう…兄さん、いい人なんやね」
私は大きくにやりと笑ってみせた。
別れる時、私は約束の二万円を少女の目の前に出し、それを丸めると少女のポケットの中に入れた。彼女がそれを出す時には、二万円の中にさらに五万円分の小さく折り畳んだ紙幣が入っていることに気づくだろう。それで有り金全部だった。私は駅で少女と別れ、いつまでも手を振る少女にほほ笑みかけ、次の駅で降りて、線路を辿って高知へ向かって歩き始めた。
今思えば、少女も私に幸福をもたらしてくれた。
無銭状態で徒歩で高知へやってきた私を、今時珍しい若者と面白がって、目指す祈祷師の家族が私を泊めてくれたのだ。
私は思う、私の鶴は今でも八幡浜を飛んでいるのだろうかと。今日はここまで。
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