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2006年01月06日05:33

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「耽奇館主人の日記」自選其の二

2003年06月01日(日)
陰陽眼のこと。

今日から夏である。旧暦ではまだ五月二日だが、昨晩からすでに蒸し暑い。ちなみに今日は「建つ」といって、大吉の日に当たるのだが、土を耕したり船を動かしてはならない。災いの元になるからだ。
子供の頃、新潟に預けられていた時、母方の実家で、佐渡島を本拠地とする祈祷師たちのひとりに運勢やら旧暦やら占星術に関することをたくさん教えてもらったのが、いまだに頭に染み込んでいる。実生活においては全く何の役にも立たない、余計な知識なのだが、いくら引き出しの中を整理してもなかなか消えてくれない。
西洋には邪視という奇相もしくは異相の迷信があるが、我が国にも陰陽眼という奇怪な面相が迷信の中で伝えられている。邪視はにらんだだけで相手を殺すという物騒な代物だが、陰陽眼は左右の目がそれぞれ天と地を向いているというもので、神と通じる力を持つ異人の印とされている。
私にそのことを教えてくれた祈祷師は、母方の曾祖母がそんな面相だったと語ってくれた。見た目があまりに異様な雰囲気を与えるので、人前に出る時は常に木綿の手ぬぐいで目隠しをしていたらしい。目隠しをしていればなかなかの美人なので、劣情をもよおす輩もいたそうだが、そういう輩には手ぬぐいをとって両目をさらせば二度と言い寄ってはこなかったという。
迷信にしてはなかなかリアルなので、写真はないのかと伯母に言ったら、伯母は黙って仏壇の上を指差した。ここも一応お寺にやっかいになっている手前、仏壇はあるのだが、祈祷師だった者は仏壇ではなくその上の神棚に遺影が飾られることになっていた。その写真は黄ばんでいて、裏を見ると撮影日時が明治二十五年とあった。これだけでも相当裕福な家庭だったことが分かる。当時は写真に撮られることなど、滅多にないことだったからだ。そこに写っている白装束姿の女性は年は二十代後半だろうか、なかなかの色白美人だった。ただ、一重の切れ長の目つきが恐ろしく異様だった。右目が下を、左目が上を向いているのだ。医学的には稀少な身体的異常として片付けられたが、視力は乱視ぎみだったらしい。しかも文盲だった。
私は考える、母も祖母も伯母たちも語るのを良しとしなかった曾祖母の人生を。明らかに一種の軽度の奇形なのだが、現在の医術では簡単に矯正出来たものを、当時は生まれつきのものとしてあきらめるしかなかったろう。どうせかたわとして生まれてくるなら、かたわらしく生まれてくればよかったものを、一体なぜよりによって目だけなのか。無残な少女時代、青春時代を送ったに違いない。友人も出来ず、異性に恋を抱くこともかなわなかったに違いない、そんな曾祖母を唯一人間らしくしたのが祈祷だったことは想像に難くない。

見よ、日常に倦み、絢爛たる非日常に輝くわれを…。

私は理解している。要するに、祈祷などの霊能の類いは、こうした孤独な人々の唯一の逆襲の手段なのだ。高知で見た犬神使いや太夫もそうだったし、現在に至るまであちこちで見た霊能者も曾祖母と同じような孤独な影を引きずっていた。そういう意味で、私は祈祷師の人間くさいところを憎みつつ愛している。人間はまやかしがなければ生きられない、まやかしのうちに自分を育てなければ生きられない地球上で最も脆弱な生き物なのだ。
陰陽眼の曾祖母、癲癇持ちの大伯母、残酷な従姉、私の眷属の女たちは、私の人生をまやかしと孤独のうちに導き、弱さをバネにたくましく生きられる強さを教えてくれる。
今日はここまで。
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