〓ええ、またぞろ、先おとついまでとゴドウヨウのハナシです。あんまり天丼を続けるのもどうかと思い、イタメシをはさんでみたんですが……
〓英語で 「アリストテレス」 を
Aristotle [ ' æ r
I , s t
⊃ t l ] [ ' アリス , トトる ]
と言います。さすがに、こいつは
Plato と違って 「誤植」 とは思わなかった。でも、やっぱり、
「なんでなん?」 (宮迫博之ふうに)
と思いました。
〓古典ギリシャ語では、
’Αριστοτέλης Aristotélēs [ アリスト ' テれース ]
と言います。こともあろうに、英語では、ギリシャ語でアクセントのあった
-é- が消失しています。
〓「プラトーン」 Plato の場合は、英語がラテン語形を採り入れたから、で、ことがすみましたが、今度はそれではすまないようです。というのも、「アリストテレース」 は、ラテン語で、
Aristotelēs [ アリス ' トテれース] 古典ラテン語
と言ったからです。英語形が
Aristotle。ハイ、何文字足りないですか? 2文字ですね。「タカが2文字くらいマケろい!」 とハッツァンが言おうが、クマサンが脅そうが、2文字も足りなくては、見過ごすわけにはいかない。
〓なぜ、2文字、足りないんでしょう?
〓ここで、1つ、スペクタクルをお見せします。世紀のショウです。いえいえ、「何世紀もかかって起こったできごと」 という意味です。
【 現代語で見る Aristoteles の語形の変化 】
Aristotelēs [ アリス ' トテれース] 古典ラテン語
↓
Aristóteles [ アリス ' トーテれス ] スペイン語
Aristóteles [ アリス ' トーティりス ] ポルトガル語
Aristóteles ガリシア語
Aristoteles [ ' アリス ' トーテれス ] ドイツ語
Aristoteles オランダ語
↓
Aristotele [ アリス ' トーテれ ] イタリア語
Aristotili [ アリス ' トーティり ] イタリア語 (シチリア方言)
↓
Aristòtil [ アリス ' トーティる ] カタルーニャ語
Aristòtil [ アリス ' トーティる ] イタリア語 (ピエモンテ方言)
Aristotel [ アルス ' トーテる ] ルーマニア語
↓
Aristotle [ ' アリス , トトる ] 英語
↓
Aristote [ アリス ' トット ] フランス語
────────────────────
Αριστοτέλης Aristotélis [ アリスト ' テーりス ] 現代ギリシャ語
※ギリシャ式のアクセントを伝えているのはギリシャ語だけ。
〓はい、プラトーンのときとは、少々、様相を異にします。アタシら、「プラトーンとアリストテレース」 と言えば、「林家木久扇 (きくおう) と林家木久蔵」 のように、
たいして、中味の変わらない人物
という感じがしますが、アリストテレースの場合は、ラテン語の原形を現代語に使っている例が、プラトーンより多いのです。
プラトーンの著作は、庶民にもなじみやすかったが、
アリストテレースの書いたものは、チンプンカンプンだった
のが原因かもしれません。
〓上の矢印で示したのは、
ロマンス語における一般的な語形変化の方向
を示したもので、
スペイン語やポルトガル語から、イタリア語へ入ったという意味ではない
ことに注意してください。ラテン語が現代語へと変遷してゆく過程が、現代語の地域差となって現れていることを示したまでです。いわば、地表に現れた断層のように、地図上に時間が地層となって現れているわけです。
〓スペイン語などの第1グループは、ラテン語をそのまま残したというより、近世になって、ラテン語から “再借用” したものでしょう。つまり、アリストテレースは、再評価されて、これらの地域の文化に紹介された、ということです。
〓イタリア語などのグループは、代々、「アリストテレース」 という名前が伝えられてきたことを示しています。Aristotelēs の対格は、
Aristotelem [ アリス ' トテれ(ム) ]
です。ラテン語の対格の
m は、早い時期から落ちることが多かった。イタリア語形は、最優秀生徒の “模範解答” です。
Aristotele [ アリス ' トーテれ ] イタリア語形
〓シチリア語形
Aristotili は、この名前が間断なく伝えられてきたことを示す証拠となります。つまり、近世に再借用されたなら、Aristoteles か、あるいは、-s を落としても、Aristotele と標準イタリア語形と同じになるはずですが、Aristotili となっています。これは、シチリア語では、
アクセントのない短母音の e が i になる
という歴史的変化を蒙 (こうむ) ったことを示しています。
〓さらに、カタルーニャ語のグループは、イタリア語のグループの語形から、さらに、
語末の母音が落ちる
という変化を蒙っています。-til となるか -tel となるかは、地域による差です。
〓さて、ここで、問題の英語とフランス語に入ります。
【 英語とフランス語の “アリストテレース” 】
〓フランス語は、ロマンス語の中でも、語形の擦り切れ方がもっとも極端な言語です。教養語を除く、一般民衆の伝えた単語では、
ラテン語の
「語頭の音節」、
「アクセントのある音節」
しか残らなかった
のです。つまり、
フランス語の単語は、本来、すべて、1音節か2音節なのです。フランス語の語末の音節は、必ず、「ラテン語でアクセントのあった音節」 です。ですから、
フランス語のアクセントは、
すべて、語末にある
のです。
〓しかし、Aristote 「アリストット」 という語は3音節であり、これが、教養語と民衆語の折衷形であることを示しています。つまり、語の前半は教養語的であり、語末は民衆語的である。
〓フランスでキリスト教の聖人とされている人物に、2人の 「シドーニウス」
Sidonius がいます。これは、以前にも説明しましたが、「サン=サーンス」 の名前の “サーンス” というのは、ラテン語形の Sidonius が民衆のあいだで語り継がれて擦り減った語形です。
〓いっぽうで、やはり、フランスで聖人とされている、シドーニウス・アポッリナーリス
Sidonius Apollinaris という人物は、現代フランス語で、
Sidoine [ スィド ' ワンヌ ] 「シドワーヌ」 と呼ばれています。
〓この2つの語形の違いは、民衆のあいだで語り継がれてきた聖人と、教養人のあいだで評価されてきた聖人の違い、を示しています。
Sidonius [ スィ ' ドーニウス ] シドーニウス。ラテン語形
St. Saëns [ サん ' サーんス ] 聖サーンス
St. Sidoine [ サんスィド ' ワンヌ ] 聖シドーニウス
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=99013980&owner_id=809109
〓つまり、ロマンス諸語でラテン語が 「擦り切れる」 というのは、コインと同じで、どれだけ 「人々のあいだを、それが巡ってきたか」 によって違うんです。
〓10万円金貨とか、オリンピック記念コインとかのように、全然、擦り切れない単語もあるわけですし、日ごろ使っている 100円硬貨のようにキズだらけのものもあります。
〓もちろん、「中途半端に使われた万博記念コイン」 みたいのもあるでしょう。そういう感じのものが Aristote ですね。
〓フランス語は、先に書いたとおり、ロマンス語でもっとも単語が擦り切れた言語です。言うてみれば、コインの扱いが雑なヒトたちだった、という感覚です。
〓ラテン語の Aristótelēs という単語にも問題があって、フランス人の嫌う後ろから3番目の音節にアクセントがある単語なのです。フランス語では、こういう場合、ナニがナンでも後ろから2番目の母音を消し去る必要があります。
Aristótelēs
アクセントは
-tó- にある。
現代フランス語は、語末にアクセントがある。
→
telēs の
e と
ē を抹殺しなければならない。
〓こういう場合、フランス語はどういう手順を踏むか。似たような単語で調べてみましょう。
apostolus [ ア ' ポストるス ] 「使徒、使い」。ラテン語
titulus [ ' ティトゥるス ] 「表題、称号」。ラテン語
〓 apostolus なんていうのは、キリスト教の用語として、後世、盛んに使われるようになる単語です。現代ロマンス語では、こうなります。
apostolo [ ア ' ポーストろ ] イタリア語
apóstol [ ア ' ポーストる ] スペイン語
apóstolo [ ア ' ポーストろ ] ポルトガル語
apôtre [ ア ' ポートル ] フランス語
────────────────────
apostle [ ア ' ポスる ] 英語
〓フランス語の
ô の “アクサン・シルコンフレクス” は 「後続の s の省略」 を表すんでしたね。さあて、フランス語と英語の対処の違いを見てみましょう。
どちらも t と l のあいだの o を落としている。
語末の o を、曖昧母音 -e に弱化している。
〓これは一致しています。英語がドイツ語などと違って、ロマンス語のような対処を見せるのは、その文化を担っていたのが、古くはフランス語を使うノルマン人だったからです。
〓しかし、そのあとの対処は2つに分かれました。
フランス語は、t のあとに l が続くのを嫌って、l → r と変化させた。
英語は、-stl- という3子音の連続を嫌って、t を落とした。
※ただし、綴りはそのまま。
〓英仏両言語の少し古い語形を比べてみましょう。
apostle, apostre 古フランス語形
apostol 古英語形
→
apostel, apostyl 中期英語形
→
apostle 16世紀〜 (フランス語形の影響)
〓どうです。apostle というのは、けっきょく、フランス語の古い語形が英語に残ったものです。ノルマン人の影響ですね。本家のフランスでは、apôtre となってしまった。
〓では、titulus を見てみましょう。
titolo [ ' ティートろ ] イタリア語
título [ ' ティートゥろ ] スペイン語、ポルトガル語
titre [ ' ティートル ] フランス語
────────────────────
title [ ' タイトる ] 英語
〓この場合もフランス語では同じ変化をしてますね。l → r になっています。英語は、apostle の場合と違って、3子音連続にはならなかったので、t の音は落ちていません。こちらも、古い語形を比べてみましょう。
title, titre 古フランス語形
titul 古英語形
→
titel 中期英語形
→
title 16世紀〜(?) (フランス語形の影響)
〓面白いですね。apostolus の場合とまったく同じ道をたどっています。さすればですよ。
*Aristotle 古フランス語形
というのがあって、それが英語に入ったと考えてよいのではないでしょうか。
〓西洋の言語学では、固有名詞を対象としないのが一般的で、日本の 「英和辞典」 などと違って、少し以前までの 「英英辞典」 は、固有名詞をいっさい収録していないことがありました。
〓「固有名詞」 を研究するのは、「固有名詞学」
onomastics といって、また、別の分野になるんですね。そして、固有名詞は、「なんたら教授」 とかいうヒトたちより、
在野の研究者
が携わることが多いです。理由はナンでしょうね。「労多くして、益少ない」 からかな。
〓というようなワケで、Aristote のフランス語の古い語形さえ、満足に調べる手段がないのです。*Aristotle と、推定形を示す 「アスタリスク」 を付けたのは、そういうわけです。
〓つまり、
Aristotle という英語形は、
古フランス語形が
ノルマン人によってもたらされたもの
と推定できます。
〓ただ1つ、問題なのは、現代フランス語形が、
Aristotre ではなく Aristote と r が落ちていること
です。まったくオカシナことではないですが、法則をハズれるのは確かなので……
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