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2006年11月04日15:51

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引越し準備

火曜に浜松に帰省した、今回はいよいよ実家の引越し作業である。

翌日からあれこれ動いているが、段取りは殆んど出来上がり、連休明けの月曜に搬出・移送・搬入&セッティングとなった。
ということでこの連休はひたすら荷物整理&処分である。

母は田舎生まれで昔風の感覚だから、「物を捨てられない」タイプである、先日書いたように姉妹が多いので、冠婚葬祭の贈答品のやりとりがかなり多い。

ということで押し入れの中を整理したら、食器類とタオル類が出てくるわでてくるわ…店が開けそうな?埋蔵量であった(笑)

また「タンスの肥やし」も然り、普通の引越しならば「全部持って行く」選択もあるが、老人ホーム個室の収納スペースは広くはないから、どうしても処分していかざるを得ない。

私も以前は収集癖があり、溜め込む物も多かったが、長期のバックパッカー旅の生活をやるようになってからは、「出来るだけ物を溜め込まない」生活を心がけるようになった。

とりわけアシュラム生活を体験してしまうと、「モノに囲まれた生活」には時に「嫌悪感」すら抱くこともある(笑)。

モノを所有する、という事は裏を返せば「そのモノを産み出したシステム」に従う…ということでもある。

インドの宗教思想には「一切無所有」というかなりぶっ飛んだ戒律があったりもするが、ようするにそれにより高度な意味での「自由」を得よう…と言うことでもある。

ジャイナ教空衣派はその最たるものだが、ラマナ・マハリシも身に付けていたのは褌ひとつであり、彼には「所有する」という概念が消失してしまったらしく、それをうかがわせるエピソードは沢山ある。

しかしまあ、それはインドの聖者さんなればこそである、我々世俗にある人間には不可能な話だ。

ただし「一切無執着」の方なら、少なくともそれを努力目標には出来る。

モノの有無というよりそのモノと関わるあれこれの「想念」から自由であろう…ということである。

それはもちろん「ただ『在る』だけで至福」という境地に通低するものであるのは言うまでもあるまい…。


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