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2006年10月28日02:32

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それが手元に来たからには

先日書いた「欲しい物リスト」の中の、「プリンター」が入手できた。

「ヤマトアンナマライ」の常連参加者のAさんが記事を読んで、Aさん宅で丁度プリンターを新調したところだったので、それまで使っていたものを「若干難あり」だがもし宜しかったらどうですか?・・ということで、ありがたく頂戴したわけである(笑)

ちょっとばたばたしていてまだ接続して試していないが、「難あり」と言うのも私の使用目的からすれば大して問題になるまいと思われる。

さてさて、プリンターは確かに欲しいと思い続けていたのだが、お金が無くて買えなかった訳ではない・・・今時のプリンターなら随分安くなっているから、「その気になれば」すぐに調達できる状況ではあったのだが、なんとなくぐずぐずしていた、というのが真相である(笑)


それがするすると手元に来てしまった・・という事に何かしらの意義があるのだろうな?と感じる次第である。

以前からぼんやりと企画していたあれこれの事、レッスン内容の簡単なテキストを作って参加者の皆さんに配布するとか、宣伝用のチラシを作るとか・・というプランをそろそろ本気で実行する時期が来たのに、ぐずぐずしていたので神様の方で催促する為にこんな風な展開になったのであろう(笑)。


最近の事件のニュースを見るにつけ、どうにも社会全体が病んでいる感じを強くするのだが、これは個人個人が「見えないソフトなファシズム」にがちがちに捕らえられ、神経症的に喘いでいるのにそれを自覚できないので(というか自覚できぬほど麻痺している)・・・潜在的状況の中で当事者のカルマの積み重なりが機縁を得て「事件」として結実してしまうのだろう・・・というのが私の見解である。

とりわけ今朝の宇都宮での事件、加害者は明らかに「被害妄想」が過度に亢進した状態である。ネットで見ていると様々なコメントがあるようだが、この「被害妄想」といのも当事者には抜き差しならぬリアリティとして感じられている・・・ということがやや認識不足であるように見受けられないでもない。


これについては私は昨年6月の「刃傷事件」の当事者としてちょっとばかり「偉そうな」コメントをする資格があるつもりだ(笑)、私を包丁で襲撃したオヤジもこの被害妄想に随分苛まれていて、酒乱というのがそれを増幅して事件に至ったからである。


リアリティというのは妄想であろうが無かろうがリアリティなのである。夢の中でそれがどんなに荒唐無稽で不条理であってもそれなりに整合したリアリティとして機能している・・「荒唐無稽で不条理」である事が認識できるのは夢から覚めているときである。

では翻って日常生活のこの普通のリアルな感覚というもの、ひいてはその集積点である「私」というものも実は、「そういうリアリティ」に過ぎないのではないか?・・・というのがポイントになってくる。

そして「そういうリアリティ」を絶対的なものだ・・と「信じこんで」日常生活の主体となっているのが「エゴ」なのであり「ソフトなファシズム」を作り出しているのも実はエゴなのである、エゴにとってはその方が「都合が良い」からだ。

とうことは「束縛からの解放」を希求するからには、どうしてもそのプロセスは「エゴ自身の否定」を通過しなくてはならないはずだが、それが出来ないゆえに我々は様々な問題を抱え込んでしまうのではないだろうか?「健康」や美容という事も実際はそういうレヴェルまで掘り下げてこそ、本質的な状況改善となるのだと思われる。


「ヤマトアンナマライ」のヨーガレッスンは、「自分で自分を束縛する」システムに「自分で気づき」、「自分で自分を解放する」為のレッスンでありたいと思う・・・その為のポイントは「深いレベルでのリラックス」それが、「お気楽脳天気」というスタンスの基本であり、「ただ『在る』事自体の至福」へと開かれていく・・・・。


そしてそこから先を「霊性」という領域で追求していくのが、アートマ・ヴィチャーラ・・「真我の探求」と呼ばれる、バガヴァン・ラマナ・マハリシの教えでもある。
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