mixiユーザー(id:15337934)

2026年11月05日07:33

3 view

真似を超える(8463)

口承伝承が基本とされる日本の伝統芸能でも、あるいは世界のさまざまな芸術でも、真似をすることと、自分のものにすることは違う。どれほど優れたものを見たり聞いたりしても、真似は真似でしかない。だからこそ、師匠と弟子がマンツーマンで向き合うことに意味がある。

古典落語などは、何度聞いても、その芸の域に達することは難しい。噺の筋や言葉を覚えることはできても、間の取り方、声の調子、呼吸、人物の演じ分けなど、簡単には身につかないものがある。師匠と弟子が直接向き合い、弟子の欠点を指摘し、修正していく。その繰り返しによって、初めて芸が受け継がれていくのだろう。

そこをきちんと押さえておかないと、横で歌っていたから、上手な人の歌を聞いていたから、自分も変わることができたというのは、錯覚の域を出ない。もちろん、周囲から学ぶことはある。しかし、それだけで自分の技術が身についたと思うのは早計である。

声楽などは、教える側の個人的な力量や経験によって、指導内容がかなり違ってくる。基本的な発声や呼吸の技術はある程度共有できても、その先は一人ひとりの声の特性に応じた指導が必要になる。同じことを教えても、すぐに理解できる人もいれば、なかなか身につかない人もいる。そもそも身体の使い方も声の質も違うのだから、画一的な指導では限界がある。

そして、教わったことを自分のものにするには、最後は自己錬磨しかない。指導者に教えてもらえば、それで上手くなるというものではない。自分の声と向き合い、試行錯誤を繰り返す必要がある。そのためにも、個人の状態を見極めてもらえるマンツーマンのレッスンが大切なのだ。

合唱でも同じようなことがある。上手な合唱団に所属していると、自分まで上手くなったような気がする。周囲の声に支えられ、全体の響きの中に自分の声が溶け込むからだろう。しかし、改めて一人ひとりの声をじっくり聞いてみると、個人の歌唱力はそれほどでもないと感じることも多い。合唱団全体の演奏水準と、そこに所属する個人の歌唱水準は、必ずしも一致しないのだ。

もっとも、合唱は独唱とは違う。個人の立派な声を聴かせることよりも、全体の響きやアンサンブルを優先する。場合によっては、個性の強い声よりも、周囲に溶け込む声の方が求められる。だから、合唱団に所属する人が、必ずしも独唱者のような声を身につける必要はない。

しかし、それと個人の歌唱技術を磨くこととは別の話である。

集団の中で歌えることと、一人で歌えることは違う。周囲に助けられて歌えていることと、自分の力で歌えることも違う。合唱団の中で満足しているだけでは、自分の声がどこまで成長したのか、本当のところは分からない。

芸術を学ぶというのは、優れたものを真似ることから始まる。しかし、真似たものを自分のものにするには、個人と向き合う指導と、自分自身の努力が必要なのだ。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年11月
日 月 火 水 木 金 土
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

最近の日記