昨日と一昨日と2日にわたり、三浦裕之さんのZoom朝活では、八ヶ岳からの配信でした。
本田健さんの合宿中だそうです。
そして、八納啓創さんと言う一級建築士の方がゲストで出られてました。
その方の奥様は、心理カウンセラー。
ご夫婦でハッピーチャンネルというユーチューブを開設されているそうです。
↓
https://youtube.com/channel/UCbjTdbibgAY-33r-NN3sPcw?si=Ym9iiTTSaRt3OA2s
水曜・金曜の朝活は、その簡単バージョンのセッションが5分程度ありました。
そのあと、旦那様の八納啓創さんから、ズームに参加された方に限定で30分ほどの動画をプレゼントしますとの事。
昨日の昼休み、ご飯を食べながらその動画を拝聴しました。
動画のタイトルは
、「生きづらさを解消して、情熱100%で生きる方法」
私、「生きづらさ」と言う言葉に全然ぴんときませんでした。
だって、特に行きづらいと思っていないので(#^^#)
だから、あまり興味を持たないまま、それでも動画の視聴を始めました。
内容をここに記録に残します。
講師曰く
↓
「人は皆生まれた時は、綺麗な青虫です。
でも生きているうちに、傷ついたり汚れたり不格好なボコボコ凹んだ青虫になってしまう。
そんな状態ではきれいなチョウチョになれない。
きれいな蝶になるためには、ボコボコ状態をきれいに再び整えて、生まれたときの青虫に戻ろう。そしてそれから蝶になり羽ばたこう。」
それから、レクチャーがありました。
�〕直�期にちょっと嫌だった経験を思い出してください。
例えば、子供の頃ピアノをやりたいと言ったけど、お金がないからダメと親に言われませんでしたか?
例えば、大学に行きたいと言ったけど、女だから大学はダメとか進路を制限されませんでしたか?
講師の問いかけに、私ははっとしました。
これ私!
私、ピアノを習いたいと言ったけど、即レス状態で、「ピアノは高いからダメ」と言われたんです。
習い事は母が決めたもの。
�‘�舞�⊇�字��そろばん
母は日本舞踊の名取りをしていて、私にも当然のようにそれを習わせました。
まぁ、当然ですね。
中学生までは、師匠はおばあちゃん。
大平橋のおばあちゃんちに片淵から電車とバスに乗って通っていました。
(木曜と土曜)
中学に入った時、わたしは、特に部活の希望はありませんでした。
母がPTAの役員になり、担任のむっちゃんからバスケ部の部員が少ないと聞き、母は「じゃぁ私の娘を入れますね」と約束したみたい。
これは、北郷ちゃんも同じ。
母親が役員でしたもん。
私は母に「あなたはバスケ部に入りなさいね」と言われ、入部。
特に何も考えていなかったようです、わたし。
入部してみると、そこはすごかった
嘘みたいに上下の差が厳しく、「不良少女と呼ばれて」のドラマみたいな部でした。
うん、困惑の中学時代でしたね。
しかも、母はむっちゃんに「日舞優先」と言う条件付きで入部させたので、週に2回木曜と土曜は部活を休む私でした。
そりゃ、先輩からはよく思われないよね
それにさ、私、人を押しのけてガツガツ戦って得点を争うバスケ自体が好きじゃありませんでした。
うん、今、ココロからそう思う。
(当時は何も考えていなかった)
それでも部活をやめるなんて全く思いもつかなかったのです。
(やめるのも怖い

)
3年間やり遂げました。
まぁ、このスパルタ部活のおかげでめちゃくちゃ体力がついたので、そこはありがたい。
高校になってからは、やりたかった放送部に入部しました。
嘘みたいに部活が楽しいし、先輩ってこんなに優しい人間なんだ〜と言うことを知りました。
日舞の話に戻ります。。
高校になってからは、祖母が引退し、母が跡を継いたので、母が師匠となりました。
母は日頃は優しいのですが、お稽古の時間になると「豹変」します(笑)
私、実は日舞はほんとに好きじゃなかったのです・・・
むしろ、ジャズダンスをしたかった・・・
なので、、いやいやお稽古をしていました。
その態度がだだ漏れ🤭
母も怒っちゃって、ときには竹の棒で叩かれたりしていました。
進路も、「女は短大でいい」と言われて育ちました。
講師がレクチャーに言われたたとえ話と同じです。
↓
なので、県立短大被服科を考えていました。
家庭科好きだったし。
それ以外の進路など考えたこともなかったです。
でも、ひょんなことから高校3年生の三者面談で、単身赴任の父に会うため、父が住む県の国立大学を受けても良いと言う話になりました。
これは担任の森ちゃんが受験票を勝手に取り寄せてくれて、母にプレゼントしたからです。
(国立合格者の数を上げたかったのでしょう)
行くつもりなかったので、「どれにしようかな〜♪天の神様のいうとおり」で学部を決め、たまたま法律を選択。
わたし、共通一次(当時)の点数が良かったのです。
600点超したのを覚えています。
数学が180点だったのを覚えています。
(文系だけど数学が得意だった)
その共通一次の点数のおかげで、K大学(国立)の法学科に合格。
いよいよ進路決定の時が来ました。
当然、県立短大の被服科に行くつもりだったのですが、何故か心にもう一つの大学の合格通知が気になったのです。
1人、静かに悩みました。
というのは、そのタイミングで、両親は北海道旅行に行っていたからです。
卒業後の春休みの事でした。
悩んだあげく、私はクラスメイトのまりちゃんに電話をかけました。
(わたし、誰に電話したのか覚えていなかったのだけど、何年も経ってから、それは私だよと、まりちゃんに教えてもらった)
すると、まりちゃんから、「合格してるのに行かないってもったいない!!!」と背中を押されたのです。
↓
2021年01月30日の日記
「私の人生を変えたまりちゃんのはなし」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978261833&owner_id=4792539
私は大学での勉強に全く興味はなかったのですが、ここでちょっと思ったんです。
↓
↓
「県内の短大に行ったら、きっと日舞をもっと一生懸命しろと言われる。
すぐに名取を取れとプレッシャーを掛けられる。
跡をつげと言われる」
それは嫌だ!!!
逃げ出したい
そう思って「大学に行きたい」とためしに両親に言ったんです。
(北海道からかかってきた電話で)
すると、大反対すると思っていた両親が何故か承諾。
「あなたがそういうのなら・・・」と。
んで、あれよ、あれよと言う間に、鹿児島に行くことになったですね。
私はこの八納啓創さんのレクチャーを受けながら、自分の幼少期の時からの嫌だったことを思い出し、ハッとしました。
そうなんです。、
私バスケット好きじゃなかったんです!
そうなんです。
私、お母さんには悪いけれど、日舞がどうしても好きじゃなかったんです。
でも中学3年間はバスケ&日舞の毎日。
そして高校まで週に2回は日舞のお稽古。
わたし、このどちらからも、本当は逃げたかったんだろうなぁ。
なんか自分の心がわかって、涙が出そうになりました。
(というか、泣けたよ)
これは、しばらく限定で。
さて、今日の朝活のはなし。
ヒロさんは書かれた本の5章で解説されているそうです。
↓
ログインしてコメントを確認・投稿する