私は小さい頃、将来の夢は幼稚園の先生でした。
ピアノを習いたかったのです。
でも、家の経済的事情で(狭い団地で置き場所がない&お金がかかる)ピアノは無理、と即却下され、習うことはできませんでした。
でもね、親戚の諸事情があり、高校の時に急に我が家にピアノがやってきましたね(笑)
私のおぼろげな記憶ですと・・・
ある派手な(!?)親戚のおばさんから100,000円で買ったらしい。
もうすっかり幼稚園の先生の夢が無くなった高校の時にピアノが来たので、当時の私は、「もう遅いよ・・・」とその時思いました。
ところで、私がなぜ幼稚園の先生になりたかったかと言うと、自分の実体験が元になっています。
私は幼い頃、長崎市片淵2丁目に住んでいました。
そして、年中さんからあけのほし幼稚園と言うところに通い始めました。
(今もあるのかなぁ?)
自分の記憶では、玉屋&電車の線路も超えて行っていたような気がします。
当時の担任の女の先生の名前は忘れちゃいましたけど、20代の先生だったかな?
ちょっと厳しかったイメージがあります。
ある日のことです。
突然、鉄棒ををすることになりました。
小さい順に並んで、「さぁ、1人ずつ、鉄棒の前回りをやりなさい」と言われたのです。
実は私、これまで鉄棒で前回りをしたことがなかったのです。
なので、怖くてたまりませんでした。
地面に落ちるんじゃないか・・・と恐怖を感じたのです。
当時、私は背が高く、後ろから3番目。
先生に促され、小さい順に1人ずつ、鉄棒を回り始めました。
1番前に並んでいた女の子が怖い怖いと言って、泣き出し、結局回ることができませんでした。
その後、2番目の子から次々に前回りをしていきます。
私はドキドキして自分の番が来ることを恐ろしく思っておりました。
とうとう私の順番になりました。
お腹に鉄棒を当て、何度も勇気を出しましたが・・・
やはり、落ちそうで落ちそうで・・・
怖くて、どうしてもくるりと回ることができませんでした。
先生から
「早く回りなさい!」と強い口調で言われたのを覚えています。
結局、鉄棒の前回りができなかったのは、クラスの中では、その小さい女の子と私の2人でした。
今、よーーーく考えたら、その女の子はI江晶子ちゃんだと思います。
はっ!
( ゚д゚)ハッ!
今、思い返すと・・・
小学校5年生の時に同じクラスだった!!!
彼女は寡黙症の女の子で、学校では一言も声をださない女の子でした。
(家では喋るらしい)
しかも、彼女がいつだったか転校していったとき、配ったノートが1冊余ってて、
先生が「誰か好きな人にもう1冊あげたら?」と言って、
彼女が私の席のところにトコトコとやってきて、はいって手渡しされたんです。
今、気づいた!!!
鉄棒の女の子だ!!!
Σ(・ω・ノ)ノ!
話を元に戻します。
さて、厳しい先生は、晶子ちゃんと私(わたしも明子ちゃんです)に言いました。
前回りが出来なかった人はバツとして廊下に立ちなさい、と。
寒い冬の日でした。
お弁当の時間みんなが部屋の中でお弁当を食べている間、私と彼女は寒い廊下にしばらく立たされていました。
雪がちらついていた覚えがあります。
ガラス越しの教室内でみんながお弁当を食べている様子が見えました。
5歳の私にとって、これは衝撃的な事件でしたね。
それから私は幼稚園に行きたくないと登園拒否をしました。
実際に行かなかったのか、母に無理矢理連れて行かれたのか・・・
それは覚えていません。
母に聞きたいけれど、今の母から聞き出すことは難しい
もっと若い時に聞いておけばよかった・・・
ただ、そのナイスなタイミングで転機がありました。
母は県立短大附属幼稚園の年長さんからの募集に応募していたのです。
(公立だから安い。たぶん、年中のときは抽選に落ちたのだ)
くじがあたりました。
ラッキーなことに、年長から幼稚園を変えることができました。
県立短大付属幼稚園の担任の先生の名前は覚えています。
はたののりこ先生です。
とても明るくて元気なのりこ先生。
私は大好きでした
子供心に、「鉄棒で厳しかったあの先生ではなく、のりこ先生みたいな幼稚園の先生になろう!!!」と決意。
それが私の夢になりました。
この夢は中学2年まで続きましたね。
その後、「なるほどザ・ワールド」のレポーターの女性を見て、夢が変わったんだけど。
今朝、たまたま倉庫をごそごそして、懐かしいアルバムを見つけたので、つい手に取ってみたら私の幼稚園の時の写真が出てきた次第。
これが、年中の時で。
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これが年長のとき。
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