2024年丹沢山麓秦野市への旅 最終回、モチーフとなる曲は「マイフレンド」日本語に直訳すると、私の友達である。今回包括的に、私個人の旅を通しての人との出会いから、政治の場での和平交渉を含めて勧めていく。
2年前 2022年12月4日(日)テーマ曲「負けないで」
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前年同期 2023年12月2日(土)テーマ曲「息もできない」
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前年同期 2023年12月3日(日)テーマ曲「Don't you see!」
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マイフレンドをモチーフにした日記 2024年3月2日付
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第1章 マイフレンドのMVについて 政治の場、エジプトとイスラエルの和平。
1996年1月8日に17作目のシングルとしてリリースされた「マイフレンド」は、ZARDのシングル至上「負けないで」、「揺れる想い」に次ぐ3番目の売上となるセールス100万枚を記録した。ミュージックビデオ(MV)は、サビのコーラスの映像のみ公開されている。後にスタジオで熱唱する映像も組み合わさり、フルコーラスにて作成された。リリース時公開されたサビの一場面で、ジャケットを身につけた坂井泉水は、澄んだ眼差しで、道行く人々とすれ違いながら、通りを歩いていた。舞台はイギリスの首都ロンドンのピカデリー・サーカス周辺である。後に三回忌特番では、レンガ作りの建物を背景に、オレンジのセーターを着て、小刻みにジャンプしてギターを弾く真似する姿も映し出された。
詳細 写真掲載元
https://zard-lab.net/pv/map-28.html

マイフレンドのテーマは、「友情」である。我々の日常生活上、学校や職場、自治体の集会などで築く。国家同士でも、友好関係を結ぶ。周囲を敵に囲まれたユダヤ教国家イスラエルも、アメリカの力を借りて、アラブ諸国との間で国家承認を得るべく、外交努力した。先人を切ったのはエジプトだった。当時同国のサダド大統領は、経済大国のアメリカから援助を引きだすべく、国境を接するイスラエルとの4度に渡る争いに終止符を打つ。1977年11月19日に、極秘でイスラエルの首都テルアビブへ空路で入り、議会演説に望んだ。第3次中東戦争で占領されたシナイ半島の返還を求め、ユダヤ人と共存すると訴えた。当時の演説内容は、多くのイスラエル閣僚の心を突き動かしたとの逸話が残っている。
写真=テルアビブで演説するサダド大統領
イスラエルの政府は、エジプトとの和解により、アラブ諸国との緊張を和らげる目的を抱いていた。ただし、シナイ半島の入植地解体には住民を強制的に移転させることから、否定的だった。イスラエルとの領土問題解決へ向けて、当時の第39代米ジミー・カーター大統領に仲介役を依頼した。人権外交を標榜するカーター大統領は、緊張をはらむ中東情勢を懸念していた。サダド大統領からの要望を引き受ける。1978年9月5日に、イスラエルのベギン首相とエジプトのサダド大統領を、メリーランド州にあるキャンプ・デービッド荘に呼び、会談の場を設けた。カーター大統領は、両者の間に立ち、妥協点を引き出す。エジプトのサダド大統領には、シナイ半島の返還を求める意思を尊重し、ガザ地区とヨルダン川西岸からなるパレスチナ問題の先送りを求めた。ベギン首相には、シナイ半島の防衛の難しさから、エジプトに返還して、協力関係を築く方が国益に適っていると訴える。両首脳共、カーター大統領の提案に賛成し、9月17日に握手を交わした。イスラエルは、1982年までシナイ半島の入植地を解体し、エジプトに返還すると約束した。その見返りとしてエジプトは、パレスチナ問題から完全に身を引き、イスラエルを国家承認する。両者の取り決めを、締結地にちなみ「キャンプ・デービッド合意」という。
写真 左ベギン首相 真ん中カーター大統領 右サダド大統領 写真 掲載元 Britannica
https://www.britannica.com/event/Camp-David-Accords
同1978年にエジプトのサダド大統領とイスラエルのベギン首相は、ノーベル平和賞を共同受賞した。翌1979年3月26日に、ノーベル平和賞を受賞した両首脳が、米ワシントンに招かれ、エジプト・イスラエル平和条約に調印した。
エジプトのサダド大統領は、ユダヤ人が中心となる国家イスラエルを、アラブ諸国でいち早く承認し、西欧諸国から高い評価を受けた。一方でイスラム原理主義者から激しい反感を買い、1981年10月7日に、銃撃を受けて、帰らぬ人となった。マイフレンドの言葉通り、エジプト政府は、サダド大統領の意思を告ぎ、イスラエルと協力関係を築く。2019年、平和条約締結40年の節目には、アフリカ北部や西アジアで跋扈するIS(イスラム国)対策として、防衛協定を結んだ。2021年9月13日には、10年ぶりにエジプト・イスラエル首脳会談が、シナイ半島のャルム・エル・シェイクで行われた。イスラエルの前ベンネット首相とエジプトのシーシ大統領の間で交わされた話の内容は明らかになっていない。現エジプトの軍事政権は、民主主義を重んじるアメリカから非難の的になっていた。シーシ大統領は、ベンネット首相を通して、アメリカとの関係修復を狙っていたとみられている。
写真 掲載元 Mt.OLIVE NEWS 2021年9月15日付 左側ベンネット首相 右側シーシ大統領
2024年現在エジプトは、ガザ紛争において、ハマスとイスラエルの間に立ち、停戦交渉の仲介役を務めている。確かに交渉が難航し、エジプト側は苛立ちを募らせていた。可能な限り、平和条約締結時に立ち返り、双方から妥協案を引き出している。今なお難しい舵取りを迫られている。
作詞者坂井泉水の意思を次ぐ、トリビュートバンド「SARD UNDER GROUND」は、2019年9月18日に4人組みバンドとしてデビューした。2021年5月28日にはギターリストが脱退し、3人態勢を維持した。2024年9月22日(日)デビュー5周年ツアー千秋楽、Zepp Osaka Baysideの公演を終えると、突如ベーシストとキーボードリストが、グループを抜けることが明かされた。10月1日以降、ヴォーカリストの神野友亜によるソロ・プロジェクトへ移行する。二人のメンバーがグループ在籍最終日となる9月30日、友情を誓い、「幸せになろう」の言葉を共有しハグしあう動画を公開した。今回、友情を謡ったZARDの坂井泉水が書き上げた「マイフレンド」の歌詞をテーマに、2024年最後となる第14回目12月7日(土)、第15回目12月8日(日)の丹沢山麓秦野市の旅模様を描く。
第2章 朝日を浴びて、旅のスタート
朝6時35分、小田急線東海大前駅から北へおよそ1km、初めて旅先での朝焼け撮影を行う。南の伊豆大島の当たりから朝日が登り始めていた。筋雲に隠され、オレンジの帯になる。

北側へと移動し、撮影ポジションを変える。太陽が高く昇るに従い、雲から逃れるように顔を出した。周囲一体影が消えて、家々の輪郭や畑も姿を表す。肌寒いとはいえ、淡いオレンジに染まった空の下、澄んだ気持ちになった。ZARDのマイフレンドは、夜明けを告げるかのように、シンセサイザーの高音メロディーが鳴り、サビの一節から始まる。
歌詞:「あなたを想うだけで 心は強くなれる ずっと見つめてるから 走り続けて」
ドラムの音が鳴り、バンドサウンドが入り、アップテンポで、Aメロの歌詞へと続く。
私も、朝日を浴びることにより、爽快感に浸り、東海大学前駅に向って、下り道を駆け抜けていった。
下り方面に隣の秦野駅へと移動し、南側の標高190m渋沢丘陵の高台を目指して、走り出した。駅から徒歩5分、今泉名水桜公園に隣接した一本のイチョウの木は、真黄色に染まっていた。木のそばで鎮座するお地蔵さんが、訪れる人々を見守っているようだった。池の南側から茶色味がかったベニシダレの木の葉越しに眺めると、真黄色に染まったイチョウの木は、菱形を保っているように見えた。湧き水の音を聞いて、心をとぎ済ませ、再出発する。
歌詞:「ひたむきだった。遠い日の夢は、今でも眩しい」
かつての自分は、夢を追っていた。目標に向って一途に前に進む姿は、懐かしく、思い出として、今なお残っている。
歌詞:「どんなに不安がいっぱいでも 真っ直ぐ自分の道を信じて」
成長すると、悩むことがある。人生は一度っきり、後悔しないように、与えられた道を進み続けるだけだった。
次の一説は、恋人目線で語られている。
歌詞:「飾らない素顔のあなたが好き 変わってしまうことが悲しい」
人は、時に強がってしまう。難しいことを出来ると宣言することで、見栄っ張りだと映ってしまう。進学や就職で境遇の変化が激しい若いうちは、いかに現実を直視できるか、今後の人生を左右する。
丘陵地の入り口秦野桜道の手前、白笹稲荷神社へと足を向けた。不思議にも、向かい合う二つの鳥居は、それぞれイチョウとモミジを従えているようだった。イチョウの木の背後には、小さめの鳥居が立つ。イチョウの木は、水分を多く含み、不燃性が高い。火事にも強い性質から、人々は、霊木として願いを託してきた。一方モミジは、風水上火のエレメントである。情熱を育み、決意を生む。
敷地の裏手には、幾分小さくはあるが、真っ赤な色合いの鳥居が、幅の狭い階段を覆うように、短い間隔で続いていた。生い茂った木々の葉によって日差しが遮られ、湿り気を帯びる。どこか別の世界へ繋がっているのだろうか、しばらく佇んでいると、足音によって正気に返った。一人の職員が、幾分腰を屈めながら、鳥居を潜り抜けるように階段を上ってきた。挨拶をして、その場を離れた。
秦野桜道を横切り、渋沢丘陵をハイキングする。畑地から周囲を見渡したところ、翼を広げて滑空する一羽の鳥に目を留めた。正体は平均体調30cmのハヤブサ科チョウゲンボウだった。小さなネズミを狩るうえで、畑地へと飛来したのである。めぼしい獲物が見つからず、木の天辺から翼を広げて、飛び去っていった。鳥の観察に夢中になっていたところ、尾根沿いの農道で、車を降りてきた一組の農家と対面した。3月3日にも顔を合わせた間柄である。花の種類が乏しい冬へ向う中、大根を植えるとのことである。仕事を引退して野菜作りをする中、ハイキングする旅人や、同じ野菜つくりをする農家と交流を深めているという。作業を通して、マイフレンドを作っていた。丘陵地から裏手の薮の中から忽然と姿を表す中井町と跨る震生湖は、一部工事による通行止め。静かな湖畔沿いから1枚、パシャリとシャッターを切った。

秦野駅へと戻り、午前9時30分蓑毛行きのバスに乗り、青年橋停留所に隣接する古民家「緑水庵」へと足を運んだ。11月24日の夜間に出迎えてくれた2人の職員が、扉を開放し、水廻りの掃除を行った。庭先のモミジの葉っぱは、若干萎れているとはいえ、色味を保っていた。周辺の険しい坂沿いには、民家の前に畑が広がっていた。静かな山里に咲くモミジは、季節の変わり目を教えてくれる。
写真=法蓮寺 写真=緑水庵

サビの歌詞:「いつも輝いていたね 少年のまま 瞳はマイフレンド」
太陽光を照り返す赤く色づいたモミジの葉は、夢を追って目を輝かせる少年の眼差しに似ていた。「美しい変化」、「調和」の花言葉が示すとおり、人々は季節ごとに色合いが変化する葉っぱを見つめていた。庭園を中心に植栽することにより、秋に真っ赤に燃え上がる様子に、心を奪われていた。
歌詞:「あなたが そばにいると 何故か素直になれた」
見方を変えれば、赤は、ハートにも映る。
歌詞:「この距離通り抜ける 風になりたい」
<Aメロのサビ終わり>
山間の蓑毛町は、丹沢山塊から、乾いた風が吹き抜けていく。冷たくもあり、またさわやかでもあった。
第3章 葛葉自然の家、カルチャー・パークへ
葛葉峡谷を中心とした緑地内の簡素なログハウス、自然の家では、クリスマスリースが飾られていた。作品の一つ、自然のモミの木を編み、タヌキ、アナグマ、タイワンリスが、遊ぶ様子を表現していた。敷地の外は、ほっそりとしたモミジが聳え立つ。風ではらりと舞い散り、欅の葉と共に地面を覆っていた。枝先の葉と落ち葉の距離が短い分、日差しを遮ると、色が濃く出る。光の性質によって、一変する世界に魅了された。

次の秦野運動公園内では、陸上競技場を取り囲むように、モミジやイチョウが林立する。秦野市立西中学校時代、坂井泉水は、陸上競技の選手として競技場を駆け抜けていた。バラ園では、12月にも関わらず、しっかりと咲いている株も見つかった。その一種「イズノオドリコ」である。黄色のバラの花言葉は「やさしい心づかい」、それほど派手さはなく、こじんまりと咲く様子から、そっと見守ってくれているようだった。

秦野駅へ向い、水無川沿いへ移動すること、隣接するペコちゃん公園に入った。子供たちが、列を作りながらローラー滑り台を利用していた。木の葉の庇を潜り、遊具の反対側へ回る。真っ赤なモミジに負けないほど、射抜くような視線を投げかける竜のオブジェの前で、思わず足を止めた。子供の頃、誰しも友達と喧嘩をしたことがある。竜は、悪い行いを取り締まるべく、睨みを利かしているようだった。

第4章 厚木市飯山観音へ
午後3時前に厚木市飯山観音へ到着し、日暮れ時から始まるライトアップイベントに備える。この日は、由緒ある「長谷寺(ちょうこくじ)」へ続く階段広場にて、来場者に無料で、とん汁と共にあゆの塩焼きが振舞われていた。塩焼きは、整理券による配布制、観光協会の温かいもてなしにより、イメージアップにも繋がった。

陽がかげる前に駆け込むかのように、広場に隣接した白山森林公園を隔てるシカ避けの柵を開けて、モミジスポットへと向う。人の気配が少なく、不安がよぎり、すれ違った年配の男性に声をかけた。現地で人が残っているとの言葉を頂、安心感を得て、森の中を進んだ。いつの間にか灰色の雲により、日差しは遮られていた。根元がケヤキの葉に覆われた中、モミジの木は大きく枝を張り出している。生命力溢れる姿に、太古の昔から躍動する息遣いが聞こえてくるようだった。
Bメロへ
歌詞:「本当の愛なら きっと いろんなこと 乗り越えられたのに」
帰り道に人生についても振り返った。恋というのは、時に思いつきだったりもする。付き合っているうちに、一種の意見の違いから、破局へと繋がる。
午後4時30分には、元の場所に戻った。ライトアップの開始時刻は午後5時と案内されていたものの、10分程前倒しで行われた。
山々に抱かれて、厚みのある三角屋根のお堂へ続く参道脇に整然と灯ろうが並ぶ。日中粛然たる雰囲気に包まれる境内で、ハイキング客は両手を合わせてお祈りする。日暮れ時、一つ一つの石灯篭に蝋燭をセットし、火を入れる。お堂にはライトが当てられた。石灯篭の中で火が灯る様子から、死者の魂を清めているようである。参道に並ぶ灯ろうの一つ一つに、蝋燭の火が点される長谷寺は、崇高で神秘性を増す。反対へ向くと、横浜のランドマークタワーへ続く町並みから明かりがおぼろげに浮かび上がっていた。

歌詞:「星空のパレード 涙がこぼれないように 大きく息を吸った」
一歩先の闇に抱かれた長谷寺はまるで冥土、反対側は、眺望が開け、生活観が漂う町明かりを眺められる。我々撮影者は、この世とあの世を分かつ境界に立つ。
歌詞:「ひとりでいる時の淋しさより 二人でいるときの孤独の方が悲しい」
自然と夜景に惹かれ、階段を下りていくと、森林公園とを隔てるゲートの入り口の先で顔を合わせた年配の男性と再会した。聞けば、毎年厚木観光協会の写真コンクールに応募し、入賞をしているという。現に豚汁とアユの塩焼きを振舞う広場に、入賞作品のパネルが立てかけられていた。その人とはSNSでの連絡先を問い合わせたところ、快く応じてくれた。
詳細 あつぎ観光ナビ
https://www.atsugi-kankou.jp/site/atsugi-flower/kankou-photokon2.html
マイフレンドになってくれた御礼に、三脚を貸してくれた。しっかりとカメラを固定ししてシャッターボタンを押すと、背景の紅葉までくっきりと写った。私は、旅先で一人経験のあるカメラマンと出会い、実りある一日目を終えた。
第5章 12月8日(日)ライトアップ緑水庵 下半期の旅を振り返る。
2日目の午前10時代、厚木市の森の里若宮公園に足を運んだ。坂井泉水が、通っていた松蔭女子短大前の道路は銀杏並木と化す。一方公園内はモミジの木が育つ。凛とした趣を成す風月邸は、モミジに彩られると、格調高雅で気品に富む。森の里中央大橋から松蔭女子大学へと続く階段からは、モミジの葉っぱ越しに、丹沢の峰々を望む。彼女の作詞の原点は、ここ森の里にもあった。

午後から移動した秦野市弘法山公園内の綿羊の里では、傾斜地にイチョウの木が育つ。既に絨毯と化していた。真黄色の落ち葉と枝についた葉っぱを眺め、心を研ぎ澄ませた。
花言葉の一つ「鎮魂」は、亡くなった人の魂を慰める効果があると信じられていた。坂井泉水はわずか40歳3ヵ月半の人生で、結婚することなく、両親と共に過ごしていた。中学時代からお茶目でジョークが好きだったという。伊勢原市石志田高校1年在学時には、一年上の先輩に恋をしたとの逸話が残る。当時校内のミスコンで優勝し、他校の生徒がのぞきに来るほど、容姿の良さに定評があった。一躍脚光を浴びた彼女だが、最初の恋は失敗したという。当時同級生は「あんなに可愛いサッチ(本名蒲池 幸子)を振ったなんて信じられない」との思いを共有していたという。高校時代にも休み時間にノートを書く習慣を持っていた。坂井泉水の失恋は、長寿のイチョウの木が慰めてくれるようだった。
渋沢駅から北へ4,1km、標高340mの戸川公園では、一陣の風によって、モミジが散り始めていた。11月23日にライトアップ撮影したお茶屋さんの敷地内では、モミジはしっかり葉を付けていた。ししおどしの乾いた音が響く中、沢の流れに耳を済ませた。枝から落ちた葉っぱを流し、池に落ちていく。日々、景観が移り変わっていく様子を感じた。

夜景撮影の舞台は、前日の朝型訪れた渋沢丘陵の尾根沿いの畑、澄んだ空気によって、秦野の町の背後から、丹沢の峰々が影絵のように浮かび上がる。その麓で、人々は日常を過ごしていた。

午後5時35分に秦野駅から蓑毛行きのバスに乗り、前日の午前10時に訪問した緑水庵へと足を運んだ。当時公開準備をしていた2人の職員の姿はなく、同じ自治会のメンバーの一人が、来園者を迎えてくれた。陽は完全に落ちて暗闇に包まれるなか、モミジの赤みが強調される。ミルクティーを戴きながら、思いにふけった。
駐車場が整備され、広くなった影響から、気軽にドライブがてらに入れ替わりに人々が訪れる。皆モミジの葉を通して、感情移入した。一年の最後に真っ赤に染め上がるモミジは、われわれ人々の熱い情熱を映し出しているようだった。
Bメロのサビの歌詞:「いつも 笑っていたね あの頃二人 せつない My Freiend 」
いつの時代も変わらず、モミジは季節がくれば、緑から赤に変わる。我々の日常の変化を、言葉を発することなく、見守ってくれていた。
歌詞:「あなたを想うだけで 心は強くなれる。」
誰か支えになる人の存在によって、精神的にタフになる。用意された鏡張りの机を利用して、撮影を始めた。カメラを載せて、目線を低くして撮影する。不思議なことに、庭先の真っ赤なモミジがミラーに反射することにより、現実の世界と鏡の世界が対になった。リフレクション写真は、我々人が生み出した芸術の領域である。
歌詞:「ずっと見つめてるから走り続けて」
<Bメロ終わり、続くCメロのサビの歌詞はAメロと一致>
ヤビツ峠の麓蓑毛にて、独特な写真を撮れて達成感を味わった。
Cメロのサビの最後の一節:「走り続けて」
<終>
最後に、2024年下半期の同地域の旅模様を紹介する。
第7回目6月16日(日)上半期のまとめ テーマ曲「かけがえのないもの」
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第8回目8月12日(月・祝)テーマ曲 SARD UNDER GROUND「夢で逢いましょう」他エジプト・イスラエル和平について
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第9回目10月13日(日)第10回目10月14日(月・祝)第11回目11月3日(日)テーマ曲「こんなにそばに居るのに」
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写真=上記の日記より 11月3日 西田原でのそば畑
第12回目11月23日(土・祝)第13回目11月24日(日)テーマ曲「あなたを感じていたい」
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写真=上記の日記より 11月23日 戸川公園のライトアップ
我々には、未来がある。緑水庵のライトアップは、後世へ文化を継承する目的で、2009年から実施された。確かに駅から遠く過疎化は進む。今自治会のメンバーが、一体となり、山の下草借りや、花を育て、荒れ果てつつあった土地の再生にも挑んだ。帰り際に、秦野駅からおよそ1km、さかえちょう公園にて、地元民らしい、子連れの家族と同じ空間で、イルミネーションを見学した。ライトアップされたクリスマスツリーと、小さなサンタやトナカイの姿から、幸せを分けてもらったようなハッピーな気持ちになった。

社会生活を営むうえで、我々は共に励ましあい、手に取り合って生きてきた。マイフレンドが多ければ多いほど、情報網が広がり、充実した生活を送ることができる。私自身、駅観光案内所に立ち寄り、貴重な情報を戴くことにより、効率よく季節に応じた旬のスポットを巡ることができた。2日連続、午前中と午後、両方に訪れ、職員には「2025年もよろしくお願いします」と挨拶した。8日の午後には、現場にいた一人の職員に、何度も市内を訪れる分けを語った。「ZARDの坂井泉水さんを思い、旅をするようになりました。彼女の世界観を実に感じることができます。来年も彼女を追い求めて、訪れます」
秦野市は、2025年に市制定70年を迎える。清らかな湧き水に育まれた盆地や畑地が残る丘陵地、登山客が向う山岳地帯まで多岐に渡る。坂井泉水が一つ一つつむぎだした言葉を、各スポットにて感じることができた。彼女の思いは、永遠に人々の間で受け継がれていく。
写真 掲載元 What a beautiful moment [DVD] BOOKレットより
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