<秦野市への旅 2024年第12回から第13回 テーマ曲「あなたを感じていたい」>
目次
第1章 出発地、座間市の里山で
第2章 秦野市へ
第3章 11/24(日) 寒川町の冬のひまわり 相模川でカワアイサを観察する
第4章 蓑毛の緑水庵で、過去と未来を語る
前回同地域の旅 10月13日(日)14日(月・祝)11月3日(日・文化の日)テーマ曲「こんなにそばにいるのに」
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前回の旅 東京都青梅・奥多摩 11月17日(日)テーマ曲「淡い雪が溶けて」
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前年同月秦野市周辺の旅
11月23日(金・祝)テーマ曲「GOOD DAY」
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12月2日(土)テーマ曲「息もできない」
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12月3日(日)Don't you see!
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ZARDの坂井泉水の故郷秦野市を中心に巡る旅、モミジが色づき始めた11月23日(土・祝)と24日(日)に訪れた。テーマ曲は、1994年12月24日にリリースされた13作目のシングル「あなたを感じていたい」
写真=シングルジャケット
同曲は、発売当時NTTドコモ・ポケベル「パルフィーV」のCMソングに起用された。作詞者坂井泉水によると、温かくて、抱擁感のある女性を主人公に選んだという。2006年10月25日に「Golden Best 〜15th Anniversary〜」をリリース時に、作詞時のエピソードを次のように語った。「白い吐息で、“ああ、冬が来た” と感じることはないですか?寒い薄暗い朝に、母親のような母性を感じさせる女性が両手を口のところに持っていくその仕草に色香を感じるのですが、そんな女性がこのストーリー (詞) の主人公です」
スタッフも歌詞の印象を次のように述べた。「(今年は) それぞれの冬選び 想い出に手を振った〜という (歌詞) 一節がいいですね」
リリース時はクリスマスイブ、冬を意識した内容に仕上がっている。トリビュートバンドとして世に送り出されたSARD UNDER GROUNDは、2020年10月7日に発売した2作目のアルバム「ZARD tribute�供廚貌蔚覆離�ヴァーを収録している。ZARDのオリジナル版と比べると、バックのサウンドがよりリズミカルで、テンポが速くなっていた。
写真=SARD UNDER GROUNDのあなたを感じていたいのMV
今回の旅物語においては、引き続き故郷を離れたことをきっかけに失恋した若者にたとえて勧めていく。非日常的な空間を求めて一人旅することを「リトリート」という。心身ともリフレッシュして、自分と向き合うことを目的とする。実際に物語の主人公が辿った行程は、私の訪問地と一致している。物語を通して、経済成長著しかった昭和時代と、現代の令和時代と比較していく。
第1章 出発地、座間市の里山で
11月23日、朝7時30分頃訪れたのは、座間市の相武台前駅から下りへ一駅崎の座間駅にかけて続く、かにがさわ公園と谷戸山公園だった。空はからりと晴れ渡り、日差しも届いていた。花壇に咲く冬のヒマワリは、茎がしっかりと伸び、所狭しと立ち並んでいた。まさに「手の平を太陽に」の言葉通りの光景を見守った。ヒマワリの花言葉は、「あなただけを見つめる」である。歌詞「あなたを感じていたい」では、遠くから恋人を見つめる主人公の姿が映る。

歌詞:「ねぇ そんなにしゃべらなくても 私笑っていられるから」
旅を通して青年は、街中に咲く花と出会い、ポジティブな気持ちになった。出会いと別れは、起こるべくして起こったこと、人生まだ先があるはずである。続く歌詞では、今の思いを綴っている。
歌詞:「誰もいない駅のホーム それぞれの冬選び 思い出に手を振った」
写真 掲載元 TOKYO VICTORY 2016年12月24日付
https://x.com/tokyo_u_victory/status/812477956664610816
丹沢山麓秦野市への旅は、都会とはかけ離れた里山に身を置き、日常世界と切り離して考えるためである。駅のプラットホームから、一歩外へ出れば、新たな自分への出発だった。
あっという間に通り過ぎる、かにが沢公園から、徒歩10分の距離に位置する谷戸山公園へ向った。園内に育つコナラが、黄緑に染まっていた。ミズナラやエリノキなども同色になる。昭和の里山を象徴する炭焼き小屋がひっそりとたたずんでいた。子供の頃、大人達に見守られ、斧を振るって、薪を割った体験が蘇った。
サビの歌詞へ
「あなたを感じていたい たとえ遠く離れていても」
過去は過去と割り切ることはできなかった。周囲一体木々に包まれ、遠い記憶が呼び覚まされた。
「ときめく 心止めないで みんな 見えない明日を探している」
写真 掲載元 Pin page
https://jp.pinterest.com/pin/zard--676877019016118717/
誰しも先のことがわからず、不安がよぎる。現に少子高齢化が進む日本の将来像を描くと、暗い見通ししかたたない。悲観することではなく、現実を直視し、備えが大切である。
丘陵地を下り、谷戸部の湿性・生態園へと向った。10月13日、田んぼには刈り終えたばかりの稲がびっしりと積み上げられていた。現在冬へ向けて、苗を植えていた。
心の中の時計は止まっていても、着実に人々は年齢を重ねていく。田んぼも春へ向けて一歩進んでいた。
歌詞:「約束なんて何もないけれど 変わらない 二人でいようね」
<Aメロの歌詞終わり>
40日ぶりに同じ座間市内の二つの公園へ足を運び、変わりゆく景色を堪能し、素直に恋人への思いを打ち明けた。
第2章 秦野市へ
午前10時台、実朝祭が開かれている秦野市内の「田原ふるさと公園」、毎年11月23日に祭日を固定し、秦野市内の行政の担当者らを呼び、催しを行っている。公園内の首塚となる五厘の塔の前で、法要がおこなわれていた。あの鎌倉時代の歌人としの顔を持つ武将源実朝の首が埋葬されたとの逸話が残る。実朝は、甥の公卿によって殺害された。その公卿は、秦野市内に拠点を構えた武常晴によって討殺されている。公卿が、実朝をしとめた証に切り取った首の行方はわかっていないのである。凶刀に倒れた実朝を弔うべく、地元の武将波多野忠綱が、33回忌に合わせて、西暦1250年に金剛寺を壮健した。ふるさと公園から北へ道路を挟んで向かい側に、お寺が鎮座している。境内への通り沿いと、敷地内にはキダキチョウセンアサガオというトランペットの形をした植物が育っていた。ほっそりとした花びらは、全て下向きに垂れ下がっている。国際自然保護連合(IUCN)では、EW(野生絶滅)として登録されていた。元はアンデス山脈の標高2000mから3000mに自生していた。花言葉は、「偽りの魅力」、「あなたを酔わせる」
奇妙な姿から、現実離れした世界を想像できる。Bメロの歌詞には、魔法に取り付かれ、幻想を夢見る旅する若者の心境を語っている。
歌詞:「ふるえる口唇 ふさいで 別れ際 いいかけた言葉に」
敷地内で密集するトランペットツリーを撮影する中、過去の自分に立ち返っていた。彼女との最後の言葉、実ははっきりと思い出せなかった。

この日は、年に一度、金剛寺の公開日、住職さんは、秦野市長を始め、役員の方々を付きっ切りで、案内していた。
774年の歴史を刻んだ由緒あるお寺は、神域感が増す。敷居がなく、開放的な空間は、夏でも風がよく通る。悲運の武将として語り継がれる実朝、その末路には同情した。
敷地から外へ出て、公園から南へおよそ1km、葛葉峡谷へ向う道程では、実に切ない気持ちになった。
歌詞:「もう逢えない気がした。独り歩く街中が にじんだキャンドルでいっぱい 切なくて」
子連れで仲良く祭へ向う人々とすれ違い様、逆方向へ向う自分が、孤独だと気付かされた。我々人は、実際事が起こる前から「予感を抱く」その前兆現象は、故郷を離れ、都会へ向ったことにあった。
次の舞台「葛葉峡谷」は、都会の喧騒からかけ離れ、川のせせらぎが聞こえる。緑地として保存対象となり、簡素な小屋から成る「葛葉の家」では、週末を通して文化的活動を行っている。1987年に、緑地として「かながわのナショナルトラスト」第一号に認定された。
峡谷にかかるつり橋を渡り、河川敷へ出た。注意していないと通り過ぎてしまう程、小さな敷地内で、川と木々が織り成す自然の雄大なスケールを体感した。紅葉は始まったばかり、川沿いは冷え込みが激しく、色づきも進んでいくとみられる。
渓谷から出ると、現実に引き戻された。バス便で秦野駅へと戻り、観光案内所に紅葉情報を聞いた。今年は11月中旬まで気温が高かった影響により、平年より遅めである。電車で下り方面に隣の渋沢駅まで移動し、大倉行きのバスに乗り、戸川公園へと向った。丹沢の峰々に包まれた園内では、水無川の両岸を、風のつり橋が結ぶ。対岸の御茶屋の敷地は、23日と24日はライトアップを行う。モミジの葉は緑色とはいえ、微妙に赤く変色しつつあった。吹き抜ける風を浴びる中、思い出を振り返った。

Bメロのサビの歌詞へ
歌詞:「あなたを感じていたい。白い吐息の季節の中で」
四季を通して足を運ぶ公園内で、自分自身の心の移り変わりを、色合いを変える木々の葉っぱにたとえていた。若葉が萌え出る5月、さわやかな空気に包まれ、気持ちは弾んでいた。朝晩冷え込む11月、木の葉が赤く色づき、散り行く姿を見て、いかに人の心は繊細で傷つきやすいか学んだ。
歌詞:「今すぐ飛んでゆきたいけれど 全てを捨ててゆけない私がいる」
確かに一度決めたことは、後戻りできない。後悔先に立たずの諺どおり、自分が選択した進路には、責任を伴うのである。
歌詞:「口に出さない やさしさが痛い 窓の外は雪に変わった」
<Bメロ終わり>
モミジは色づき初めであるものの、欅の木は、一陣の風によって、はらりと落ちていく。例年2月に開花する河津桜は、ほぼ全て葉を落としていた。むき出しの木々のそばで、白や黄色、紫の花を咲かせる菊の花壇、刹那さとときめきを抱きつつ、鑑賞に浸った。

「信頼」、「高貴」、「高潔」、「高尚」を含む4つの花言葉から、厳粛で格調高さが際立つ。それもそのはず、古くから皇室や宮家の紋章に用いられていた。威容を放つ風の釣り橋を背景にすると、重厚的で気品に富む。夜間ライトアップに備え、LEDライトが取り付けられた。日暮れ時、様相は一変する。
午後2時ごろ、秦野駅から北西へ約1km、丹沢美術館と向かい側の本町公民館へと足を運んだ。丹沢美術館は、ビルの2階建ての一室、定期的に地元秦野市在住の美術家の作品を中心に展示会を開催する。Facebook
https://www.facebook.com/tanzawa.art.m/

11月20日(水)から24日(日)の会期で行われたのは「竹原由貴 彫刻展」作者も同席した。一体一体、一ヶ月かけて作成するという。プロフィールを見ると、1973年生まれの51歳、若い頃は油絵を書いていたと答えてくれた。堀が深い外国人はモデルの対象になりやすいと述べていた。髪形を変えることにより、それぞれ個性が出る。オールバックにしておしゃれな若者、後ろ髪を団子にする女性を含め、多岐に富んでいた。それぞれの作品に視線を注ぐことで、些細な変化を見極められる。作品作りにおいて、他人を見て学ぶことから始まる。
向側の本町公民館では、市民サークルのアート展を随時開催している。周期的に展示を変えるという。ひきつけられたのは、海外の町並みをモチーフにしたひとりの作者の2点、左側のモデルとなった町はフランス共和国のオンフール、右側のモデルの町はチェコ共和国のチェルスキー・ワルムロクである。水辺に聳え立つカラフルな色合いの町並みは、「メルヘンティック」な光景に写った。
芸術品に触れることにより、感性が研ぎ澄まされる。一端秦野駅へと戻り、駅南口から徒歩5分、今泉名水桜公園にて、小休憩した。湧き水が供給される中、毎年越冬するオカヨシガモが羽を休めていた。園内の桜の花は、一枚、一枚と、枝からはがれ落ちていく。冬支度に入り、春にピンクイロの鮮やかな花を咲かせる。
第3章 11/24(日) 寒川町の冬のひまわり 相模川でカワアイサを観察する
前回寒川町の訪問 2022年11月27日(日)テーマ曲「新しいドア〜冬のひまわり〜」
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11月24日(日)午前9時ごろ、相模川沿いの寒川町に咲く冬のひまわり巡りを行った。スポットは3箇所、一つ目はJR寒川駅の「相模線路沿いの畑」、2つ目は相模川に面した「川とのふれあい公園」、3つ目は、寒川神社の向かい側の「畑の中にあるイベント会場」
写真=寒川駅の南側 写真=川とのふれあい公園

イベント会場のみ入場には、協力金100円を支払う。会場内では、柿の木の根元に、ひまわりが咲きそろっていた。足元の植物が冬支度に入る中、真黄色の花は、それぞれ異なる方向を向きながら、太陽に向って背伸びしているようだった。小さい子連れの家族や年配の夫婦らが、里山に咲く小さくても可憐で力強く土に根を張るヒマワリを手にとった。現地では、ヒマワリの摘み取り体験として、持ち帰り販売を受け付けている。5株までの値段は500円だった。冬が近づくたびに、田んぼの土を均す中で、密集して咲くヒマワリは、地元民の心にも彩を添えていた。

寒川町から離れ、相模大堰付近では、毎年越冬しているカワアイサの集団に出会った。河川敷の葦原の中の道なき道を進み、護岸の上で三脚を設置したカメラマンが並んでいた。距離は50m程、コンパクトデジカメのスーパーズームをかけると、姿が映った。羽を持つ鳥は、気まぐれとはいえ、カワアイサは相模大堰沿いで毎年飛来する。
以下 カワアイサの名前の由来 武陽ガス 第50話 万葉集にも謡われたカワアイサ
https://www.buyo-gas.co.jp/public/bird/bird50.php
名前の由来は、秋早くに北国から訪れることにあるという。秋早が転じて、「アイサ」になったとの説がある。万葉集にもカワアイサを示す一説がある。「山の際(ま)に
渡る秋沙の行きて居む
その川の瀬に波立つなゆめ
(山を越え渡ってきた秋沙のために、
川よ波立たないでおくれ)
詠み人知らず」

主食は魚類であるものの、甲殻類も口にするという。カワアイサの飛来により、秋の深まりを感じられる。時計を持たなくても決まったパターンで行動する鳥は、季節の移り変わりを教えてくれた。
第4章 夜景撮影へ 11月23日(土・祝)戸川公園ライトアップ 11月24日 北矢名からの夜景、緑水庵のライトアップ。
11月23日(土・祝)昼に訪れた戸川公園へもう一度足を運んだ。午後4時30分には現地入りし、空はまだ明るいながら、陽は沈みきっていた。風の吊橋を装飾するLEDランプが点灯する中、対岸の「茶室おおすみ山居」へと向う。中では音楽コンサートが開かれていた。剪定された松の木、清らかな湧き水が流れる沢沿いにかかる橋、純和風的な平屋建ての茶室の明かりが、温かみを添える。

Cメロのサビへ
歌詞:「あなたを感じていたい。銀色の季節の中で」
園内に咲くイロハモミジは、緑から赤へ移り変わる時だった。木の葉が色づいて、一陣の風で散っていくと、冬の到来である。
歌詞:「輝き続けてほしい だけど都会のスピードに流されないで」
照明が当たったモミジの木と木の間から、風の吊橋のケーブルを支える塔が聳え立つ。ライトに当たり、赤みがかっていた。両岸を結ぶ格調高い橋は、日暮れ時、装いを変える。空は青みを帯びているものの、湧き上がる雲によって、天井の世界から閉ざされているようだった。
歌詞:「待っているからと どうしてあの時 素直に 言えなかったのだろう」
<歌詞 終わり>
敷地の外へ出て、ほぼ橋梁と同じ目線に立つ。湧き上がる雲に負け時と、LEDライトに照らされ、威風凛々とした姿から、圧倒的な存在感を放っていた。

暗闇の中でライトアップされたお茶室のモミジと風の吊橋のコラボレーションは、非日常的な空間を演出する。人は、時に普段と異なる世界に入ると、見つめなおすことができる。心理学では、普段の環境から離れ、別世界を求めることを「リトリート」という。いつもと違う空間や場所で、新しい世界に触れることで、思考が変わる。彼女との別れは確かにせつない。思いを伝えられず、音信が途絶えた。物静かな空間で、係員が来園者を誘導してくれる。係員と会話したところ、昨年よりも紅葉は遅めと答えてくれた。風の吊橋について、空が青みを帯びた段階は、写真栄えするとの印象を語った。もちろん、完全に暗くなると、背景の山並みが消え、雲の動きも見えなくなる。橋桁に寄り添うモミジの真っ赤な葉がライトに照らされ、格調高雅な美しさを感じる。係員も昼間とは、全く違う世界だと感想を抱いていた。
第4章 蓑毛の緑水庵で、過去と未来を語る
翌24日、小田急線の東海大学前駅から、北側の斜面に並ぶ北矢名の住宅から撮影する。視界は南側に開け、海沿いの二宮町、平塚市、茅ヶ崎市の町並みを一望できる。ゆっくりと明かりが浮かび上がる様に、心を奪われた。周囲は閑静な住宅街、物音が立たず、人々は静かな日常を過ごしていた。
写真撮影時刻 16時53分
午後6時から舞台は、蓑毛にある古民家緑水庵、今年から駐車場が広くなり、ドライブがてらにも気軽に立ち寄れるようになった。建物は1930年(昭和5年)に今泉地区に建てられた。当時の主芦川家は、タバコ産業で生計を立てていた。跡継ぎがなく、辺鄙な場所であるがゆえに、空き家になったとみられる。1991年に、蓑毛に移築され、2020年に国登録有形文化財に指定された。ライトアップ期間、日暮れでも扉は開放され、中にいる二人の係員がもてなしてくれた。そのうちの一人とは、昨年以来の再会だった。奥ゆかしい日本の風情ある古民家を彩るのは、4色の傘だった。縁側に机を並べて食事している人に遠慮して、撮影は遅らせた。

二人の職員とお茶をしながら、秦野市内の名所を中心に語り合った。聞けば二人とも、先祖代代土地を守っているという。ヤビツ峠の麓蓑毛と秦野駅を結ぶバスが、原則1時間に1本まで減らされた件について、不便になったと答えていた。昔は、稲作を行っていたという。稲を育てるうえで、水の管理に神経を費やす。機械の購入費用も嵩んだ影響からか、今は行っていないとのことだった。米の値段は2024年時点で、前年比1,5倍に達するほど高騰している。コロナ禍後の円安物価高の影響で、肥料の値段が上昇することで、米農家の暮らしは良くなっていないという。食料費の高騰は、生活に余裕のない人々を苦しめることになる。旅の青年は、半世紀前、1971年8月にアメリカのニクソン大統領時代の「物価統制法」を持ち出した。1965年から始めたベトナム戦争の介入により、戦費が嵩み、物不足からインフレに陥ったのである。同8月15日には、米ドルを機軸とした固定相場制が終了した。米ドルの価値が相対的に下がり、輸入物価が高騰した。ニクソン政権は、公的資金を投入して物価上昇を和らげる。企業側にも労働者の賃金上昇を抑え込み、安定的な経営をサポートした。1969年のインフレ率5,4%に対して、72年はインフレ率3,3%まで下げた。確かに物価の急激な上昇は、国民の懐を痛める。政府が手を打つことにより、企業側も労働者側も負担が軽くなった。法的盲点は、公的資金の使い道が不透明なことである。一部の業種に資金が流れ込み、経済構造にゆがみが生じた。73年には公的資金の投入額を減らし、74年3月に4年間の期限満了を持って失効した。同年ウォーターゲート事件の嫌疑が降りかかり、ニクソンは大統領職を任期3年残して辞任した。1973年末、1974年末にはそれぞれ8.7%、12.3%までインフレが加速している。金融引き締めへ有効な手段を打てず、経済は混乱した。
旅の青年は「日本でも、食料品高騰対策として、公的資金を投入するべきではないでしょうか」と意見を発する。係員は、「農家に直接支援が必要」と短く答えた。農業従事者も跡継ぎ不足から、高齢化が進む。一時は土地を集約して、法人経営の道が探られた。日本の農業法人は、資金に乏しく、人材獲得にも苦労を擁した。国内自給率が下がると、海外からの輸入に頼るしかなくなる。円安による打撃は大きい。コロナ禍前の2020年1月から3月と比較して、食料品の値上がりは顕著だった。2024年8月の価格と比較すると、魚介類は25,3%、肉類17,7%、野菜・海藻類21,3%の上昇幅である。最も値上がり率が低いエビはプラス8,3%である。食料品が高騰すれば、娯楽費を削らざるを得ない。一家庭の消費額のうち、食料品に占める割合を示すエンゲル係数は、29,9%である。経済学的に食料品は価格弾力性が低い。なぜなら、必ず食べなければ生きていけないからである。対照的に、生活に不必要なブランド品は、価格弾力性が高くなる。
詳細 写真掲載元 食料品のインフレ率 第一生命経済研究所 2024年10月10日付
https://www.dlri.co.jp/report/macro/381592.html
二人の係員は、日本が物づくり大国として名を馳せた時代を知る世代である。旅の青年は、働けば豊かになると信じて、汗を流す人々の姿が映った。ただし当時、環境汚染も深刻で、自然の森は切り開かれ、宅地に変えられていた。負の面も見過ごしてはならなかった。ここ蓑毛では、地形が険しく、宅地開発には向かない。住民たちが、先祖からの土地を受け継ぐことにより、古くからの文化が根付いていた。経済成長が止まった今だからこそ、自然に目を向け、懐かしい里山に思いを寄せたくなる。若者の間でも、豊かだった日本に立ち返りたいのか、昭和回帰現象がひそかに起こっていた。
駅から離れた蓑毛は、山深くて、若者が離れていく中、地域活性化のために、2009年以降、コロナ禍を含め、秦野市の協力を得て、毎年秋に古民家ライトアップを開催するに至った。午後6時30分を前に、一人の係員は帰宅し、昨年も顔を合わせたもう一人の係員が残り、対応してくれた。

モミジの葉は、緑を保ったままだった。根元に人工的に作られた池に、水を供給してもらう。昨年は、ライトの当て方によって、真っ赤なモミジが、水面に映り込んだ。水による反射光を生かしたリフレクション写真は、真っ赤に色づいた来週以降に挑戦した方が良いとアドバイスをくれた。係員とは来週来ると約束して、例年と同じく、午後7時4分に最寄りの青年橋に到着するバス便に乗って、秦野駅へと戻った。昭和の懐かしき故郷、蓑毛の文化は、着実に令和の時代にも残っていた。
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