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2024年05月19日20:55

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親父の覚書

親父がどんな人間だったか書いておこうと思う。
 工業高校の数学教師で、生徒指導の担当者でもあった。
当時は工業高校が一番荒れていた時期で、毎日のように今日は〇〇をぶん殴ったと話していた。
家ではまさに昭和の頑固親父という感じで、味噌汁が薄いと言って投げ飛ばしたりしていた。
小さい頃からひねくれていた化夢宇留仁にとってはまさに恐怖の大王だったが、化夢宇留仁が成長するにつれて衝突が激しくなり、バイオレンスな日々を送った。
 声が非常に大きく、電話をすると鼓膜が破れそうになった。
声の大きさが周りの迷惑になるという考えが浮かばないので、所構わず大声で名前を呼ばれたりするのが小さい頃は非常に苦痛だった。
 極端な偏食で、食べたことのないものは食べなかった。
「それは食べたことがない」というのが誰にでも通用する一般的な食べない理由だと思っており、お店とかでも普通の顔をしてそんなことを言うのには閉口した。
 化夢宇留仁が小学校に上がるタイミングで家を建てた。
当時は金利が高かったのでローンには非常に苦労したと言っていた。
 碁が好きで、アマチュアでは日本でもだいぶ強い方に位置していた。
化夢宇留仁が小さい頃に碁を教えようとしていたが、当時化夢宇留仁は将棋に興味を持っていたのと、礼で始まり礼で終わるとか、碁はゲームじゃないとか、化夢宇留仁の考えとは相容れない要素が多かったので、結果逆に長い事化夢宇留仁が碁に手を出すことは無かった。
今では1000個以上持っているボードゲームの中でもベスト3に入る面白いゲームだと思っているが。
 本も好きで、主に時代小説や歴史小説を読んでいた。
碁と同じくその影響で化夢宇留仁がそのジャンルに手を出すのが遅れる原因になった。
 日曜大工も好きで、家中手作りのアイデアグッズみたいなもので埋まっている。
でっかいものから細かいものまでなんでも作っていた。
 カラオケも好きで、歌もまあまあうまい。
 巨人ファンで、昔なぜ巨人ファンなのかと聞くと「巨人だから」と言っていた。
 よく言えばほがらか。悪く言えば単純な性格。
引退後化夢宇留仁も就職してからは喧嘩はなくなり、むしろ趣味が合うところが多いことに気づいた。
読んだ本の記録をつけるとか、やってることも似たようなことが多い。
 3兄弟を育て上げ、引退してからは碁の振興活動をしたりしつつ、読書したり日曜大工をしたりしてのんびり楽しく過ごしていた。
膵臓がんになってからも家にいて、奥さんと在宅ケアで手厚く世話してもらっていた。
昨日までは24時間点滴でベッドから起き上がれない状態ではあったが元気に話をしており、今日になって反応が無くなったと思ったらしばらくして亡くなったそうな。
膵臓がんのわりには痛み止めがよく効いて、滅茶苦茶苦しむようなこともほとんどなかった。
余命3ヶ月、長くて半年と言われてから1年7ヶ月生きた。
 定年まで働いて、子供を3人育て、のんびりすごし、奥さんに看取られて持ち家で亡くなった。
まあまあ完璧な人生と言えると思う。

 なんか思い出したらまた追記しようと思う。
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