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2024年05月14日14:05

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いと静けき港へのいざない

 人生を生きていると、色々な壁や、また或る時は壁どころか山を越えていかねばならない事態にも陥り、実に人生を歩むのは試練の連続の中にあると言っても過言ではないでしょう。
 ではそんな嵐の様な人生に於いて、所謂平常心を保ち、少しでも静かに、心安らかに過ごすにはどうした良いでしょうか?今回は「いと静けき港へのいざない」と題して、それらの方法について見てみたいと思います。
 先ず、人が所謂「平常心」や「静けき」、「安らか」な心を、保っている場合、そこには往々にして、「幸せオーラ」を感じている時と言えましょう。しかしながら、この世に於いてその様に、所謂「幸福感」を感じつつ生きられる時間と言うのはそれ程まで長くはないのではないでしょうか?そうです、先にも述べましたが人生は正に試練の連続であり、山あり谷ありの人生を、ほとんどの人が味わうのではないでしょうか?
 であるならば、私達は如何にして少しでも、「静けき」心を保てるのでしょうか?それは、結論から申し上げれば、敢えて意識的に自身に「大丈夫!」と安心材料を心の内側に作りだし、そこに安心して歩む他ないと言えましょう。正にタイトルの通り「いと静けき港へのいざない」は自身から積極的に動いて、その上で自身に「大丈夫!」と意識改革を与え、自身の力で「いと静けき港へいざなう」必要が出てくるのです。
 そうは言ってもです。この世では、あまりに試練が数多故にそれを実現するのはかなりの困難と骨の折れる作業を必要とする事でしょう。 
 そこで、方向転換をして、自身がその心の内側に所謂「安心」を感じる様にそれを外的要因により、為して行く場合を考えましょう。
 つまり、人間はその対峙する相手により、或る時はその心に「安心」を味わい、また、或る時はその心に逆に「不安」を覚えるのではないでしょうか?そうです、人間は実を言うと、自身の問題と言うよりは、むしろ外的要因により、その心は左右されて行くのです。
 では、自身を少しでも安心し「静けき港へいざなう」にはどうすれば良いでしょうか?例示を以て解説して行きましょう。
 たとえば、テレビ視聴時片方のチャンネルでは震災についての報道がなされていたとしましょう。そしてもう一方のチャンネルでは、所謂「娯楽番組」が放映されていたとします。
 皆様はどちらが気になるでしょうか?賛否両論にはなるかと思われますが、こうした場合、我々特に精神に問題のある人間は敢えて意識してでもチャンネルを変え、「娯楽番組」を視聴して行くのが賢明な選択ではないでしょうか?
 そうです。ここからも解る通り、出来るだけ自身の心が平安を保てる外的要因を意識的に取り入れるのです。
 こうする事を通して、初めて人間はその心に「安らぎ」を感じるのです。
 と言う事はです。そうです。反対の「震災報道」は極力視聴しない事を選択すべきなのです。
 勿論その情報が自身の避難に役立ったりする場合を除いてですが、自身から敢えて不調を来すような番組にチャンネルを合わせる事は、避ける必要があります。では、それをした場合、その人間は「輝ける」でしょうか?結論からすれば「是」であります。何故ならその娯楽番組により、心が癒され、その内側は「いと静けき港にいざなわ」れた為に、平安を感じその平安な心を以て、目の前の大切な存在を自身も大切にして行ける故です。
 故に私達はこの情報錯綜社会に於いて、自身に取り入れる情報を精査して行く必要があるのです。
 つまり、自身の心を波立たせる情報からは出来るだけ身を遠ざけ、逆に自身に「平安」や「安らぎ」を与える情報は丁寧に時間をかけても選択して行き、それを享受し、自身の心中を穏やかにして行く必要があります。
 この殺伐とした世にあって、貴方はその心を波立たせる方を選択しますか?それとも「いと静けき港へ自身の心をいざない」ますか?


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