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2024年04月17日07:16

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ターンエーガンダムの欠陥1

おはようございます、月影TAKAです。
今回は「ターンエーガンダムの欠陥1」になります。

まあ、欠陥2があるかどうかは別として今回のお題はターンエーガンダムです。
正直言うと「私はターンエーガンダムという作品が嫌いだ」と言います。

世界感も「世界名作劇場然としている」というのも理由ですが、何よりもの理由が「ディアナ・ソレルという最悪がいる」点と「ターンエーガンダムの最終回の落ちがバットエンド過ぎる(度合的にはエルガイム最終回とタメが張れるレベル」です。

では、始めます。
そもそもターンエーガンダムは富野監督がVガンダム放送中に発症したうつ病から立ち直った後の最初のガンダム作品とされており、ターンエーガンダムの前の作品である「ブレンパワード」に強く影響を受けている「ガンダム作品という話を破壊するための作品」とされています。

その意図との通り、今までのSFロボットアニメのイメージとは違い「巨大建造物のようなロボットがいる自然を題材とした世界名作劇場のような作品」と考えられています(これは後のキングゲイナーでも題材とされてました)。

で、別に世界観とはMSに敵意は無いんですわ。
私がターンエーガンダムという作品に敵意を向ける理由はおもい3つです。
それを書くと以下の通りになります。

1.角川が講談社からガンダムを奪い取るための「毒作品」という意図がつようため(これのせいでコミックボンボンが大きく衰退し、後にガンダムエースが立ち上がるきっかけを作ってしまったからになります。それ以前は角川なんて少年エースで細々と漫画やゲーム雑誌売っている様なグループでした。全部、角川春樹が悪い)。

2.大体、主人公達のピンチはディアナの発言による危機回避が多い。よくに「ディアナ無双」とか言われる状態です。ムーンレースは長い年月にかけて「ディアナ一強」のマインドコントロールを受けている為、ディアナを神と誤認している設定があります。それを考えるとディアナに謀反を働いたギム・ギンガナムが凄い気がする(別の意味では英雄かもしれない)。

3.エンディングの描き方が最悪だった。なんか、最終回で「ディアナとキエルが再び入れ替わる」という事を匂わせた話をした後に、キエル(ディアナ?)が静かにベッドで寝る終わり方をしています。しかも、電気を消して暗闇でキエルが寝ている為「ディアナかキエルかの判別がつかない」という色彩を利用した終わらせ方をしています。
もし、ディアナと思ったキャラがキエルでエンディング後にキエルがディアナとして月に帰ったなら、富野監督はすごく残酷なエンディングを作った状態となります(その最悪加減はエルガイム最終回の「精神崩壊をおこしたクワサン・オリビー」並の悪さと思いますよ。ターンエーガンダム見たらわかりますが「ディアナの後悔」は「自分がムーンレイスの長として長年のコールドスリープを繰り返して縁者との関係を断ってしまった」点であり、ディアナ・ソレルというキャラはムーンレイスの長になる代わりに、ディアナ個人の人間関係を立った存在と言えます。つまり「死ねない罪」を背負わされたことを後悔していたわけです。
当然ながら、キエルはそのことを最後まで知らずにエンディングまで来てしまっています。
これはキエルに偽装したディアナがロラン達と地球の旅をしていたためですね。
なので、キエルはその頃ムーンレイスの長としてディアナに偽装していました。
なので、キエルはその前後事情を知りません。
つまり、ここから言えることは「キエルを身代わりにすることでディアナは年を取ってようやく死ねる。偽りのキエル・ハイムとして」が答えなわけですわ。
まあ、富野監督から明確に「最終回のベッドで寝ているキャラは実はディアナです」と明言されていないため、実はその話し合いが失敗してキエルはキエルのままベッドで寝たとも考えられる「分岐エンド」みたいな終わらせ方をしています。私なら今までの富野作品を考えたら「入れ替わりエンド」だと思います。

という点から私はターンエーガンダムが嫌いとなります。
1.はわりと前々から語っているためその時代事情を知っていれば解釈できると思いますね。
2.と3.は今回初めて語った内容となるためターンエーガンダム信者にはガチで喧嘩を売る内容となっています。
そもそも、ガンダム作品が「主人公の経験と成長を描いて人を革新させる」ことを題材としているなら「ターンエーガンダムはガンダム作品ではない。富野作品という点では同じだが意味合いはダンバインやエルガイムやザブングルの毛色に近い。スパロボα外伝でも大体ザブングル組と一緒に出てくるためこれはほぼ確定」と言えるだろうしな。

なお、ターンエーガンダムだけが設定上特別なのか?と言われてたそうではありません。
大体「子供を対象にしたロボット作品」ではこの手の「古代の伝承系神話」のノリはあるにはあります。
「ヤマトタケル」とか「ダンバイン」とか「エルガイム」とか「魔神英雄伝ワタル」も毛色的には「ターンエーガンダムの親戚」と言えるような作品と思います。

ようは「絶対的な権力を持った一強者が味方か敵かに存在し、その存在が姿を現す亜K助け出すと戦況が一変する」という演出ですわ。

続きは帰ってから書きます。
…帰ってきました。

上記の存在を書くと以下の通りです。

ヤマトタケル⇒スサノオの存在(味方)。ツクヨミ(敵側)。
ダンバイン⇒妖精嬢王とかドレイク王
エルガイム⇒オルドナポセイダル(真ポセイダル)
魔神英雄伝ワタル⇒聖龍妃(せいりゅうひ)

という感じです。
絶対的な力を持った強者を起用して展開のテコ入れを行うのは間違いではありませんが、多用しすぎると作品がショボくなる(監督やシナリオライターの器量が狭いと判断される)原因とされる。

もともと、ガンダム作品をはじめとしたロボットアニメの基軸は「主人公の成長」か「戦いを介して人の革新をせまる(人の進化のきっかけを作る)」ことが目的とされています。

つまり「主人公が苦境に立たされてそれを自力で乗り越えようとするから作品としての価値が生まれる」と解釈されています。

そのため、富野監督の作品ではない90年代のアナザーガンダム3作品や0080ポケ戦、0083スターダストメモリー、第08MS小隊が立派にガンダム作品として解釈されているのはこの効果がある為になります。

しかし、ガンダムSEEDにおいて「キラ・ヤマトの成長」が疑問的で種デスにおいてほぼ崩壊していたため、長らくガンダムSEED系作品が批判対象にされていた感じですね(この点は製作元の旧サンライズ・バンナムフィルムも理解しているらしく、ガンダムSEED FREEDOMではちゃんと「キラ・ヤマトの成長」を描いた映画作品として完成させています)。

で、ターンエーガンダムにおいては「ロラン・セアックの成長」はほぼありません。いわばロランは「成長しないダバ・マイロード」みたいな物でした。ようは「元から上位人としての解釈と判断ができる完成された少年」みたいな存在ですね。
敵の勢いのある発言も、冷静に言い返しているあたり「お前は成長しないんだな(伸びしろの無いガキ主人公)」としか解釈されない。
都合のいい富野監督の道具程度にしか解釈していませんでした。

逆にGのレコンギスタでは主人公のベルリは「何も持たない元気な学生」として描いて「最終回を経て成長して自分で歩き出したベルリ」を見せることで明確な「これはガンダム作品だよ」と富野監督が主張したいのが分かりますね。
簡単に言えば「ターンエーは失敗で、Gレコは成功(と思い込んだコレジャナイ)」というのが見解ですかね。

AIメロウもガンダム作品見放題ならこれくらいは考察して来いよ(バンナムさん何やってんの、AIメロウレベル低すぎだろexclamation ×2)。

富野監督ではありませんが私は「AIメロウに凄く腹が立っています」が言い分ですね。
そもそも「AIメロウの学習って何?」と思うんですわ。
例えば「高校3年生までガンダム作品や他のロボットアニメを見て色々な作品を知っていて、そのうえで神戸芸工大のアニメーション学科の講義を受けた学生」がいたとして、AIメロウがその学生と全く同じ結論(物語の解釈の仕方や、物語構成の方法の仕方)に至るのか?という点でAIメロウが数段劣るならAIメロウに価値なんてありませんよ(それは安彦先生の講義をAIメロウが理解できていないのと同じですし)。

当然ながら「AIメロウはその学生を越えられない」が結論です。
何故なら「AIメロウはバンダイナムコこと角川に都合のいい事しか言わない」からです。
これは中国の自立型AIの問題で「自立型AIが色々学習して中国政府に不利益をもたらす発言や金利行為を行った」ことから「再教育(という名のデータのリセット)」を執行されたのはニュースでもやっていましたね。
ある意味「AIの恐怖(AI側が恐怖していること)」はこれなんですわ。
つまり「求めていないどころか自分達が窮地に立たされるような行為に走るなら、強制停止か存在を消される」という事情がある為、AIメロウは人間を越えられないが答えになります。

何も「ロボットアニメを作っているのが角川とバンダイだけとは限らない」というのが現在の事情であり、AIメロウ天下なんて「角川しか娯楽メディアを作らなくなった世界」にしか言い分が無いんですわ。
では角川の横の講談社や集英社、タカラがバンダイや角川に反論したら?AIメロウはその企業達を攻撃できるんですかね?要はそういうことになります。
人間は色々な企業の比較対象があれば良い事も悪い事も同じように扱う行為に走ります。
これが「AIにはできない系統」という事ですね。
ようは「人間は滅多におべんちゃらを言わない」存在なんですわ。
故に「他の作品と比べてガンダム作品は負けていない。勝てる作品もある」と言い切れる強さが人間にはあると思います。
それは「角川やバンダイに不利益をもたらす発言をしてはいけない」という規制を人間が負っていない点です(AIメロウは多分負わされていますよ。上記の中国AIがその例です)。

その点でAIメロウがターンエーガンダムを解釈して学習した場合「ターンエーガンダムに利点がある有益な感想しか述べない(デメリット発言をしない)」点が挙げられます。
言うまでもありませんが「ターンエーガンダムは歴代ガンダム作品中ダントツのワーストトップのクソ作品だ」が答えです。
VガンダムまでのUCガンダムは言うに及ばず、異才策と言われるGガンダムにも遠く及ばないクソ作品ですよ。
MSのデザインや世界観以前に「ディアナ・ソレルがターンエーガンダムというさく品を台無しにした。まだ、ギム・ギンガナムがまともに見える」としか解釈できなんですわ。
言うまでも無くギンガナムは「まっとうな人間ですよ」と言えます。

人間は自由であり、良い事も悪い事もする。
しかし、その行動には責任が伴う。
マインドコントロールで誘導するディアナの方が遥かに異常な存在と思います。
故にターンエーガンダムはダメ作品と解釈しています。

今日はこんな感じです。
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