「〜させていただきます」と「〜いたします」
今日の内容。
誤用が浸透してしまったこの現代社会では、もはや"修正"は不可能かもしれませんが…
それでも、"実はこういう違いがある"ということを再認識していただければ幸いです。
まずは、ネット記事からの転載です。
東北出身の国語学者が関西で買い物をして包装を頼んだら、店員に「包ませていただきます」と言われて面くらったらしい。
もともとこの「させていただく」は、いつもは六時まで開いている店が、「まことに勝手ながら、本日は午後三時に閉店させていただきます」というふうに、自分の都合で相手に迷惑のかかる場合に使っていたから、客の依頼で包装するケースに使われるとは思わなかったのだろう。
だが、今では東京のデパートでも「はい、お包みいたします」と応じるとは限らなくなった。
以前は臨時休業の場合でも「都合によりお休みいたします」で済ませていたのに、今は定休日でさえ「お休みさせていただきます」と低姿勢に出る。
まあ、このへんまではわからないでもない。
ところが近年は、「定刻を過ぎましたので、このへんで始めさせていただきます」というふうに、時間を守った人の迷惑は無視し、遅刻する人に気を遣う言い方も珍しくない。
それどころか、むしろ相手にとって好ましい場合にさえ、「ご著書を愛読させていただいております」とへりくだる。
「尊敬させていただいております」に至っては、もみ手をしてへつらっているような卑屈な感じがする。
(早稲田大名誉教授)
「〜させていただく」を多用しているのは気になっていたのですが、恐らく現代社会が、空気感として、それに統一させてしまったのではないかと。思うんですね。
それがさらに“進化”して、「やらさせていただく」や「行かさせていただく」までになってしまった。
「見れる」などの「ら抜き」はなんとか慣れましたが、この「さ入れ」は、なかなか慣れないものですね〜(^^;)
次にこちら。
「させていただく」より「いたす」がしっくりくるメール例1
この件につきましては配慮させていただきます。
↓ ↓ ↓
この件につきましては配慮いたします。
「させていただく」より「いたす」がしっくりくるメール例2
お問い合わせの件に関して、回答させていただきます。
↓ ↓ ↓
お問い合わせの件に関して、回答いたします。
「させていただく」より「いたす」がしっくりくるメール例3
次の会議で検討させていただきます。
↓ ↓ ↓
次の会議で検討いたします。
「させていただく」より「いたす」がしっくりくるメール例4
また、ご連絡させていただきます。
↓ ↓ ↓
また、ご連絡いたします。
「違い」となるポイントは、メールのやり取りをしている相手から許可や利益を受ける。
目上の人に従うなど。
こちらが謙虚な姿勢を見せる必要があるかどうかです。
「〜させていただきます」は、相手から自分の行動に対して許可をもらう表現であって、「〜してもよろしいですか?」のように行動の可否を問うのではなく、承諾されることを前提に宣言します。
一方「〜いたします」は「〜する」を丁寧に述べた形です。自分がある行動をとることを単に宣言する表現なんです。
許可を得るという過程をある分「〜させていただきます」のほうが「〜いたします」より丁寧だといえますが、場合によっては行き過ぎた敬語になり、かえって失礼な印象を与えることもあるということを念頭に置いてください。
ではこの「正しい用法」をきちんと知った上で、ビジネスの場で実践できるのかと考えたら…
やっぱり、無理ですよね(^▽^;)
なので、誤用が浸透してしまったこの現代社会では、もはや"修正"は不可能かもしれませんが…と冒頭で書いたのはそのためです。
「本日お渡しさせていただきました商品ですが、ご確認いただきましたでしょうか」
こちらも現代社会ではそのまま使っている方も多いと思われますが…正式にはこちら…
「本日お渡しした商品ですが、ご確認くださいましたか」
実はこちらの方が、本来は、きちんとした、スッキリした表現になるんです。
それでもやはり、現代社会でこれを実践することは難しいと思いますが、実はコレが正しい用法なんだと、頭の片隅にでも置いておいていただきたいんです(^_^;)
「形容詞」の用法も同様に。
いつしかメディアも話し言葉もみなフツーに「きれいすぎる」「美しすぎる」を多用するようになってしまいました。
でもね。もう少しきちんと「形容詞」を大事にしましょうよと(´-∀-`;)
言いたくなるんです。
なぜ「〇〇すぎる」がここまで異常に多用化されるようになってしまったのか…
ひとつに言えるのは…
「フツーの表現では物足りなくなってしまった」ということらしいんです。
〇〇いたします。
というのが本当は正しいのに、それが当たり前になってもっと敬う表現を…と過度に求めた結果が〇〇させていただきますを多用化するようになってしまったとも言われています。
「きれいな街並み」「大きな鳥居」
こう素直に使えばいいのに、それだけだと人々の目を引けない、歓心を買えないという意味合いもあり、メディアが過度に「〇〇すぎる」を多用するようになり…
「きれいすぎる街並み」「大きすぎる鳥居」となってしまったわけなんですよね(;´∀`)
それによってネット民…だけでなく、一般的にも「〇〇すぎる」が広く浸透してしまったわけなんです( ̄▽ ̄;)
「残念すぎる」「可哀想すぎる」なんて最たるもので(;・∀・)
本来なら、フツーに言えばいいのに「〇〇すぎる」を日常化してしまった成れの果てなんだと思っているんですよ(;´∀`)
これはつまり「とても」を使わなくなってしまったともいえるわけなんです。
今、日常で「とても」を使っていますか?ということなんです(;^_^A
「あれはとても大きいよね」
もうこれは誰も言わなくなったんじゃないかと…
「あれって大きすぎじゃね?」
「あれ超(orマジ)(orガチ)おっきぃよね〜(orデカいよね〜)」
この言い方の方がもう日常ですよね。現代社会は(^^;)
まとめますと…
「とても」と、形容詞としての「〇〇い」をまともに日常会話で使うことがなくなった、ということが言いたかったわけです(^▽^;)
もうなんでもかんでも「超(ガチ)〇〇」や「〇〇すぎる」が日常化してしまったということですよね(^-^;
これを元に戻せというのはもう現代社会では不可能でしょうが…
せめて「○○させていただきます」と「○○いたします」を正しく使える世の中に…
とはもうならないかな(;^ω^)
でも「やらさせていただく」や「行かさせていただく」を公(おおやけ)で使われるのはどうしてもしっくりこない。
そんなことを日々考えているSheepでございます(;^ω^)
では、本日は以上です('ω')ノ
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