『君たちはどう生きるか』
驚いたことが一つある。
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how の【どう】の【正しい歴史的仮名遣】は、だうやら、「どう」 なのである。
太宰治の作品の多くを、全集の旧仮名で読んだヤツガレとしては、「どう」 は 「だう」 と書くとばかり思ってゐた。
しかし、正しい 「どう」 は 「だう」 ではなく、「どう」 であったのである。
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そもそも【歴史的仮名遣】に正しい/誤りなんて区別があるのかだうだか怪しい。
いわゆる旧仮名といふのは、江戸時代まで日本人が書いてゐた日本語表記ではない。
たとえば、
よゐこ
といふ表記を見たら、古文をきちんと勉強した高校生なら鼻で笑うと思ふ。
しかし、江戸時代の日本人は平気で「よゐこ」と書いてゐた。
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歴史的仮名遣といふのは、要は、平安時代の初頭に日本人がそれぞれの単語をだう書いてゐたか、といふ研究の成果である。
たとへば、鎌倉時代とか、江戸時代に誕生した単語に歴史的仮名遣があらうはずがない。
もし、平安時代にその単語があったとしたら、だう書いたか、という仮定から【正しい歴史的仮名遣】が 「決められる」 のだ。
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こそあど言葉といふのがある。
これ、それ、あれ、どれ。
ところが、これは中世以降に成立したもので、奈良時代には、
こ、そ
2体系しかなく、平安時代に、「か」 もしくは、「あ」 が加わって、
こ、そ、か(あ)
になった。
日本語はそもそも濁音で始まる語はなく、「いづく、いづこ」(発音は、イドゥク、イドゥコ)の頭音が落ちて、「どこ」 が生じる。
「だれ」 は、「たれ」 の頭音が濁ったもので、「どこ」 とはぜんぜん語源が違う。
中世の庶民の口語では、強調すべき語の頭音を濁音に変えることがあった。
会話のなかで注意を促すためだらう。
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中世以降、「か」 と同系列で、平安時代には稀用であった 「あ」 が主流になる。
ここに、「こそあど」 の体系が成立する。
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一方で、上代には、「かく」、「さ」 といふ【指示副詞】があった。
系列に2形しかなく、語形も揃っていなかった。
「かく言う私も」、「さほどでもない」 などと現代語にも残っている。
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中世に、「かく」 が音便を起こし、「かう」 となり、-au- が -oo- と変音した。
「かく」 が 「こう」 になった。
すると、ここに類推が生じた。
「こそあど」 から、「こう」 のシリーズが捻り出されたのである。
すなわち、「こう」、「そう」、「どう」 である。
「あれ」 に対応する語形は、いったん 「あう」 となったのかもしれない。
しかし、「あう」 はさらに音便が進んでしまい、「おう (オー)」 となり、多くの語と【衝突】を起こしたに違ひない。
現実に成立したのは、「ああ」 といふイレギュラーな語形だった。
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かくして、
そう、ああ、どう
がひょっこりできたのだが、「かく」 とは異なり、
*さく、*あく、*だく
といふ語が、前身としてあったわけではない。
勘違ひから生まれたのである。
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平安時代の初期に遡るといふ理念の【歴史的仮名遣】としては、すんなり認め得るのは 「かう」 だけ、といふ寸法なのである。
ただし、「さ」 といふ指示副詞はあったので、「さう」 も認めよう、といふことらしい。
しかし、どこの馬の骨か分からない 「だう」 は、断じてみとめられないらしい。
だから、【正しい歴史的仮名遣】では、「どう」 は、どうあっても 「どう」 でなければならない、と偉い学者さまは断ずるのである。
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しかし、「こう・そう・ああ・どう」 は、そもそも庶民の類推から生まれたものである。
だから、表記も【学術的】ではなく、【素人考え】の「かう・さう・あゝ・だう」になったのだらう。
類推といふのは、言語学では、屢々、正しい言葉遣いも心得ぬ庶民のゲスの所業を断罪する用語である。
しかし、類推といふのは、屢々、不出来な言語体系を「合理的」に変革するものである。
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戦前の小説の表記では、おそらく、「だう」、「だうして」 が多いと思う。
だから、正しい『君たちはどう生きるか』に驚くのである。
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