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2024年03月24日22:27

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つまらないものを無理しておもしろいという映画 『ボーはおそれている』

多くの人がタイトルをいうだけで「おもしろい」と膝を打つ作品は確実に存在する。同時に「つまらない」と多くの人が評価を下す作品も一般論と大衆論 *1 で存在する。

だが、様々なバイアス *2 の中でつまらない作品をおもしろいと無理に語る監督と人々がいる。『ボーはおそれている』はそんな映画だ。

本作はやはり監督のライフワーク――母親と母性に関るマザーフッドの物語だ。 *3 心身ともに不安定なボーは、母親の訃報を聞き葬式へ出発。道中は奇想天外なものとなる。

作中の様々なことに意味があるがネタバレは公式サイトのページで解説している。同時にそのネタバレがなければ本作はほとんど理解できない。

ボーの旅路は仕組まれたものだという真実が、監督のしかけた「どんでんがえし」かもしれないが、この納得感と意外性は非常に薄い。

ある意味ではシャマラン的映画手法だが、すべてが現実だったと説明する偉大な先人にはまるでおよばない。

ならボーの旅路が現実と幻想どちらなのか考察することに意味などない。

「では残る物は何か?」といえば、意味不明な監督の思想と嗜好を垂れ流す映像とホアキン・フェニックスのキレた演技の約3時間だ。

なら大半のまともな観客は「ノー」をしめし、実際、本作は「ボックスオフィスボム」となった。 *4 理由は簡単だ。

「つまらないからだ」。

だというのに声高に本作の価値を監督と一部の観客は叫ぶ。無理して。狂人の狂騒を描く作品にはぴったりかもしれないが。


※1 つまらない作品を“率直”に「つまらない」と言い切る事のできる人々は、ある意味で一番正直で勇気ある消費者たちだ。セールスの良いものが良い作品とはかぎらないが、多くの人々が見て、多くの人々が“肯定”しないとおもしろい作品だという価値は広く認識されない。じつに当り前である。

※2 「自身の承認欲求」「周囲が“価値ある作品”だというのに正直な感想を語り馬鹿だと想像されたくない」――いろいろあるだろうが、つまらない作品はつまらないのだ。その事実が正直な世間の価値基準であって、それが一般論と大衆論だ。その前提において「自分はでもこれがおもしろい」という表現するのが重要なのだ。

※3 3作に渡り続いたマザーフッドの物語では新味がなくなっている。ちなみにアリ・アスターの母親と母性への執着は「恐怖」だけではない。監督の性的なフェティシズムもふくむだろう。

※4 今年公開予定のアレックス・ガーランド監督の「Civil War」が本作を抜きA24が最大予算をかけた作品になった。それ以前は本作がA24が最大予算をかけた作品だ。「ボックスオフィスボム」の本作は、当然、予算を回収できなかった。
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