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2024年03月22日12:46

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「哀れなるものたち」

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画のハシゴで二本目に観たのが、とんでもない映画だった。アカデミー賞を『オッペンハイマー』と争った作品で、エマ・ストーンが主演女優賞をとったこと。どうやら「女性版フランケンシュタイン」の映画らしいという程度の浅い知識で劇場に出かけたのだから、想像をはるかに超える内容に心底、驚愕した。映画が終わって、場内の照明がついた時、多くの老若男女が一言も言葉を発することなく座席を立ったのも納得である。今、観た映画がいったい何だったのか、一様に理解しかねていたのだろう。私もそうだった。

【 物語 】 19世紀の終わりごろ。ロンドンに住む異形の天才外科医ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)は入水自殺したばかりの新鮮な死体を密かに購入した。臨月近い若い女の死体だ。自殺の理由はわからないが、現世を憂いて死を選んだ者をそのまま蘇生させることはためらわれる。彼はお腹の胎児の脳みそを彼女に移植して「新たな命」を与え、ベラ(エマ・ストーン)と名付けた。ベラは成熟した女の肉体に乳児の頭脳をもち、ゴッドウィンの愛と庇護のもと、驚異的なスピードで成長して行く。ゴッドウィンは彼女の日々の成長を精密に記録するため、医学校の学生マックス・マッキャンドレスを実験に参加させた。新しい言葉と知識をどん欲に吸収し、ベラは乳児期、幼児期を経て、あっという間に思春期に到達。食卓で果物を女性器に押し付けて自慰を覚えてしまう。「いつでも幸せな気持ちを味わえる」ことを発見した驚きと喜びにベラは満足した。やがて、ベラは屋敷の外の世界に対する興味ではちきれんばかりとなり、ゴッドウィンは彼女の知識欲・探求心に応えるため、マックスと三人での外出を試みるが、自分の異形な姿が人目につくことから断念。マックスとベラの間に深い絆が芽生えていることを察して、二人を結婚させることを思いつく。結婚してもゴッドウィンと屋敷内で住むこと、外出や旅行は必ずゴッドウィンと三人で出かけることなど様々な取り決めの契約書を作成するため、弁護士のダンカン・ウェダバーン(マーク・ラファロ)を招いた。ダンカンはこんな不可思議な契約書を作成してゴッドウィンが守りたいという女性はよほど特別なのだと興味を持ち、隙を見て、ベラの部屋に忍び込む。ダンカンが部屋に入ると、ベラは自慰の最中にも関わらず、平然と彼と会話した。美しい痴女。世界一の好色家を自負するダンカンはベラを「簡単に騙せるチョロい女」と値踏みし、ベラが外界に興味をもっていることから言葉巧みに「冒険に出かけよう!」と駆け落ちを持ち掛けた。最初から飽きるほど弄んだら、適当なところでベラを捨てる気だったのだ。ベラはゴッドウィンに、ダンカンと駆け落ちすることを打ち明ける。はじめは反対したゴッドウィンだったが、ベラの強烈な知識欲と探求心にはとうてい抗えないことを悟り、ベラの服の裾に紙幣を縫い込むと、彼女を送り出した。こうして、ベラはダンカンと共に屋敷の外の世界へ。成長し、大人になるための冒険の旅をはじめるのだったが・・・。





 この先、ネタバレします。







 さすが、R18指定である。それまでモノクロだったのに、ダンカンと冒険の旅に出た次のシーンは突然カラーに変わると、いきなり激しいSEXシーンだ。全裸のベラが喘ぎながら、ダンカンにまたがって騎乗位で一心不乱に腰を動かしている(熱烈ジャンプ、と呼ぶべきか)。ここからはもう、SEX、SEX、SEX。SEXシーンの連続だ。騎乗位、後背位、崩した正常位と様々な体位で、ベラとダンカンは熱烈に性交を繰り返す。ベラの表情のアップが実に生々しく、リアルだ。どん欲に快楽を求め、あらゆる体位でダンカンを受け容れることにベラは全力を傾ける。正にモンスター、女性版フランケンシュタインだ。メル・ブルックスの映画『ヤングフランケンシュタイン』で人造人間が「並外れた巨根で精力絶倫というSEXモンスター」だったのと同様、ベラの性欲は無限。女性経験が豊富で百戦錬磨のダンカンでさえ音を上げるほど、新しい性技と快楽への飽くなき追求は人間離れしていた。これらを単に「性交シーンの羅列」と捉えてしまえば、世紀の怪作か変態映画。普通に考えて、成人映画としか映らない(実際、R18指定だけど)。

 この物語の肝は、ベラのSEXをどう解釈するかだろう。常人のSEXとは全く異なる意味を持っているのは間違いない。彼女のSEXは性交相手と快楽を通じた深いコミュニケーションであり、相手の人生経験や知識まで精液と共に体内に取り込む行為だ。SEXを重ねていくごとに、ベラの悦びの表情が少しずつ変化していくことはとても興味深い。成長と共に性的快楽の質が変わって行く過程がきちんと伝わる。パリで娼婦として働く時も常に性交相手がどんな人物か強い関心を抱いていた。相手の言語、言葉づかい、子ども時代の思い出を聴き、彼らの性癖を理解し、SEXをするたびに知性と教養が蓄積されて行く。屋敷を出て、旅の途中までは人形のような表情だったが、娼館での日々を経て、知性と教養のレベルが上がるにつれベラはどんどん美しく、優雅になった。表情、目力、身体の動き、もちろん、喋り方も激変。完全に知性の輝きを得た大人に成長し、人間としての見識も度量もダンカンをはるかに凌駕してしまった。自分への執着から崩壊して行くダンカンと再びSEXすることがないのは、もはや、彼からは何ひとつ得るものがないからだ。

 物語の終盤、ベラが正にマックスと結婚しようとする瞬間に、ダンカンはベラの生前の夫、アルフィー・ブレシントン将軍を伴って現れる。屋敷に戻った将軍が、ベラに睡眠薬を飲ませて眠らせ、その間に陰核(クリストリス)どころか女性器全てを手術で除去しようと企む。おぞましいが、その意図は注目すべきだ。ダンカンはベラの人間的な急成長の根源がSEXにあったことに気がついていたのだろう。将軍はダンカンからそれを聴いて、これ以上の成長(彼にの目には暴走でしかない)を阻止するため、女性器削除しようとしたに違いない。

 最後に、将軍の脳みそと山羊の脳みそを入れ替えたのは、どう考えてもやりすぎだ。あそこはくだらない復讐劇にするより、不治の病で余命いくばくもないゴッドウィンの脳みそと交換してこそ、移植手術の意味があると思う。正直、そうなるだろうと期待もしていた。

 タイトルについて。原作未読なのでわからないが、「哀れなるものたち(POOR THINGS)」とは、ベラ以外の「普通の人間」のことをさしているような気がする。



ヨルゴスランティモス ヨルゴス・ランティモス監督 エマストーン ウィレムデフォー
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