mixiユーザー(id:12769995)

2024年03月16日11:02

5 view

近況報告

 昨日は、JR静岡駅前のマツザカヤの前で、夜の9時45分から翌日の1時10分頃まで、街中の道路の舗装工事の警備を行った。お世話になった企業名は「栄(サカエ)産業」である。新静岡駅前(セノバ)付近である。金曜日ということで、酒臭いサラリーマンや若い人たちの前だったので、少し緊張した。先週は、梅ヶ島の山の中で、山一つ挟んで、トランシーバーだけを頼りに、雨の中、片側交互通行の警備を行った。その時お世話になった相方の人とベテランの山田さんと3人で機能は仕事をし、夜中の3時頃帰ってきた。スクランブル交差点の付近で、工事現場に入って来る車両を遮断し歩行者や自転車をカラーコーンを置いて通す警備だった。梅ヶ島の警備ではトランシーバーだけを頼りに仕事をし、慣れない作業さったので、怒られながらも無事警備を終えた。昨日は夜間であったが、集中していたので終わった後で「いつもの刃(ヤイバ)」・「あいつと仕事をすると楽だ」と言われて帰ってきた。自分の勤めている警備会社の社長が様子を見に来るなど、最初はバタバタしたが、無事帰ってきた。
 昨日は朝9時ごろから夕方の4時半頃まで勉強した。「中動態の世界」(國分功一郎著)をメインに資料の整理やその他本の整理などをおこなった。コラールという人物によると、文法上の規則によって非人称的な動詞の例として次の構文をあげる。「Il(それ)が「私に(me)」・「思い起こさせる(souvient)という分で「「Il me souvient des jours de mon enfance.(子供時代の日々が思い出される)といった動詞から派生した名詞構文を指すことができる。「ILそれ)という構文は、主語がはっきりしないもの=何かぼんやりとしたもの=作動主がはっきりしないものを指している。例えば、「歩く」行為は意識的な行為か?問われた場合、「無意識的」に行っている場合がある。「me execero(私は自分を鍛える)という分は、「動作主(me)を置き、中動態(はっきりしないもの)が担っている意味を表現する。「execereo]=(訓練する)を、「me」(私はする)という能動態の原理に従って人の行為や、自然(主語のはっきりしないもの=「神の選択行為や世界の成立過程」を問うことができる。「私」が「一人称」から「あなた(二人称」へと向かい、不在の者(三人称)」へと広がっていく世界観は誤解で、「名詞から発展した動詞形態」によって文法上の規則を作り、世界や人間の「行為の産出」といったものを表現することができる。こういった形で、「何かその行為がはっきりしないもの=作動主(神)が世界を表現するということが、文法上の規則によって示すことができる。
人間にとって「歩く」という行為が無意識なように、「自然が鳥や蜘蛛やカラスなどを産み出す行為」を「自然の無意識の生産過程」と呼ぶことができる。こうした規則によって、世界を理解する方法がある。今日は予定がないので、読書や部屋の整理や、家の用事を済ませながら、のんびりしたいと思う。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年03月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

最近の日記

もっと見る