訃報があった。大学時代以来の親友T口の奥さんからだった。ここ1年ガンで闘病していたのだが今朝がた亡くなったと。
私が結婚するまでは大学時代以来の友人4人組で毎年のように会っていた。私の結婚式以降は7年ほど会えてなかったが今年に入って彼から連絡があって2回ほどは会って話が出来ていたのは救いだっただろうか。
9月30日に富山まで行き、20年来の親友と、おそらく最後の会話になるだろうという時に何を話すか悩んだ。
T口とは大学時代に夜中に台風が近づき、興奮状態で寝られないまま徹夜で語り明かしたことがあった。その際、T口が「この世は誰かが見てる泡沫の夢っていう説が結構好きだ」と語っていたのを思い出して最後の会話におりまぜた。「それは希望なのかもしれない」と。
最後の会話に臨む前に4人組の1名、私のもう一人の大親友T本からは「おそらく彼は覚悟してるだろうから最後の会話をしておくといい」と助言を受けていたが、結果的にそれはできなかった。やはり「これが最後の会話だ」というのを認めたくなかったので「またな」と別れた。「今回は大きな貸しだから必ず寛解して礼を返してもらう」と約束をしていたのだが、かなうことは永久になくなった。
翌10月1日は私と入れ替わる形で、大親友T本のほうがT口と最後の面会に向かった。そこでは「最後の別れの会話」として「今までありがとう」と礼を言われたと聞いた。
生き延びてほしいという理想を夢見た私、確率的にしんどいという現実を見定めたT本。どちらが正しいとかではないのだろうが。
私は彼との友情を忘れない。そして今生きている自分にとって大切な人々と懸命に生きていくとしよう。
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