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2023年10月15日20:57

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坂井泉水が育った丹沢山麓の秦野市を旅する 2023年第13回目9月24日(日)〜永遠〜 彼岸花、コスモス 神奈川県立はだの戸川公園 伊勢原市日向薬師 渋沢丘陵からの高台 ガザ情勢

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ZARD坂井泉水が育った丹沢山麓秦野市を中心に旅する 2023年第13回目 〜永遠〜


舞台は、丹沢山麓の秦野市と伊勢原市である。暑さもお彼岸までの言葉通り、朝方7時代は、幾分涼しさを感じた。秦野市の日中の気温は25度前後、湿度は50%程度まで下がってきた分、夏の蒸し暑さから開放され、からっとした陽気だった。

 ZARDの坂井泉水の歌詞をモチーフにした旅、今回のテーマは、1997年8月20日にリリースされた22作目のシングル「永遠」である。

写真=シングル「永遠」のジャケット 掲載元 タワーレコード オンラインより
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 バンド演奏と共にストリングスを加えた壮大なバラードナンバーは、時を越えても歌い継がれている。作詞者坂井泉水が、「永遠」に込めた思いは、秘めたる恋である。大人の男女が、それぞれ家族を捨てて、駆け落ちをし、行き先をさまよっている姿が浮かび上がる。

 秋のお彼岸の頃に咲く彼岸花の花言葉どおり、恋に「情熱」を傾けるうちに、親元から「独立」した主人公の生き様を描く。家柄のある家系ほど、恋愛の自由度はない。親から理解を得られず、恋人と寄り添うことを「あきらめ」、「悲しい思い出」に変わった。

 主人公は、心が傷つきながらも、ピンクの可憐な花をつけたコスモスや、最盛期に白い絨毯に変わるソバの花を観察するうちに、リフレッシュした。季節の移り変わり目に丹沢山麓を旅する青年の目線に立ち、花のスポットを紹介する。


第1章 戸川公園、四十八瀬川

 朝8時過ぎ、最初の舞台となる神奈川県立はだの戸川公園は、人も疎らで、閑散としていた。熱い夏は日中、水遊びをする親子連れが、管理事務所をかねるパークセンターの受付を頻繁に訪れていた。お彼岸を境に、秋の乾いた空気が入ることにより、日中は暖かさを感じる。

 園内には、所々赤色の彼岸花が咲いていた。シンボルとなる風のつり橋のふもとに育つ梅の木の葉は、緑から茶褐色へ変わりつつある。パークセンター前のコスモス畑は、ピンクや黄色、白など色彩にとんでいた。色鮮やかな花を見ると、心も軽やかになる。
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 コスモス畑の脇にあるコキアも、夏場の緑一色から、若干紫色に変色していた。季節は、着実に秋へと進んでいた。
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 午前9時過ぎには、戸川公園の西方を南北に流れる酒匂川水系の一つ、四十八瀬川の才戸橋から国道246までの区間を南下した。住宅地から離れ、里山の景観を残すべく、開発を最小限に抑えた。散策路は草を刈っているとはいえ、未舗装で、獣道を歩いているような感覚を抱く。今が旬の花を求めて秦野市を旅した青年は、川沿いに咲く彼岸花に目をとめた。真っ赤な色の花は、古くから墓地周辺に咲いていた。花言葉の「情熱」や「悲しい思い出」から、青年自身も過去の結ばれなかった恋人と過ごした日々を振り返った。精一杯情熱を注ぎながら、はかなく散ってしまったのである。

 ZARDの22thシングル「永遠」の冒頭の歌詞にも現れている。

 Aメロの冒頭:「朱い果実をみたら、私を思い出してください」

 彼岸花は株によっては、確かに朱色だった。白い株もあるとはいえ、四十八瀬川沿いは、ほぼ赤色で統一されていた。

 歌詞:「あなたの決心が固まったら… きらきらとガラスのかけらになって このまま消えてしまいましょう 誰も知らないくにへ」

 四十八瀬川の流域は、暑さが和らぎ、涼しい風を受けながら、稲を収穫する人々の姿がある。トラックターを使わず、素手で刈り取る作業を見て、青年は自分も仲間に入れてもらいたいと素直におもった。

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 スマホのナビ機能はあるものの、しっかりと舗装されていないがゆえ、わかりづらい。農家の人に声をかけて、道を尋ねた。主に年配の方が多く、わざわざ作業を中断して、丁寧にこの先の彼岸花の開花状況を教えてくれた。

 こんもりと草木が生い茂り、藪のような一角にも、確かに彼岸花は育つ。木の葉が日差しを遮り、外の川沿いの世界との間に境界を引いているようである。藪の中の世界の地面に置かれた灯ろうのそばに咲く彼岸花は、別世界への入り口を示しているようだった。
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 Aメロのさびの歌詞

 「今の二人の間に 永遠は見えるのかな すべてを手に入れることが 愛ならば もう失うものなんて 何も怖くない」
                               Aメロ終わり
 
愛さえあれば、例えどんな苦境でも乗り越えられる。青年はそう決意していた。でも今は一人、収穫作業中の農家を他所に、彼岸花を観賞しながら歩き続けていた。所々ピンクの花をつけるコスモスも咲いている。赤一色の彼岸花から一転して、コスモスは太陽光に照り映える。花言葉は、「謙虚」、「調和」、「乙女の純真」、まさに恋心を表していた。理想的な人生を歩むには、何事も謙虚になり、環境に上手く調和することである。男性の場合、純粋で清楚な姿の女性に心が引かれやすい。真っ赤な彼岸花から、色鮮やかなコスモスを見て、青年の心も揺れ動いていた。
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 川沿いを歩き続ける青年を他所に、農家は慌しく、せっせと稲を刈り取っていく。既に収穫作業の大詰めを迎えた農家は、はさ掛けを行う。水分を含む田んぼから持ち上げることにより、乾燥をさせるのである。2週間程天日干しにすることにより、乾燥して、日持ちが良くなる。もう一つの特徴は、アミノ酸や糖の含有量が高くなることにより、甘味を増す。

 丹沢山地に端を発する四十ハ瀬川は、川の両岸と道路との間に高低差がある。樹木が生い茂っている分、田んぼと行き来するスズメの集団が群れを成して飛んでいた。川沿いから、水面を矢のように飛ぶカワセミの鳴き声も響く。車のエンジン音や、人々の話し声も聞こえず、時が止まったかのような静けさに包まれていた。夏から秋への変わり目に散策した青年、一抹の寂しさを感じながらも、新鮮な空気に触れることにより、いくらかリラックスすることができた。

 第2章 伊勢原市へ

 小田急線の渋沢駅から、登り方面に4駅先の伊勢原市の伊勢原駅で降りて、バスに乗り換え、終点の日向薬師で降りた。

 山間に田園風景が広がる日向薬師は、彼岸花の里としても知られている。若いカップルや、年配の方を含め、棚田を取り巻く彼岸花を観賞した。昨2022年9月25日(日)は、前日首都圏に影響を及ぼした台風の影響により、倒れている株が多く、足元もぬかるんでいた。2023年は、梅雨時から一転して、雨が少なく、暑い日が続いた。彼岸花の開花は、昨年より一週間程遅かったという。
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 バスの終点「日向薬師」から道路を下り、脇へ反れると、再び彼岸花の里にたどり着く。里の一角の駐車場脇には、真っ白の花を咲かせたそば畑が広がっていた。アスファルトの道路沿いの、木造の家並みは、無機質で、新鮮味を失う。家と家の合間の駐車場の裏に広がったソバ畑は、開放的である。青空に照り映え、風に揺らめく様子は、絵葉書のような景色である。

ソバの花言葉は、「懐かしい思い出」、「喜びも悲しみもあなたを救う」、「幸福」である。
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 永遠のBメロには、主人公の青年から、恋人への思いが綴られていた。

 歌詞:「口の聞き方も知らない。生意気なやつだと思った?」

 年頃になると、気になった異性へ素直に気持ちを表せない。時に悪口を言って、怒らせてしまう。

 写真=永遠のジャケットの一幕 掲載元 侘び寂び https://t2nn.exblog.jp/23105657/
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 人は初めから正直になれないもの、恥ずかしさから、つい思っていることとは反対のことを口にしてしまう。異性から悪口をいわれるということは、現代語でいう「脈あり」ともいえる。

 続く歌詞:「偶然町で見かけたけど、声をかけようか、どうか 迷った」

 知り合いを見かけたら挨拶をするのがマナーである。とはいえ、意地悪した相手が、振り向いてもらえるのか、ためらってしまう。

 青年は、ソバ畑の脇の道を抜けていった。度々車が行き交う道を、幼虫たちが横切っていた。このままでは車に轢かれてしまう。葉っぱを掴んで、幼虫たちを安全な畑、または草地へと返した。夏が過ぎて、秋へと移り変わる中、昆虫たちは次の世代へと命を繋いでいた。

 道の先には、休耕田と共に土手一面に彼岸花が、所狭ましと咲いている。根元に彼岸花が咲く木を背景に記念撮影する親子、外国人のグループ、個人の散歩客に混じり、散策する。日向バス停付近の棚田は、日差しをたっぷりと浴びていた。こちらの休耕田は、太い木の枝によって、幾分日差しが遮られている。日陰に咲く株は、花びらの輪郭がくっきりと見える。
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 色鮮やかな花は、自分自身の恋とも重なった。

 続く歌詞:「守るべきものは何なのか、この頃それが分からなくなる」

   第3章 田原ふるさと公園へ

 午後3時バスに乗り、伊勢原駅を経由して、秦野市へと戻った。市の中心となる秦野駅では、前日の24日から2日連続で行われる「タバコ祭」の開催により、平時よりも列車の利用客は多い。駅改札口の外では、知人と待ち合わせのために、スマホを操作している若者の姿がある。普段は、朝方と夕暮れ時を中心にハイカーが集う駅構内は、祭に参加する若者や親子連れの割合が多くなる。駅構内の観光案内所へと立ち寄り、花の開花状況を聞き、北へおよそ3,3kmの田原ふるさと公園に向った。

 秦野駅から菩提経由渋沢行きのバスに乗り、田原入り口で降りて、北西へ1,3km歩く。葛葉川を渡り、住宅街の細い道を辿る。周辺は高い建物がなく、寺院も点在する。7月23日(日)に訪れた際には、朝方個人宅の蓮の庭へ足を運んだ。敷地内に池がなくても、家の主がしっかりと水を与えることにより、育つという。当時トウモロコシが植えられた畑には、ヒマワリが、真夏の太陽に向って、葉を伸ばしていた。現在は、コスモスのシーズンである。あぜ道に、ピンクの花をつけ、そよ風にのって、ススキと共になびいていた。
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 丹沢山塊のふもとに位置する西田原地区は、ふるさと公園にかけて、次第に緩やかな勾配になる。夏は300mにわたるヒマワリロードが、コスモスとススキに彩られていた。四季を通して入れ替わりに咲く花は、我々ヒトの生活に潤いをもたらす。心理的にも良い影響を及ぼし、五感を刺激し、記憶を呼びお越し、感受性が豊かになるという。実際西田原地区は、世界全域にわたってコロナの感染拡大防止措置がとられた西暦2020年に、ラオス人とカンボジア人と地元民の交流目的に、ヒマワリの花を育てたという。2022年には休耕田に蓮の種を播き、2023年に初めて花を咲かせた。現在は木道を整備し、蓮の花を鑑賞しやすくするという。

 午後3時30分を過ぎ、一段と涼しくなったとはいえ、農道を歩いている人はまばらだった。青年自身、花を観賞するうちに、確かに刺激を受けて、記憶が呼び覚まされていた。

 田原ふるさと公園へと続く、坂を上っていくる主人公の気持ちは、永遠のBメロの歌詞にも現れている。

「君と僕との間に、永遠は見えるのかな、どこまでも続く坂道、あの日から淋しかった、想像以上にJust fallin of the rain」

                                <Bメロ終わり>

 気持ちが揺れ動く青年は、源実朝の首塚がある田畑ふるさと公園へと足を伸ばした。7月23日の朝方物産展が開かれていたものの、この日の訪問時は午後4時代、一転して静けさに包まれていた。昨年の9月25日と同じく、田んぼの西側には、人気キャラクターの案山子が展示されている。スヌーピーやマリオ、鬼滅の刃の登場人物の姿もある。一方北の丹沢山塊側はコスモス畑、あぜ道には彼岸花が咲いていた。

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午前中訪れた四十八瀬川の流域では収穫作業中だった田んぼは、田原ふるさと公園では刈り取り前だった。田んぼには、害虫や雑草の種を目的に、スズメの集団が飛来する。そのスズメが、イラストの入った案山子を見て、番人だと錯覚して、逃げていくという。田畑を守る案山子を作成するうえで、より人目を引くキャラクターを使用したのである。我々ヒトが作り出した芸術が、時に農作物の害鳥対策に役立っていた。

コスモスの花には、蜜を求めてチョウが訪れていた。花や作物は、鳥や昆虫に恩恵を与える。チョウが花粉を運搬することにより、雄花から雌花へと自然と届けられる。チョウ自身も知らず知らずのうちに繁殖のパートナー役を担っていた。田んぼに降り立つスズメは、古くから農家を悩まされていた。確かに稲に寄生する虫を食べてくれるとはいえ、稲にも直接口にする。もみの中で米が十分生育する前のミルクのように柔らかい状態の際、直接吸い上げる。稲は育たずに、そのまま枯れてしまう。花に良い影響を及ぼすチョウ、稲穂を食べるスズメに対して、農家の見方は180度異なる。古くからお互い共存するうえで、知恵比べを行った。我々ヒトが一枚上手だった。案山子を使って、威圧感を与えることにより、スズメを遠ざけていた。また防鳥ネットなども対策に使用されている。ふるさと公園は、昭和の里山を、令和の時代にも残していた。

 高台に位置するふるさと公園から、ジョギングにて、最短で3,3km南の秦野駅へと向った。田畑から抜けると、一戸建て住宅地の中を走る生活道路である。道はしっかりと舗装され、所々弁当屋や、クリーニング屋の看板を見かけた。くずは団地入り口の坂を下るところだった。伊勢原市の日向薬師で見たそば畑が広がっていたのである。時刻は午後4時過ぎ、陽が翳るにつれて、白の花と緑の茎一色に染まった畑には、光の当たり方に差が出る。手前は、道路沿いの木々により、薄い影になっているものの、奥へ行くほど、陽にあたり、真っ白に染まった。

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我々人の世界も境遇は様々だった。仲間達に恵まれ、恋をして、家庭を築き、幸せな生活を送る人も確かにいる。一方では、進路に躓き、恋も上手くいかず、悩みを抱える人も少なくない。花も我々人の世界と同じように、光りと影がある。陽に当たれば、生育状況が良くなり、甘い香りを放つ。逆に陽が当たらなければ、育ちが悪く、場合によれば萎れてしまう。我々人と同じように、花も育った環境によって運命が変わることに気付かされた。

第4章イスラエル軍とハマスの戦い

 我々人は、産まれた環境により、人生が変わるといわれている。地中海に面したパレスチナのガザ地区は、16年間イスラエル軍によって封鎖され、子供たちは外の世界のことを知らずに育っていた。2023年10月7日に、ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義政党スンニ派のハマスは、イスラエルとサウジアラビアの外交関係樹立を懸念して、軍事行動を起こした。

写真 掲載元 ロイター通信より
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ユダヤ人追放を掲げ、軍事行動に出たのである。戦闘員が、ハングライダーを使って、地区を包囲する壁を乗り越え、民間人を人質にする。ガザ地区からは、ユダヤ人居住区へロケット弾を打ち込む。イスラエル側も、兼ねてからテロ集団と決め付けていたハマスと戦う姿勢を鮮明にする。ネタニアフ首相は、野党の党首に協力を求め、挙国一致内閣を結成する。ガラント国防省は、30万人動員した予備役に対して、団結を呼びかけた。対テロリストを掲げるアメリカが、いち早くイスラエルに支援を表明する。イギリスもアメリカに追随した。一方イスラム原理主義のイランのライシ首相は、ハマスに連帯を示す。パレスチナ自治区ガザの保健当局は12日、イスラム組織ハマスとイスラエル軍の戦闘によるパレスチナ側の死者が1417人になったと発表した。イスラエル側と合わせて死者は計2700人以上となった。鹿児島県種子島程の面積に、200万人が暮らすガザ地区では、空爆を受けると、一般市民に逃げ場がない。ネタニアフ首相は、12日午後4時に到着した米国のブリンケン国防長官と協議を行った。地上部隊によるハマス掃討作戦に備え、民間人を退避させる「人道回廊」の建設が主題になったとみられている。翌13日には、ヨルダンを訪問し、ヨルダン川西岸地域を統率するPLOのアッバス議長と、ヨルダン・ハシェミテ王国のアブドゥラ国王と会談した。

 写真=ブリンケン国防長官とアッバス議長 掲載元 朝日新聞デジタル 2013年10月13日付け AP通信 https://www.asahi.com/articles/ASRBF527QRBFUHBI01R.html
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10月15日までの日程で、UAE、サウジアラビア王国、エジプト、カタールの5カ国を訪問し、ガザ地区の住民の受け入れ先として理解を求める。ガザ地区を実効支配するハマスの軍事行動の理由の一つは、イスラエルとサウジアラビアの国交正常化へ近づいていることにあったとみられている。サウジアラビアの首相を務めるムハンマド皇太子は、軍事衝突を重く見て、対イスラエル政策を改めたサウジアラビアの情報筋によると、10月14日にムハンマド皇太子は、イスラエルとの国交正常化交渉を凍結する意向を示したという。他国も今回の軍事衝突に対して、反応している。中国の王毅外相は14日に、ブリンケン国防長官と電話会談をした。国際会議を開催し、2国共存の道を探るべきだと、訴えたという。王毅外相は、訪中したEUのボレル外相と直接会談に臨んでいた。ロシア軍のウクライナ侵攻について、中国側に自制を呼びかけてほしいと、求められたという。

 戦争当地国のロシアのプーチン大統領は、13日にキルギスの首都ビシュンケクで行われたCIS(独立国家共同体)の会議に出席した。加盟9カ国のうち、親欧米路線のモルドバと共に、ナゴルノ・カラバフ紛争に伴うロシアの対応に不満を抱いていたアルメニアは欠席している。加盟7カ国と準加盟国トルクメニスタンを加え、8カ国で協議する。会議を主導するプーチン大統領は、ハマスとイスラエルの武力衝突についても言及した。イスラエルの自衛権を認めるものの、ガザ地区への空爆により、多数の民間人が犠牲になったことに遺憾の意を示した。一連の武力衝突の原因を、交戦国ウクライナへ武器を供与する「アメリカの中東政策の失敗にある」と非難した。
 ベラルーシのルカシェンコ大統領は、ソ連時代を振り返り、「かつて誰もが我々を恐れ、尊敬していた」と力説する。中国やインド、グローバル・サウスと呼ばれる新興国と経済協力する必要性を説く。発展著しい国と協定を結ぶことにより、「発言力が増す」とCIS加盟国として再結束を呼びかけた。首脳会議の締めくくりにプーチン大統領は、「西欧からの経済制裁を受ける中、経済協力はいっそう拡大している」と結束力をアピールした。

 写真=プーチン大統領とキルギスのジャパロフ大統領 2023年9月12日ビシュケクにて ロイター通信 北海道新聞2023年10月12日付 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/923954/
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 なお欠席したアルメニアに対して、ナゴルノ・カラバフ紛争の和平協議を仲介する意思を示した。アルメニアは、2023年1月に、CSTO(集団安全保障条約機構)の共同軍事演習を拒否している。対照的に9月11日から20日の日程で、ロシアと敵対するアメリカと軍事演習をしていた。同国のパシニャン首相は、プーチン氏との関係を立ち切ろうとしているのである。10月3日、アルメニア最高会議は、ロシアとの同盟関係を断ち切る重要な決断を下した。プーチン氏に逮捕状を出している国際刑事裁判所(ICC)への加盟に向けて、国際条約を批准したのである。IOCの管轄国は、逮捕状を出している容疑者の身柄を拘束する義務が生じる。従って、プーチン大統領は、アルメニアに近寄れなくなった。CISもCSTOも国際的には形骸化が指摘されている。今回のアルメニアの対応で、ロシアの求心力の低下が浮き彫りになった。

 戦争と無縁な生活をしている日本人は、ガザ地区の気持ちをしっかり理解することはできない。住処を追われ、命からがら逃げてきた人々の身になると、失恋は小さいことに感じてしまう。平和な世の中にいることを実感しながら、青年は走り続けた。

 第5章 秦野盆地を眺める夜景スポットへ
 
 坂道を下っていき、EON秦野店の前を通った。ちょうど前日の23日(土・祝)から開催中のたばこ祭に合わせて、露天が立ち並んでいた。特設ステージでは、有名人によるトークが行われる。親子連れや若いカップルなどが中心となり、皆仲良く笑い声を上げながら、賑やかな祭の雰囲気を味わっていた。

 失恋中の青年自身、確かに親子連れや若いカップルの姿を見ると、心が痛くなる。彼には、とまっている暇はない。マスクをして、ジョギングしながら、人ごみを掻き分け、秦野駅へとまっしぐらに向った。顔なじみの職員から「お帰りなさい」と声をかけてもらった。田原ふるさと公園への道程について話だすと、植物についても教えてくれた。ランニング中に出会った葛葉台団地入り口の高台に咲くそば畑は、毎年決まった時期に植えているという。秦野市は、最高峰の標高1490メートルの搭ノ岳を頂点に、岩の難所を乗り越える本格的な登山コースから、標高303mの頭高山へと繋がる渋沢丘陵のハイキングコース、標高20mから30m程度の盆地を含め、高低差が激しい。盆地から丘陵地まで散策することにより、足腰は鍛えられる。確かに疲労はするとはいえ、変化のある自然に触れることにより、充実感を味わえる。気持ちががらりと変わった青年は、秦野市観光案内所の職員に、丁寧に思ったことを伝え、ハイキングを再開した。

 夕暮れ時目指すのは、標高190mの震生湖へと繋がる渋沢丘陵・今泉町の眺望が良い尾根である。祭が行われる駅北側とは一転して、南側は一戸建ての住宅街が続く。駅から離れていっても、祭囃子が聞こえる。対照的に住宅地の中は、いつにもまして、静けさに包まれていた。

 午後5時30分過ぎ、陽は既に落ちたとはいえ、雲ひとつない空の下、高台から秦野盆地の町並みが、クリアに見渡せた。丘陵地の畑を縁取るように、真っ赤に染まった彼岸花が咲く。古くからお墓で観察されたことから不吉な出来事が起こる予兆ともされていた。近年では、イメージを払拭するかのように、彼岸花の絵柄が入ったペンダントや洋服も販売されている。青年と恋人の間では、確かに赤いハートが出来たとはいえ、結局は壊れてしまった。今悩んでも仕方ない。ガザ地区では、水も食料もなく、苦しんでいる人々が沢山いる。気持ちを改めなおしていた。

 写真=17時42分         写真=17時44分
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いつの間にか日差しが消えて、田んぼは影に覆われる。対照的に、盆地の街明かりが灯った。茜色に染まった西の空には、くっきりと富士の頂が顔を出していた。

 Cメロのサビの歌詞:「君と僕との間に永遠は見えるのかな、この門を潜り抜けると、安らかなその腕にたどり着ける。また夢を見る日まで」

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 写真=18時02分         写真=18時05分
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 盆地の町並みを背景に、畑地に聳え立つ椰子の木が、異世界への入り口を示しているようだった。かつての彼は、異世界へ身を預けてしまおうと、思っていた。今ははっきりと違うといえる。夏から秋へ移り変わり、彼岸花やコスモスに彩られた秦野市と伊勢原市を旅して、再び同じ景色を見るために、歩もうと決意した。眼下には、心機一転した青年を迎えてくれるかのように、明かりが瞬いていた。リュックを背負い、確かな足取りで、盆地へと下っていった。

写真 掲載元 幻灯者 PLUSより https://www.gentosha.jp/article/13515/
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