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2023年05月01日16:14

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シャンタル・アケルマン3時間20分の衝撃問題作「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」。教えてくれたマイミクのトムさんに感謝。こうして4月が終わる。

 23日(日)に一昨年2021年9月公開の外国映画「偽りの隣人 ある諜報員の告白」を観る。

「偽りの隣人 ある諜報員の告白」(イ・ファンギョン)
軍事政権下の韓国が舞台だそうだが、そんな時に大統領選挙が施行されたのかどうか?実話がモデルなのか?純然たるフィクションなのか?韓国の歴史に詳しくない私には定かではない。とにかく野党の大統領候補に対する理不尽で徹底した弾圧が描かれる社会派サスペンスである。次期候補を自宅軟禁し、公安のチームが隣人を装って盗聴・監視の限りを尽くす。権力に対する怒りに溢れたタッチだが、候補を共産主義者にデッち上げるための留守宅潜入工作あたりは、そのチグハグさがドタバタを生み出しスラップスティックを思わせる報復絶倒の可笑しさで、緩急自在の語りが洗練されている。最後に公安刑事が候補者にシンパシーを感じて、暗殺の毒牙から護り通す展開は、韓流ならではの粗っぽさだが、日本のこの種の社会派映画に対して、一本調子でなくユーモアを散りばめているのがよい。(ただし日本にも「にっぽん泥棒物語」という秀逸な喜劇があったことは邦画の名誉のために言っておこう)最後は野党候補者が大統領に当選するが、金大中あたりがモデルなのだろうか。(よかった)

 24日(月)に一昨年の令和3年3月公開の日本映画「奥様は、取り扱い注意」を観る。

「奥様は、取り扱い注意」(佐藤東弥)
凄腕の裏の顔を持つ男女が、お互いの身分を隠し夫婦生活を演じる奇抜な楽しさを狙った映画として、以前ハリウッドでは「Mr.&Mrs.スミス」なるアンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピット競演の快作があったが、本作の綾瀬はるかと西島秀俊コンビ(特に綾瀬はるか)も華やかさでは引けを取るまい。オリジナルはTVドラマで、タイトルはおふざけ調だが、どうしてどうして地方都市開発の是非という社会派テーマにロシアが結託した陰謀という本格的PF(ポリティカル・フィクション)だった。ただ、日本の現状から鑑みて、この類の題材となると絵空事風に流れるのは止む得まいが、綾瀬はるかの風貌・肢体でアクションもキレキレに仕上がり、そこそこ目を楽しませてくれる。綾瀬・西島の愛も虚実皮膜のままで、綾瀬はるかとのその後を続篇で観たい期待も残した。(まあまあ)

 24日(月)に一昨年2021年12月公開の外国映画「パーフェクト・ケア」を観る。

「パーフェクト・ケア」(J・ブレイクソン)
人の善意など微塵も信じず弱肉強食の論理で、合法的に高齢者資産を搾り盗る悪徳後見人をロザムンド・パイクが颯爽と演じ切るピカレスク。ヒョンなことからロシアン・マフィアと絡むことになり命の危険に晒されるが、そんなことにもめげず、さらに社会的成功に繋げていくしたたかさは、悪党とはいえここまでやるのかと爽快の限りで、ゴールデン・グローブ主演女優賞も納得だ。さすがにハリウッド映画だから、完全勝利か否かは余韻を持たせた終り方になるが、それにしても、丸め込める医師と介護施設とお人好しの判事を上手く使いこなせば、こんな犯罪まがいが可能なアメリカ社会は、事実なら恐ろしき限りだ。騙される平凡で善良な老女(とはいえ映画中では私より年下の1949年生れとのこと)のダイアン・ウィーストが、後段で実の顔を曝け出す凄みも見物だ。(よかった)

 26日(水)に昨年2022年9月公開の外国映画「スーパー30 アーナンド先生の教室」を観る。

「スーパー30 アーナンド先生の教室」(ヴィカース・バハル)
天才的な数学の才能を有し、ケンブリッジ大学の推薦入学を受けながら、貧しく渡航費が無いために断念せざるを得なかった男が、貧しい者にも教育機会を与える大切さに目覚め、私財を投げ打ち優秀な30人の少年少女を集めて無料の私塾を開講し、金持ちエリート大学への全員合格を目指す。仇役は教育ビジネスで富裕層から金を搾りとっている経営者だが、「王になるのは王の子供」との信仰を有する下層庶民の考え方も内部の敵である。さらに、文部大臣以下の金持ち優遇の国の体制もあり、それと闘って勝利を勝ち取る実話を基にしたサクセスストーリーで、歌って踊って2時間半越えのインド映画ならではの巨編。フィクションもかなり入り混じっているようで、国家と金持ちとの癒着ぶりや、30人全員の受験阻止のために殺し屋集団が襲撃してくるなど、カリカチュアにしてもひど過ぎ、それを知能を駆使して撃退する少年少女の武装戦も、いくら歌って踊ってのインド映画とはいえ、ここまでリアリティに欠けると興覚めだ。珍しく嘘のつき方が下手なインドだった。(あまりよくなかった)

 28日(金)に昨年2022年4月公開の外国映画「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」を観る。

「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」
                        (シャンタル・アケルマン)
「映画のルーティンをことごとく破壊し、観る者を全く新しい地平へと誘う」と世界的評価を得ているシャンタル・アケルマンの、映画の原点について多くの示唆に富んだ1975年公開3時間20分の大問題作。日本では2022年4月〜5月の「シャンタル・アケルマン映画祭」で初公開された。

 私とアケルマンの最初の出会いは、彼女の処女作「私、あなた、彼、彼女」で、前にも記したごとく映画の原点について大いに考えさせられた傑作であった。特徴はフィックス長廻しの映像の連続である。

 そこで期待を大にして「オルメイヤーの阿房宮」「囚われの女」「アンナの出会い」と連続観賞に至ったが、私が関心を持てない題材ばかり扱っているせいか、フィックス長廻しの特徴も思わせぶりにしか見えず、残念ながらピンと来る作品には出遭えなかったので、俺にはシャケルマンはダメだなと思いかけていた。

 そんな中で、マイミクのトムさんからアケルマンは「ジャンヌ・ディエルマン」が「最大の衝撃」「最も評価が高いのではないか」とコメントで教えられ、今回の録画観賞に至ったのだが、持つべき者はマイミクで、アケルマンを見限らずホントに出遭えて良かった。トムさん言うところの、正に「最大の衝撃」作であった。

 トムさんの言によると「長時間で繰り返しが多いのでテレビでの鑑賞には向かないかもしれません」とあったが、幸いにも後期高齢者の私は、映像に初めて接したのが映画館の暗闇の世代なので、小さなテレビ画像で映画に対峙しても、頭の中で劇場のスクリーンに「スイッチ」して観る慣習(この表現は多分蓮見重彦さんの言だと思う)があり、その弊害は避けられた。

 これだけでは、この映画の全貌も素晴らしさもチンプンカンプンだろうから、もう少し具体的に記述していきたい。

 フィックス長廻し映像の連続という特徴は、本作も他のアケルマン作品と変わらない。一つの人間の行為が区切られる時点まで、徹底的に追い続ける視点である。本作では、思春期の息子とのアパート暮らし未亡人の生活ディティールが、3日間に亘り定点観測のごとく淡々と綴られていく。

 それだけで、何故3時間20分の長尺になるかというと、食事の支度・浴室での身体洗い・息子とのとりとめの無い会話をしながらの食事・食器洗いと収納・ベッドメイキングといった日常行為を省略無く映像に納めていくからだ。

 一つの行為が終わって部屋を移動する時、部屋の照明を消すが、その後の暗くなった室内もしばらく映し続けるのだから。ワンカットは3〜4分以上に至る。長尺になって当然だろう。

 1日目の冒頭で、男が訪ね「次は来週に」と意味不明瞭な言葉を残し、金を渡して帰っていくのが、出来事らしい出来事であり、かくして淡々と1日目は終わる。

 2日目が始まっても、日常に大きな変化があるわけもなく、強いて言えば買い物で外へ出ること位である。これも、エレベーターまでの乗り降り・アパート玄関からの出入り・店までの徒歩・買い物での店員との遣り取りetcが、フィックスの画面から人物が切れるまで、映し続けるから、延々たる時間の流れになる。

 2日目の出来事といえば、再び別の男が訪れ金を置いて去ることくらいだろう。この頃になると、アパートの部屋の間取りも頭に入ってくるので、何だか男が寝室にも入っており、穏やかじゃない感じなのだが、これも淡々とした日常描写に埋もれて、すぐ忘れてしまう。実はこれがエンディングの「最大の衝撃」に繋がってくるのだ。

 そんな淡々とした日常描写を観続けていて、何が面白いのと言われそうだが、これに目を離せなくなってくるから不思議だ。日常を見続けることにより被写体に愛着が湧いてくるからだろうか。主演のデルフィーヌ・セイリグのスターの放つオーラの為す術なのだろうか。いずれにしてもアケルマンのフィックス長廻しの特徴は、下手なドラマ性など無い方が眼を惹き付けるのかもしれない。

 そして3日目、衝撃が訪れる。さらにエンディングカット、やや血のついた手を形容しようもない姿で、見つめるでもなく見つめないでもなく、テーブル前の椅子に座り込んだセイリグのフィックス長廻しは圧巻の一語に尽きる。

 ラストの衝撃の惨劇には何の説明も無い。だから、その背景に無限の想像力が働くのだ。これもまた「映画の粋」の究極であろう。(ネタバレに近くなるので、奥歯に物の挟まった表現で恐縮です)よくよく考えると、三面記事ネタかタブロイド新聞のスキャンダルでしかないのかもしれないが、ここに人の世の深淵を覗かせたのは驚異だ。

 デルフィーヌ・セイリグの代表作言えば、「去年マリエンバートで」の人造美女を思わせる謎のクールビューティーの「A」である。今回は平凡な中年未亡人を鮮やかに具現化しており、その振れ幅の大きさにも感嘆した。(よかった。ベストテン級)

 映画の見方という観点でも、改めて「ジャンヌ・ディエルマン」には再考させられた。劇場では3時間20分の長尺を、休憩なしで多分一気に廻したであろう。かくいうビデオ録画観賞の私は、3日間を描くこの映画を、適当な区切りをみつけて分割観賞した。

 ある次期まで私は、TV放映で観た映画を観賞作品としてカウントしなかった。それだけ映画を壊滅産業に追い込んだTVという存在を憎み切っていたのである。その認識が変わったのは、1997年公開(ビデオ録画でいつ見たかは記憶にない)「SHOAH ショア」からだった。

 10時間弱の大長編ドキュメンタリー「SHOAH ショア」は、3分割程度で劇場公開されたと思うが、その題材の苛烈さから、私は1時間程で気持ち悪くなり、観るに耐えられなくなった。それからは食事前を避けて、1時間くらいに刻んで何とか完走を果たした。でも、そんな見方ができたらこそ、この大傑作を堪能できたのである。

 映画というのは90分前後が望ましいと思うのは、オールドファンの私の感覚だ。それは人間の生理にも合致しているのではないか。授業時間は齢を重ねる毎に長くなっても、大学の90分が上限である。1日掛かりの会議でも、午前・午後に各1回の休憩をとるから、やはり持続は約90分前後だ。

 田辺・弁慶映画祭で今は亡き大森一樹監督がこんな意味のことを言っていた。「今の若い人はよく平気で2時間や3時間の映画を創るよなあ。映画は90分前後!それ以上のことをやっていいのは黒澤明かディビッド・リーンくらいだよ」私も同感だ。

 3時間20分の「ジャンヌ・ディエルマン」を、劇場でぶっ通しで観たらどんな感想を私が持ったかは不明だが、いまやビデオのブツ切り観賞でも良いものは良いと、「SHOAH ショア」以降の私はそんな感覚になっている。

 それでもインド映画をインターミッションのタイトルがあるのに連続映写する現在の劇場環境はいかがなものか。CS「ムービープラス」は途中CMタイムが入るのが難点だが、インド映画放映の時は、なかなか乙な感じの放映になっているのは間違いない。

 かくして4月が終わり、1年の1/3が終わった。前回日記から月末までに観た映画は次の12本。

「ホテル」「眠る虫」「散歩する植物」「偽りの隣人 ある諜報員の告白」
「奥様は、取り扱い注意」「パーフェクト・ケア」「エンパイアレコード」
「にゃんこ THE MOVIE」「スーパー30 アーナンド先生の教室」
「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」
「インサイダーズ/内部者たち」「暗数殺人」

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