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2023年02月15日09:25

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眼で観せて、眼で魅せた傑作 。「最後の決闘裁判」

 2月11日(土)に一昨年の令和3年2月公開の日本映画「生つば美人妻 妄想で寝取られて」を観る。バリバリのピンク新作を早々に放映してくれたチャンネルNECOに感謝である。

「生つば美人妻 妄想で寝取られて」(竹洞哲也)
ピンク映画脚本家の石川雄也は、筆が進まなくスランプになり、並行して妻の神納花との夫婦倦怠期もからんで、セックスレスに落ち込んでしまう。この題材なので、映画中映画で多彩な女優のカメオ・ゲスト出演があるから、ピンクとしての間だけは何とか持つ。昔、新田栄映画がよく用いた安易な手であるが、そこは才人の竹洞哲也=小松公典の監督・脚本コンビ、そこだけには納めない。ベテラン先輩脚本家の森羅万象とピンク男優の細川佳央がセックスレス対策として、疑似不倫を仕掛けることになるが、芸達者3人のコラボで楽しいものになっており、エンディングもピンク流に洒落ていた。(よかった)

 2月13日(月)に一昨年2021年10月公開の外国映画「最後の決闘裁判」を観る。

「最後の決闘裁判」(リドリー・スコット)

「映画は眼で観せる」。故・淀川長治さんの名言であるが、確かに映画は眼で観せて、眼で魅せなければならない。そして、リドリー・スコットは紛れもなく眼で魅せる名監督の一人である。

「最後の決闘裁判」は、14世紀末のフランスをスペクタクルに視覚化した映像的魅惑に溢れた史劇である。奥行の深いスケールの大きい構図の連続と、最近の映画には珍しく長回しで、早いカット割りや目まぐるしくカメラを振り回したりしないドッシリした映像の魅惑に溢れている。

 えてしてこの手のスペクタクル史劇は、燦々とした陽光の下でカラフルな場合が多いのだが、この映画は一味ちがう。曇天で屋内も当時の自然光に近く、その光と影の陰影がたまらない映像世界を醸し出し、重厚なリアリズムを構築している。

 こういう作品こそ、自宅のモニターでなく劇場の大スクリーンで観たいものだが、幸いに私はTV時代以前の、映像に映画館で初めて接した世代なので、こういう時は映画館の大ワイドスクリーンに「スイッチ」して観る慣習が身に付いているのである。

 脚本が「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」コンビを復活させた今をときめく2大スター、マット・デイモンとベン・アフレックだ。当然、二人とも主要キャラでキャステイングされている。この二人が実にいい。現代アンチャン風の臭いも無く、完璧に時代劇の顔になっているのだ。

 顔のことを言っちゃあ失礼だなどと言うなかれ。以前「トロイ」でなかなかの力作にも関わらず、アキレスを演じたブラピが、完全に現代風ヤンキー顔でドッチラケにさせた過去がある。デイモンとアフレックが14世紀フランスに違和感が無く溶け込んでいたのは、大変に重要なことなのだ。もう一人の競演者アダム・ドライヴァーも現代青年の雰囲気を微塵も感じさせなかったのはお見事だし、主要キャストのもう一人のジョディ・カマーも完全に中世の女の顔になっていたのも、さらに良かった。

 何だか映画の内容と関係無い枝葉末節なことばかり言っているみたいだが、実は眼で観せる映画にとって、これは極めて大切なことなのだ。

 この映画は当時の価値観を、そのまま何の現代的な解釈も論評も加えずに、再現しているところにあり、決闘の生死が神の意志であり真実であるとか、女が絶頂を究めた時に受胎するとか、レイプされた事は恥であり女はその事に沈黙を貫かねばならないとか、現代なら一笑に付すしかない諸々が、本気で信じられていた時代の物語なのである。

 もちろん、近代に移り変わろうとする15世紀の直前であるから、裁判の決着を決闘でつけることのナンセンスも暗に意識されつつあり、この決闘裁判自体も久しく無く何年ぶりかで、尚且つこれが「最後」となったあたりに時代の趨勢を感じさせて興味深い。時代の趨勢と言えば、武骨一辺倒の騎士デイモンに対し、徴税能力に長けたサンドラーが、領主アフレックの覚え目出度く、それが悲劇の遠因になるあたりも、一つの時代の終焉を感じさせる。

 ストーリーの骨子は、デイモンの妻ジョディ・カマーに対して、サンドラーへのレイプがあったか無かったかであり、そこも含めて映画は3人の視点から、3度繰り返し描写される。しかし、肝心のレイプの部分は、「羅生門」のように明確な差違が示されることもなく、当時の女性の微妙な心理状態が仄めかされる程度なのもリアル感がある。

 歴史的事実に、現代的な解釈も論評も敢えて付加せず、リアルなスペクタクル描写で魅せ切ることにより、かえって無限に様々なことを考えさせられる。これぞ眼て観せ、そして眼で魅せる映画の王道と言えよう。(よかった。ベストテン級)

 2月14日(火)に一昨年2021年7月公開の外国映画「ゴジラvsコング」を観る。

「ゴジラvsコング」(アダム・ウィンガード)
ゴジラは核実験で目覚めた太古の怪物、モスラはインファント島の守護神、キングギドラは宇宙怪獣etc、こういう基本を外さない限りゴシラ世界は何でもありだ。そんな形でいくつのパラレルワールドを現出させてきたことだろう。今回は地球空洞説と世界支配を目論む巨大企業が引っ張り出された。そして地上最強の「物」を造らんと巨大企業が暗躍し、自然神の象徴であるゴジラとコングが対峙する。だから正確にはvsではないのだが、うるさいことは言うまい。うるさいことついでにもう一つ。芹沢博士二世の役で小栗旬が出てくるが、ゴジラ退治の「物」の発明者とのセオリーを踏まえているとは言え、これでは単なる悪役に過ぎず、日本人としてはやや寂しい。いずれにしても創り手のゴジラ愛は十分に感じられた。(よかった)

 湯布院映画祭のパーティーで金子修介監督との怪獣談義を懐かしく思い出した。『「大怪獣総攻撃」は傑作なんですけど、天の神キングギドラ、水の神モスラは反則ですね。キングギドラと言ったら宇宙怪獣、モスラと言ったらインファント島の守護神に決まっているでしょう』と突っ込みを入れたら、『実は当初は天の神はバラン、水の神はアンギラスだったんですよ。でも東宝からそんなマイナーなのは駄目だ。モスラとキングギドラを出せと言われて、地の神バラゴンだけが残ったんです』と返って来た。さすが怪獣オタクでもある金子監督、わかっていらっしゃる。

 別の年のパーティーで大森一樹監督に『「ゴジラ対キングギドラ」のキングキドラがドラット3匹の核実験による融合というのは、面白いからいいんですけど宇宙怪獣のセオリーとは外れてますね』と突っ込んだら、『まあね、そこは勘弁してよ』と苦笑いしていたことも思い出した。

 結構、俺もつまらない怪獣談義で楽しんでいたんだなあ。

 前回日記から14日(火)までに観た映画は次の8本。

「次郎物語」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地黎明」
「マキシマム・リスク」「しあわせになろうね 極道解散!」
「生つば美人妻 妄想で寝取られて」「野性の呼び声」「最後の決闘裁判」
「ゴジラvsコング」

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