中学高校時代は、神奈川県内の某中高一貫校に通っていました。
中学時代の一大イベントとして、3年間通じての行事だったのが『スキー教室』。
中学1年から3年までの全校4×3=12クラス。バス12台借り切って、当時の群馬県の水上町、現在のみなかみ町のスキー場に行っていました。
3年間同じホテルの同じスキー場に行く事になっていたため、中2、さらには中3ともなると、「帰ってきた」ような気分になったんですね。
そんな私も中1、中2と行き、そして最後中3になった時の事です。
行程は『4泊5日』。初日の午後に現地に到着し、その日は夕方までスキー学習をし、夕食の後は(ホテル内)自由行動となっていました。
ただ、現地が雪による悪天候のため、12台の内、中3の自分たちのクラス何台かがアイスバーンで坂を登れなくなってしまったんです。
中1、中2はすでに現地に到着している状況。
とうとうレッカー車みたいなので“上”に引っ張ってもらう事態にまでなりました。
3年間行ってて初めての経験でした。
結局全員無事到着できたのは夕方5時過ぎの事。その日のスキー学習は中止となり、そのまま夕食→自由行動という流れになり、夜10時には消灯になりました。
これがまさに28年前。
平成7年。1995年1月16日の、わたくしの夕方の出来事でした。
そして翌1月17日。
学校行事で来ていたので、朝は6時起床。先生に起こされた形になり、誰ともなく自然とテレビをつけたら…
もう当時すでに放送されていた、『めざましテレビ』(大塚さん・八木さん時代)にて…
「近畿地方で震度6」
地震報道一色でした。
無論ケータイなんてまだない時代。
すぐに公衆電話から自宅に電話。
兵庫県伊丹市に当時祖父母が住んでいた事もあり…
「関西のおばあちゃんたち大丈夫かなぁ…」
なんて心配していたのを覚えています。
その日はもちろん報道特番一色。
また、当時こんな記事もありました。
>民放で地震報道にもっとも力を入れたと思われるのはフジテレビである。
>フジは、地震発生直後から18日午後7時58分まで、連続38時間ブチ抜きで地震報道を続けた。17日午後7時からは特別番組「近畿直撃震度6大地震」を放送。「笑っていいとも!」「ごきげんよう」は20日まで休んだ。
この“連続38時間”は当時のスポーツ新聞にも載ったほどの出来事でした。
17日夜のNHKの報道特番の中で、こんな“一言”まであったくらい…
「死亡者数が1名増えました。あ、すみません。これはひき逃げによる死者だそうです。」
地震報道一色だったとはいえ、この一言は強く印象に残りました。
“4泊目”にあたる1月19日夜。
先生からこう言われました。
「震災の時、お前たちは群馬にいたんだ。その事をよく覚えておくように。」と。
28年前。1995年の記憶から書き起こしました。
以上です
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