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2022年10月16日09:35

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猪木さんが生きていた時代

私は特にプロレスが好きではないけれど、子どもの頃にジャイアント馬場とアントニオ猪木の映像はよく観ていた。いまはサッカーやバレーなど夢中になれるスポーツは多いが、昭和は野球とプロレスくらいだったのだろう。その猪木さんが亡くなり、コロナ禍では珍しく派手な告別式も行われたようだ。

猪木さんはプロレスラーだけでなく、政治家などいろんな顔があった。とくに語り草になっているのは、イラクで人質になった日本人の解放、そして30数回に及ぶ北朝鮮訪問だ。北朝鮮で行われたプロレスは現地の人たちを熱狂させ、闘魂ビンタを希望する人の列ができた。その行為にどれだけの功績があったかは何ともいえないが、少なくとも行動する人であったことは確かだろう。

20年ほど前に難病に冒され、闘病生活を送っていた。それでも訪ねてくる人は拒まず、死の間際にユーチューブにも登場。「世界からゴミを消す」といった発言までしている。その一方で漏らした「バカのひとり旅」という謎の言葉。おそらく自らの死が近いことは見越していたのだろう。それでも最後まで痩せ細った姿を世間にさらし、サービス精神を貫いた猪木さん。私たちが考えている以上に、貴重な人を失ったのかもしれない。

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