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2022年10月14日22:49

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(完成)鉄道開業150周年 新橋ー横浜間 日本鉄道の父モレル、高輪ゲートウェイ駅付近の遺跡 新たな観光列車

本題 鉄道開業150周年 新橋ー横浜間 日本鉄道の父モレル、高輪ゲートウェイ駅周辺の遺跡 新たな観光列車

 
 10月14日(金)、鉄道開業150周年に合わせて、京都駅や新大阪駅などの11店舗で、駅弁業者9社による特製駅弁が発売された。新橋駅では、記念式典が開かれ、東京都と神奈川県を中心に、博物館にて、記念の展覧会が開催されている。今回は、鉄道開業の歴史と共に、観光列車やローカル列車についても取り上げる。

 目次
・第1章 10月14日、新橋駅朝での記念運行列車が発車する。
・第2章 鉄道建設の始まり
・第3章 関西での鉄道トンネル工事へ 21世紀のてっちゃん
・第4章 JR西日本が発表した新たな観光列車

   第1章 10月14日、新橋駅朝での記念運行列車が発車する。

本日日本に鉄道が開業して150年を迎えた。1872年(明治5年)、当時の駅名新橋(現在の汐留駅)と横浜(現在の桜木町駅)間、全長29キロメートルになる。最高時速は32km、所要時間はノンストップで53分だった。ダイヤは1日9往復、1881年には複線化した。対向車を待つ必要がなくなった分、運行本数の増加、または所要時間の短縮に繋がった。日本初の鉄道開業の起点となった東京・新橋で10月14日午前9時33分、開業150年を記念する桜木町(横浜市、現在は根岸線の停車駅)行きの特別列車が発車した。

 写真=特別列車の発車式典の様子 東京・新橋 嶋田達也撮影 朝日新聞デジタル 2022年10月24日付け
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特別列車の運行に使用したのは、JR東日本のハイグレード車両「E655系」なごみの愛称もつけられている。、熱心なファンが拍手を送って、出発を見送った。乗客は、事前予約した約100人、開業当時の沿線を走行する。発車から2分後、時刻表どおり、山手線普通列車が新橋駅に停車し、ドアから沢山の通勤・通学客が降りた。式典が行われたとはいえ、ダイヤに大きな乱れはなく、分刻みの運行を維持できたのである。鉄道はいまや、デザインなどにひかれ、写真撮影の対象としても需要が高まっている。文化としてもすっかり定着していた。

 写真=鉄道150周年記念切手 JR6社共同企画 トラベルWATCH 2022年4月13日
https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1402264.html
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 開業150周年公式サイト https://railway150.jp/



            第2章 鉄道建設の始まり

 事の始まりは、1870年(明治3年)まで遡る。大隈重信主導の下、民部省が指揮をとり、鉄道建設計画が始まった。長く鎖国状態だった日本には、外国人技師を必要としていた。イギリスの公使ハリー・パークスの推薦により、セイロン島(現在のスリランカ)で指揮をとっていた英国人のエドモント・モレルが、日本に招かれた。

写真=エドモント・モレル (1840年11月17日 - 1871年11月5日) 掲載元ウィキペディア
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 以下 モレルの計画についての参考リンク 日本史はストーリーで覚える!2018年1月25日付け 【鉄道開通】明治時代の鉄道物語 【エドモント・モレル】
 https://motomiyatakahiro.hatenablog.com/entry/2018/01/25/143400

 彼は28歳の若さで業界トップの役職となる鉄道兼電信建築師長に就任し、1870年に明治政府に呼ばれて、来日した。建設に反対する兵部省とも交渉に入ったものの、土地を譲ってくれなかったのである。当時の明治政府は、英国の外債を売却して、建設費用にあてる計画だった。鉄枕木や鉄柵を使用する意向だったものの、資金的に厳しかった。モレルは、国産の木材を使用する計画を政府に提案した。鉄道開業に向けて、後に総理大臣になる伊藤博文は1870年(明治3年)、公共事業を管轄する官省・工部省を設置した。鉄道と共に、道路・港湾・灯台・鉱山建設を管轄する組織である。


鉄道のレール幅と車両は、英国企画を採用した。レール幅に関して、英国側が植民地支配国用を選択した。従って英国本国よりも狭かったのである。同年高輪築堤が着工した。浅瀬を埋め立てて、2,7キロメートルの区間のレールを敷いたのである。地盤が不安定な浅瀬での作業において、波によって土砂が洗い流されることにより、度々中断を余儀なくされた。わざわざ人員を割いて築堤した理由は、兵部省の所有地を迂回するためである。当時兵部省に所属した西郷隆盛らが、鉄道の敷設に最後まで理解を示さなかった。西郷隆盛は、朝鮮出兵を掲げた征韓論を発表し、兵部省の黒田清と共に、鉄道建設費を軍事費に回すように訴えていた。内治優先派の大隈重信や伊藤博文、井上馨、または大久保利通の意向により、鉄道建設計画が始まったのである。


 もう一つの難所である六郷川(多摩川)には木製の橋をかけた。橋の建設もイギリス人が主導していた。1872年6月12日に、新橋ー横浜間で仮開業、同年10月14日に旅客運輸が始まった。旅客運輸が始まった日を、鉄道開業の日として記録されている。主導者モレルは、開業1年前の1871年、肺の病を患い、療養休暇を申し出て、当時イギリス領インドを勧められた。病状の悪化により、渡航することなく、30歳を迎える直前で短い生涯を閉じた。副主任のジョン・ダイアックが後を引き継いだ。補佐役を務めたのは初代鉄道頭(てつどうのかみ)に就任したばかりの井上勝だった。井上勝は、幕末の1863年に伊藤博文と井上馨とともに英国へ密航した留学生、いわゆる「長州ファイブ(五傑)」の一人。ロンドンでは鉱山技術とともに鉄道技術を学んで68年に帰国した。西洋化を推し進める明治政府に賛同していた。

 井上勝に関する記事 鉄道開業150年 nippon.com https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b06911/

 日本初の鉄道工事の苦労を物語る遺跡が、2019年に発掘された。山手線新駅高輪ゲートウェイ開業に向けて、周辺地区の再開発事情が進んだことがきっかけだった。長さ2,7キロメートルの築堤のうち、800メートル分が出土したのである。

 築堤の建設記事 詳細 CANON IT ソリューションズ株式会社 第6回 日本初の鉄道は海の上を走っていた!?より https://www.canon-its.co.jp/company/stic-dream/vol06/history/

写真 掲載元 IT Media NEWS 2020年12月2日 海上を走る列車”の跡 品川再開発工事で出土 https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2012/02/news123.html
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明治末まで使用された築堤は、埋め立て工事により、取り壊され、海の中に消えていたのである。長年の眠りから覚めたかのように姿を現したことで、開発事業にも大きな影響を及ぼした。保存を強く訴える考古学者の気持ちを受け入れ、当時の文部科学省は対応に追われた。大規模事業を中止すれば、経済的な損失も蒙る。そこで、築堤を一部保存を決定したのである。2020年3月に、予定通り山手線内で40年ぶりの新駅として「高輪ゲートウェイ」は開業した。JR東日本は2022年4月21日、築堤と共存するべく、駅周辺エリアの整備を2025年で完了すると発表した。

 詳細記事 Responceより https://response.jp/article/2022/04/23/356583.html

 写真=築堤の上を走る鉄道 掲載元 日刊現代 2021年6月12日 資料提供元 港区立博物館 https://www.nikkan-gendai.com/articles/image/life/290442/165773
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弧を描く形状の石積みのレンガの上を走る機関車の背景には、真っ青な海と共に、富士の頂も顔を出す。築堤を走る列車を描いた錦絵は、今なお芸術と共に歴史的価値も高い。西洋の人々は、和の趣を感じる作品として、高く評価する傾向があるという。

 日本経済の発展に貢献した鉄道敷設は、イギリス人エドモント・モレルなくしては語れない。彼は、肺病に犯されても、工事現場を巡視していた。病の床につくと、横浜の慰留地から医師が派遣されたものの、手の施し様がなく、病状は悪化する一方だった。最後はモレルの意思を受け入れ、視察を許したという。葬儀は、横浜キリスト教会で行われた。イギリス公使のハリー・パークスをはじめ多くの在日イギリス人、工部省、大蔵省の官僚らが多数参列した。日本鉄道の父エドモント・モレルの功績を称え、JR根岸線の桜木町駅前には、レリーフが設置されている。現在横浜市中区みなとの見える丘公園脇の外国人墓地に、鉄道建設に携わった他の7人の技師と共に眠っている。後世に残すべく、モレルのお墓は「鉄道記念物」に指定された。明治政府の西欧化「富国強兵政策」の一環として、明治時代に鉄道が開通し、都市と都市を結び、物も人も動くようになった。今日本は、世界で一番安全性と共に、秒単位できざまれる緻密なダイヤで運行を続けている。

     第3章 関西での鉄道トンネル工事へ 21世紀のてっちゃん

 当時の江戸で鉄道が開通すると、すぐに関西へと着工準備に入る。1874年に大阪ー神戸間、1877年には大阪ー京都間が開通した。

写真=大阪ー神戸間の路線 Blue Signal 2015年September https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/05_vol_102/history.html
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 関西圏の開業には、大きな障害があった。大阪ー神戸間は、川の氾濫被害から、堤防作りが行われてきた。人為的に堤防を作った結果、川の上流から運ばれた土砂が積み重なり、大雨による洪水被害を緩和した。川床の方が地表よりも高い「天井川」は、線路を引く上で、大きな難題となったのである。世界に先駆けて鉄道が走ったイギリス人技師の元、土砂をくりぬいて、トンネルを形成した。日本初の柔らかい砂利からなる天井川をくぐるための「石屋川トンネル」は、1871年に竣工した。

 詳細 鉄道旅のガイド 2016年1月6日 https://www.rail-travel.net/archives/2066

 石屋川トンネルの建設からさらに下った1880年には、日本人のみで建設された「逢坂山トンネル」が完成した。全長約660メートル、京都府と滋賀県にまたがる逢坂山を貫く。江戸時代からの鉱山開発によるトンネル工事の応用が利いたのである。

写真=逢坂山トンネル跡 掲載元 既定ではないブログ 鉄道記念物・旧逢坂山トンネル(東口)へ行ってきた 2021年10月1日最終更新
https://undecided-blog.com/former-osakayama-tunnel/
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2022年現在、石屋川トンネルは高架化によって廃止された。同時に建設された川底トンネル「芦屋川トンネル」と「住吉川トンネル」は、安全面の観点から埋め立てられた。川床に敷かれた線路は、今なお残っている。

 京都府と滋賀県に跨る逢坂山トンネル周辺の線路は、後の新線付け替えによって廃止された。トンネル自体は空洞化した状態である。トンネル西側の坑口は、名神高速道路建設によってほとんどが埋められた。。対して、東側の坑口は、開いたままの状態である。

 江戸時代の交通手段の馬車に比べて、鉄道はスピードと共に輸送能力もあり、飛躍的に都市から都市への行き来が楽になった。

 参考記事 2022年10月12日(水)Yahoo https://news.yahoo.co.jp/articles/527e37bcd113eed734d8ea5d519dda551af0c2f7 西中悠基
 
 高度経済成長期を経て、鉄道網は複雑化する。21世紀は、新たに第3セクターの地方路線を中心に、列車に乗りながら、撮影を楽しむ文化まで生まれた。鉄道オタク、いわゆる鉄ちゃんは、風光明媚な田園地帯を走る1両から2両編成のローカル線、または蒸気機関車を写真に撮る。撮影スポット情報は、ネットを通して、簡単に調べることが可能になった。インターネットの発達も、鉄道ファンの増加に貢献した。

写真=樽見線 谷汲山駅より 2015年11月21日(土)撮影者:私
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 関連日記 樽見線 2020年5月29日付 岐阜県で群発地震が相次ぐ 1891年に発生した濃尾地震について 最新コロナ情報 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975839035&owner_id=32437106
 
       第4章 JR西日本が発表した新たな観光列車

JR西日本は10月12日(水)、2024年秋、観光キャンペーン「北陸デスティネーションキャンペーン」(北陸DC)の開催にあわせて新たな観光列車を運行すると発表した。

 詳細 鉄道プレスネット 2022年10月12日付け https://news.railway-pressnet.com/archives/44933

コンセプトは「地域の華(はな)を列車に集めて、お客様と地域の縁を結ぶ列車」。特急型気動車のキハ189系を改造する。その名の通り、客にくつろいでもらうべく、車内はゆったりとした空間になった。高級レストランさながら、窓向きに木のぬくもりを感じられる座椅子と共に、カウンターテーブルを設置した。車体カラーは紋付き染めで最高級とされる檳榔子染め(びんろうじぞめ)の色がベースとなった。JR西日本は「どこを走っても沿線や駅舎に映えるデザイン」とアピールする。

 
 写真=車内のイメージ 掲載元 上記のサイト 鉄道プレスネット 2022年10月12日付けより
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 季節ごとに運行区間を変えていく方針も示した。第1弾の運行区間は概ね決まっている。コンセプトは、「敦賀から若狭・京都府北部を通り、城崎温泉までを結ぶ旅(小浜線、舞鶴線、京都丹後鉄道線、山陰本線)」と明らかにしている。

 鉄道は、車内の雰囲気を楽しむ、またはトワイライトエックスプレスのように夜間のホテル代わりなどにも使われている。2024年秋から、JR西日本が導入する観光列車は、新婚旅行を楽しめるように、窓に映る景色を眺めながら、ゆったりとくつろぐことができる。ハイグレードなサービス内容から、料金はグリーン車以上になる予定だという。

 1987年に国鉄が民営化して35年、収益獲得を目指して、JRグループは、独自のサービスを打ち出している。鉄道は、時がたっても、我々人々の生活の足として利用され続けている。

 その他鉄道関連日記 2022年8月28日付け 愛媛県伊予鉄道のユニークな取り組み みかん電車とタルト電車 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983132378&owner_id=32437106

 
「150年前に乗換案内があったら」 ジョルダンが「乗換案内1872」公開、当時の運賃に驚きの声も
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=7148296
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