古代礼拝:5世紀まで御言葉とその解き明かしが中心だった。その後1000年間御言葉は軽んじられた。16世紀から御言葉にまた重きを置くようになった。
テサロニケの教会をほめている。パウロは神様から直接福音を聞いた。テサロニケのユダヤ人は芽が出なかった(種まきのたとえ)。神様は直接人間に語られず、人間を通して語られる。パウロはユダヤ人から迫害されてテサロニケを出た。エルサレムのクリスチャンはムチ打たれ投獄された。テサロニケのクリスチャンも同じように、ムチ打たれ投獄された。
キリストの再臨の希望。神の子供として神様から託された才能をどう活用してきたかの裁き。(イエス様を信じた時、救われている。天国か地獄かの裁きではない)。
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