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2022年09月26日19:32

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色んな異論

■ごぼうの党・奥野卓志代表の“花束投げ捨て”が「日本人にとって幸運である」理由 フィフィが指摘する“低俗な炎上商法”の終焉
(週刊女性PRIME - 09月26日 18:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=235&from=diary&id=7125238

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・コロナウイルスやワクチンについての陰謀論者
・格闘家(?)才賀紀左衛門氏
・少年革命家ゆたぼん氏
・本記事のごぼうの党党首
「バカにはわからない」「バカじゃなきゃわかる」「サラ・コナー状態」
といった発言の「論理性」「説得力のなさ」について述べたい。

彼らの「発言内容の正否」ではないことを注意されたい。彼らの発言が正解である可能性自体は残されている。(まあ、少なくとも「間違いだ」と断言はできない)

彼らのロジックは大まかに
「自分は正解を知っている」
「ちゃんと賢い人なら自分の言うことに賛同できるはず」
「自分の意見に賛同できないのは理解力の低いバカ」
「私だけが正解を知ってる状態だから仕方ない」

というもの。
これらは「自分と異なる意見や立場の人への態度」としては最も品性の低いものだと私は思う。

「ぼくちゃんがこうだと言ってるからこうなんだもん!」というのと大差ない。

また説得力、論理性という意味でも非常に次元が低い。

たとえば、私が彼らに対して
「いや、そんなことはない。むしろ私だけがあなたの知ってること以上に真相を知っている。」
「あなた方は愚かだから理解できないだろうが」と彼らの手法を返すだけで簡単に「引き分け」に持ち込める。すぐに水掛け論が完成する。あるエビデンスAに対してそれを否定するエビデンスBを持ってきたとて、ほぼ無意味だ。それはエビデンスAの否定ではなくて新たなエビデンスBの主張にすぎない。どちらかの、あるいは両方のエビデンスが捏造である可能性は依然として残るのだから。論理的、客観的、中立的であろうとする人ほど、軽々しく相手を全否定はできないものだ。

自分の意見を増やし、広げていきたいのなら重要なのは自分と異なる意見の人間だ。自分と同意見のシンパに持ち上げられるのは気持ちはいいだろうが、味方は増えないし、単なる「裸の王様」状態にすぎない。意見が異なる相手にこそ、誠実な態度で論理的に説得を行い、同じ意見になってもらう必要がある。これで味方が増えるわけだ。

ところが彼らの大まかな共通態度は「自分と異なる意見の連中はバカ」という切り捨てである。これで本気で「説得力がある」味方が増える」と思ってるとしたら、彼らこそあまり賢くないのではないか。

「能力の低いバカは理解できないし、理解できるとも期待していない」「だから、最初から説得はあきらめてる」というなら、彼らが意見を表明する目的は何なのか?単なる自己満足、自己顕示欲ということだろうか?炎上系のYOUTUBERならばそれが主目的なのだろうか?

彼らの言い分の中で一部だけ同意できるのは「低能力である者には理解できない論理がある」という部分だ。論理能力が低い相手に論理を理解させるのは多大な苦労を要する点は私も同意する。

ただし彼らの論調は「俺様の説が正しい」「俺様の正しさを理解できない連中は皆バカだ」となってるのはいただけない。
まず、相手を侮蔑する「バカ」という表現がよろしくない。
言われたほうは少なからず感情的になる可能性があるだろうし、そもそも相手をバカ呼ばわりしている時点で
発言者が感情的になってしまっているように見える。
自説の正しさに自信があればこそ、終始冷静に淡々と主張すれば事足りる。

また、問われてるのは「なぜ俺様の説は正しいのか?」である。説明責任は主張する側にある。なのに「聞き手の能力不足の立証」もせず「お前らバカにはどうせ理解できない」と放り出してるわけだ。到底「誠実な態度」とは言えないし、「論理的な説得力がない(説得する気がない)」と言われても仕方なかろう。むしろ「聞き手の能力不足」よりも「語り手の能力不足」を疑いたくなるところだ。
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