出演俳優のスキャンダルに次ぐ逮捕。作者自身の差別発言。3部作から5部作への構成変更。 *1 とにかく制作現場が混乱するハリー・ポッター魔法ワールド。
作中屈指のキャラクター・ダンブルドアの“秘密” *2 をタイトルに込め展開した本作は、その混乱を象徴した当然の出来であった。
人間界支配をめざしたグリンデルバルドは、魔法界の次の指導者の選定へ関る「麒麟」をめぐり暗躍する。この陰謀へかつてグリンデルバルドと愛し合うダンブルドアとニュートが挑む。
3部作から5部作への大幅な構成拡大に、監督は前7部作の脚本を執筆したスティーブ・クローブスを呼び戻す。だが以前から大幅改稿のあった脚本を補完できていない。複雑なプロット、過剰な登場人物、子供視点の喪失、ハリーポッターの知識がないと完全理解不能な物語。いただけない。
また「続編制作は本作の興行次第」――そうしてシリーズ最低の売り上げを記録した――本作は公開開始以前にそう明言された。つまりは打ち切りでもまとまるよう「つじつま」をあわせる必要があった。
この影響を作品はまともにうける。
前作ではなばなしくしく登場したクリーデンス・ベアボーン/アウレリウス・ダンブルドアはつまらなく退場。 *3 ハリーポッターサーガへの注力でニュートは脇役に。主題の魔法動物の活躍や描写は余白以下になってしまった。これではあらたな子供を魔法ワールドへ呼び戻す事は困難だ。 *4
※1 「クリーデンスのエズラ・ミラーの騒動(大麻所持、暴行、わいせつ行為、年少への性的行為が目的のハラスメントとグルーミング」「J.K.ローリングの差別発言と行動(トランスジェンダー批判)」「脚本の途中変更(本作の準備段階で作者は全体を3部作から5部作にするとした)。
※2 この“秘密”もなんのことはない。ダンブルドアが同性愛者だったという事実にしか関係がない。ただ作者自身の差別発言で全部がうそっぽくなってしまう。
※3 なんだったのよ。前回の壮大なフリは?
※4 この言い方は表現としてはよくない。ただ事実においてエンタメで安定した集客につながるのは「どけだけ“おんなこども”へ興味をもたせられるか?」だ。ハリー・ポッター全盛のころは、まず子供が夢中になって、子供が母親と父親を巻き込み物語と一緒に成長をしていった。現在の魔法ワールドは完全に大人対象になって、幼い者の視点をうしなっている。
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