mixiユーザー(id:9783394)

2022年05月27日07:40

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クルマ0325 安っぽい(KAISER HENRY J)

アメリカで昔から圧倒的なシェアを占めていたビッグスリー。ジェネラル・モータース(GM)、フォード、クライスラーの3社ですね。
これらの牙城を崩そうと数多の自動車メーカーが色々な手段を講じてきた中で、1945年7月14日に旗揚げしたKaiser Motors Corporation(カイザー自動車株式会社)が1951〜53年のヘンリーJというモデルで採ったのは徹底的なコストダウンでした。
ヘンリーJは、同社の会長Henry John Kaiser(ヘンリー・ジョン・カイザー)の名前を冠したモデルです。
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ホイールベース2570・全長4432mm、車重1062kgの車体に搭載されていたのは水冷直列4気筒SV2199ccのウイリス製エンジン。1940〜42年にジープに搭載されていた時は54ないし60馬力だったのが、ヘンリーJでは68馬力にアップされていました。しかしそれでも非力。ジープから10年を経たこの時期にまだサイドバルブのこのエンジンは、廉価に調達できることだけが取り柄だったのです。

また、コストダウンのためにボディは2ドア・セダンの1種類のみ(4〜5種類が当たり前でした)。さらにフロント・ウインドウは平面ガラス、サイド・ウインドウのリヤ側は開閉機構を付けずにはめ殺しとされていました。これらはまだ許せる範囲でしたが、ボディ後部の荷物スペースには開口部が無く荷物の出し入れは後部座席を倒して行う必要があったことは不評極まりなく、1952年型からトランクリッドが設けられました。
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同時にエンジンも水冷直列6気筒SV2.6リットル80馬力にアップされましたが依然としてサイドバルブで、10年前の1941年式シボレーがOHV3.5リットル90馬力であったことに鑑みると充分とは言えませんでした。

総じて、1952年のマイナーチェンジでは、一旦ついてしまったヘンリーJの「安っぽい」という評価を払拭するには至りませんでした。結果、カイザー自動車株式会社の業績は上向くことはなく、1953年8月13日に倒産しました。

なお、ヘンリーJは東日本重工業の手でCKDにより509台が組み立てられています。CKDとはComplete Knock Down(コンプリート・ノックダウン)の略で、部品すべてを輸入しアッセンブルのみを行うことです。
1950年1月11日にGHQが三菱重工業を西日本重工業、中日本重工業、東日本重工業の3社に分割しました(財閥解体の一環)。その中の東日本重工業の川崎工場でヘンリーJは組み立てられていました。
東日本重工業は、1952年に三菱日本重工業に改名しています。さらにこれら3社は1964年に三菱重工業に再集約されています。
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