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2022年05月20日07:45

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クルマ0324 家具メーカー(ミカサ)

本稿0217で採り上げたスバル360を生産した富士重工業の前身となった中島飛行機など、太平洋戦争中は色々な飛行機メーカーが技術を競いました。しかし、1945年8月15日の敗戦を以て武装解除が義務化され、飛行機は軍需品として製造が禁止されました(ポツダム宣言)。

日本飛行機株式会社というあまり耳慣れない飛行機メーカー(偵察機製造が中心ですがゼロ戦など戦闘機の部品も作っていたようです)も同様で、技術者は戦後やることがなくなりました。
飛行機を作っていたので金属加工はお手のもの。そこで、進駐軍向けにスチール家具を作ることにし、吉原謙二郎を中心とした技術者達は日本飛行機を退職して横浜市磯子区岡村町に「岡村製作所」を設立しました。1945年10月のことです(登記は1946年7月15日)。
なお、株式会社岡村製作所は2018年4月に株式会社オカムラに改名しています。

技術陣は優秀で、スチール家具だけでなく産業機器の開発も手掛けました(1949年〜)。そして流体変速機(トルクコンバーター)を開発し、日本初のオートマチック・ギヤボックス搭載車の生産を目論みました。
世界初は1904年の Sturtevant(ステュルテヴァント)というクルマだったようです(機構など詳細は不明です)。一般に普及したのは1939年のGM(ジェネラル・モータース)でしたが、日本初はトヨタでもニッサンでもない家具メーカーとは。

そして岡村製作所はシトロエン2CV(本稿0296参照)を参考にして586ccの空冷水平対向2気筒OHVエンジン(17馬力)と前述のオートマチック・ギヤボックス(2速)を搭載するFF(フロントエンジン・フロントドライブ)車を1955年に完成させました。

ホイールベース2100mm・車重600 kg程度の車体には前後とも独立懸架のサスペンションが取り付けられていたようです。2CVがコンセプトのひとつ「生卵を割らずに農道を走行」を具現するために採用したすこぶるソフトなサスペンションを参考にしたのでしょう。
最高速度は70km/hと発表されています。

このクルマは、ミカサ・ツーリングという乗用車とミカサ・サービスカーというライトバンに仕立てられ、
1957年5月9〜19日に日比谷公園で開催された第4回全日本自動車ショー(後の東京モーターショー)に出展されました。
なお、「ミカサ」という名称は日露戦争で活躍した戦艦「三笠」から採ったとのことです。
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しかし、この画期的なクルマは幻に終わりました。
量産化の準備を着々と進める岡村製作所に対し、メインバンクの三菱銀行(当時)が生産を断念するよう説得したのです。既に本田技研工業を支援していたためと言われていますが、真相はわかりません。
よって、ツーリングが10台、サービスカーが500台ほど作られた(主に社用車として)に過ぎません。

なお、東京・虎ノ門にある「オカムラいすの博物館」にツーリングが展示されています。

https://youtu.be/JIvOkMarwoM

ツーリングをオープンに仕立てたスポーツ・モデルも作られたようです。ホイールのスタッドボルトが3本なのを見ると2CVを範としたことがわかりますね。
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