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2022年05月14日19:01

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5/14(土)フィンランド人の一体感(1)1985年産まれの第46代マリーン首相について フィンランドの選挙制度 2022年初頭のカザフスタン騒乱 ナゴルノ・カラバフ問題 

5/14(土)
ロシアの電力会社「RAOノルディック」は13日、フィンランドからの支払いが滞っていることを理由に、同国での電力供給を14日から停止すると明らかにした。
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6956639

 主題 フィンランドの一体感(1) サンナ・マリーン首相 サッカーやアイスホッケーについて

 目次
・第1章 フィンランドのスポーツ サッカーとアイスホッケー
・第2章 サンナ・マリーン首相について
・第3章 ロシアを中心とした軍事同盟CSTOについて
 
世界最年少の首相として注目を集めるフィンランドのサンナ・マリーン首相が、5月10日から12日まで、2泊3日の日程で来日した。昨11日の午前に、東京大学のキャンパスで公演会を開くと、午後から日本の岸田文雄総理大臣と会談にのぞんだ。対ロ制裁を強化すると共に、NATOへの加盟申請をする意向を伝えたという。ジェンダー平等、福祉国家への道を進むフィンランドは、日本人が理想とする国家である。私は、2020年6月にマリーン首相について、日記に書いた。修正と加筆したうえで改めて公開する

 写真=2022年5月11日(水)に東京大学のキャンパスで公演するマリーン首相
掲載元 読売オンライン https://www.yomiuri.co.jp/world/20220511-OYT1T50239/
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       第1章 フィンランドのスポーツ サッカーとアイスホッケー 

 マリーン首相テーマにした掲載元日記 2020年6月13日付 最新コロナ情報 サッカーフィンランド代表と34歳の女性首相 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975994263&owner_id=32437106

 最初に公開した2020年6月13日当初、コロナの影響により、1年大会が延期された男子サッカーのUEFA EURO2020(男子サッカーのヨーロッパ選手権)の本来の開幕日だった。フィンランド代表チームは、初の本戦参加を控えていた。同国の代表チームは、1917年12月にロシア帝国から独立して以降、WカップやEUROを含む大舞台の出場を目指して、予選に参加してきた。本戦出場の壁は厚く、実に32回も敗退を繰り返してきた。転機は、大会の参加枠の増加にある。EURO2016フランス大会から、本戦の参加国が16から24へ拡大されたことにより、サッカーの中堅国へも門戸が開かれた。ヨーロッパの12の国と地域で分散開催されたEURO2020では、本戦の出場権をかけた6チーム1組になる予選で、イタリアに次ぐ2位通過を果たした。2019年11月15日、予選Jグループ、10節中の第9節、首都ヘルシンキで行われたリヒテンシュタイン戦にて、勝てば予選通過が決まる大一番にのぞんだ。1万人の観衆が見守る中、フィンランドはゲームを圧倒的に優位に進め、エースのプッキの2ゴールを含め、3対0で勝利し、本戦の出場権を獲得した。33回目の挑戦にして、初の大舞台出場の快挙だった。

 詳細 2019年11月16日付 フィンランド外交関係樹立100周年4(終)サッカー代表チームのUEFA EURO(欧州選手権)初出場により、520万人の国民の心が一つになる!ムーミンの町タンペレや福祉政策について
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1973675089&owner_id=32437106

写真=上記の日記より1枚 エースのプッキとファンの記念撮影 提供元 Getty Images
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試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、スタンドからいっせいにファンがピッチになだれ込み、フィールド上の選手達と抱擁を交わした。エースのプッキは、ファンと記念撮影を行った。キャプテンのスパルフは、ファンから胴上げされた。ヘルシンキの夜空には、花火が打ち上がり、街中では大合唱が繰り広げられたという。

 写真=上記の日記より1枚 胴上げされるキャプテンのスパルフ 掲載元 Getty Images
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 ジェンダー平等、福祉国家、格差のない世界を歩んだフィンランドは、2022年の調査においても、世界で一番幸せな国に選ばれたのである。

 EURO2020の本戦は、コロナの感染状況を見極めたうえで、1年後無事に開かれた。初出場のフィンランド代表は、初戦のデンマーク戦を1対0で勝利するものの、続くロシア戦を0対1で落とした。最終第3節でベルギーを相手に0対2で敗れ、グループリーグ3試合で、1勝2敗の3位となり、決勝トーナメント進出を逃がした。

 サッカーの実績が乏しいフィンランド代表は、EURO本戦での勝ち点3の獲得は大きな成果といえる。

 
 詳細 2021年6月23日付け日記 UEFA EURO2020企画(3)19世紀ロシア帝国統治下のフィンランド大公国の108年 サッカーEURO2020 第3節 フィンランド 対 ベルギー戦のレポート https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1979607629&owner_id=32437106

 写真=上記の日記より1枚 サンクトペテルブルクで行われたベルギー戦後、サポーターに挨拶する選手達
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 国民的スポーツは、なんといってもアイスホッケーだ。先日北京オリンピックでは、女子代表の銅メダルに続いて、男子代表は決勝でROC(ロシアオリンピック連盟)を2対1で逆転し、初の金メダルを獲得した。最新のIIHF(国際アイスホッケー連盟)が発表した世界ランキングで、男子代表はカナダを抑え、堂々の1位に輝いた。

 間もなく5月13日(金)から29日(日)にかけて、男子の世界選手権が首都ヘルシンキとタンペレイで開かれる。フィンランドは、五輪金メダルメンバーを中心としたチームで編成した。前回2021年大会に次ぐ2連覇に挑む。

写真=北京オリンピックで金メダルを獲得したアイスホッケーチーム 提供元 Getty Images https://olympics.com/en/news/medals-update-finland-win-historic-ice-hockey-gold-at-beijing-2022-by-beating-gr
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 第2章 サンナ・マリーン首相について

フィンランドは、第2次世界大戦後、西欧諸国のように議会制民主主義制度をとりながら、ソ連の顔色をうかがう外交的中立を宣言した。1949年に設立したNATO(北大西洋条約機構)と共に、1955年に結成されたワルシャワ条約機構(東欧諸国8カ国で結成)にも加わらなかった。実際軍備は、ワルシャワ条約機構の加盟国に近いものを使用していた。地理的要因から、ソ連との関係が強かったといわれている。スイスやオーストリアのような永世中立国と異なることから、西欧諸国は「フィンランド化」と呼ぶようになった。フィンランド化とは、中立的立場でありながら、ソ連寄りの国のことを指す。他にも東欧諸国と同じような特徴といえば、国家元首が強大な権限を持っていたことにある。現に1956年から1982年までウルホ・ケッコネン氏が、26年にわたって大統領職に就いていた。首相の任命権から議会の解散権、外交方針まで全て決定をしていたのである。

 写真=ケッコネン大統領 ウィキペディアより 
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ケッコネン(西暦1900年産まれ、1986年没)は、東欧の民主化運動にも加担することはなかった。ソ連の動向を気にして、西欧との貿易も一定程度に抑えていたのである。福祉や教育には手厚く、当時から貧富の差は、西欧諸国より少なかった。

 1991年12月25日にソ連が崩壊して、大きく変わった。1992年1月20日に、フィン=ソ友好条約(第2次世界大戦の講和条約の一つ、1948年に締結)に引き継ぐ形で、ロシア連邦との間で、安全保障や外交について新たな約束をした。フィン=ロ友好条約を結び、第三国に基地を提供しないこと、また国境沿いの町での協力関係を確認した。

1990年代には旧ユーゴスラビア紛争による難民を保護し、積極的に教育を施し、働き手として経済を支えてもらった。日本に先立って、フィンランドでは外国人が福祉の現場で活躍していたのである。

 もちろん、パワハラやサービス残業とは無縁な世界である。2020年1月10日に史上最年少となる34歳で首相に就任したサンナ・マリーン氏は、2019年8月に労働時間の短縮を世間に訴えていた。週4日、1日原則6時間労働を基本方針に掲げ、2015年に続き、2019年の議会選挙に出馬し、2選を果たした。現に隣国のスウェーデンは、週4日、1日6時間労働で経済が成り立っている。

 写真=2020年時のサンナ・マリーン首相 掲載元 FNNプライムオンライン https://www.fnn.jp/articles/-/16257
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 一児の母でもあるマリーン氏は、同国の社会民主党から首相に指名された。フィンランドは、外交や軍事政策は大統領が担うものの、国内政策の責任者は首相である。なお大統領は
、アメリカと同じように国民から直接選挙によって選ばれる。六年二期まで、三選は禁止、国防軍を指揮する権限がある。

 フィンランドの選挙制度は、一院制で任期は4年、議席数は200、有権者は候補者を選ぶことができず、投票用紙に政党名を記入する。完全に比例制度を採用したことにより、日本のように一人勝ちする政党は出にくい。従って政党同士で協力する連立政権が基本になる。2019年4月14日の国会議員選挙で、最も得票数を獲得した社会民主党は、17,7%、議席数40だった。欧州連合(EU)離脱と共に移民排斥を掲げるフィン人党は、得票数においてほぼ並び、17,5%を獲得している。議席は17から39まで2倍以上の増加に転じた。上位5党のそれぞれの得票数は、10%台だった。与党第一党だった中央党は、大敗し、第4党まで転落した。マリーン首相が属する第一党の社会民主党は、対抗勢力のフィン人党の影響力を抑えるべく、政策が近い党に協力を呼びかけた。中央党、緑の同盟、左翼同盟、スウェーデン人民党の理解を得て、5党による連立政権が誕生したのである。

 詳細 REUTERS 2019年4月15日付 https://jp.reuters.com/article/finland-election-idJPKCN1RR013

 詳細 詳細 選挙制度 Kittos shop 2019年9月17日 https://kiitos.shop/blog/archive/politics-central-government-prime-minister-president-and-parliament-of-finland.html

 過半数を超える議席を確保した与党が、首相を指名し、大統領により承認される。首相は、内閣を組み、12の省のトップとなる合計19名の大臣を選ぶ権利を持つ。なおフィンランドには、一つの省から2人の大臣が兼任する場合がある。2019年の新内閣発足当初大臣職19名のうち、12名は女性だった。連立を組む5党の党首は全て女性、当時マリーン首相を含め、4人が35歳未満だった。2021年12月現在で、大臣19名のうち、女性11名、男性8名である。

 詳細 2019年4月14日の選挙の結果 JESTROより https://www.jetro.go.jp/biznews/2019/04/36605987cb4cf3fa.html

 写真=2019年12月に発足時のマリーン内閣(2019年 ロイター/LEHTIKUVA)
掲載元 Newsweek 2019年12月11日付 https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/12/34-7.php
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 国の政策を担うマリーン首相は、家族との絆を深めるため、労働時間を削減し、生産性の効率化を目指した。AIの活用も積極的に勧めている。コロナパンデミックが始まる前から、同国では会社員や公務員の通勤負担を減らすテレワークの導入率が高いことでも知られていた。彼女自身は、決して生い立ちは恵まれたわけではなかった。1985年11月16日に首都ヘルシンキで産まれた彼女は、幼い頃両親が離婚していた。7歳の頃、ウーシマー県のヘルシンキと隣接するエスポーに次ぐ、国内第三の都市であるビルマカマー県のタンペレに移住した。母親と同姓のパートナーに育てられ、学生時代アルバイトをしながら、生計を立てていたのである。

 2007年にビルカマー県のタンペレ大学に入学し、行政学を学び、修士号を取得した。2012年にタンペレの市議会議員選挙にて当選して、政界の道へ進んだ。2015年に国政へ進出を果たし、2019年6月に運輸・通信大臣のポストを得たのである。前任者の辞任に伴い、2019年12月についに第46代目となる首相に選ばれた。

 詳細 らくてんかん 2020年1月7日付け https://rakutenkan.com/marin-finlandhis/

マリーン首相は、当時のドイツのメルケル首相、ニュージーランドのアーダーン首相と共に、的確にコロナ対策をとったと、国際的に高く評価された。

 フィンランド国内では、2020年3月16日に非常事態宣言が発令され、18日から30日まで3回に分けて、期限つきで緊急事態法が部分的に出された。緊急事態法発令により、人々の外出制限措置を施し、感染者増加を抑制した。

真っ先に、小中高校、大学が休校した。図書館・美術館などの公共施設も休業する。公共交通機関も減便などの対策を施し、国境は封鎖された。2度目の発令により、首都ヘルシンキが属するウーシマー県が封鎖され、人々は他県へ出入りできなくなった。3度目の発令時、民間が運営する国内のレストランやカフェ、バーなどが営業を禁じられた。

2020年4月1日において、累計感染者数は1446人、3月26日以降新規感染者は減少傾向に変わった。参考サイト https://kiitos.shop/blog/archive/the-latest-situation-of-covid-19-corona-virus-in-finland.html


 写真掲載元 クラブツーリズム https://www.club-t.com/special/abroad/aurora/northern_europe/finland.htm
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 2020年4月15日に政府はウーシマー郡移動制限措置を解除したものの、引き続き住民達に不要不急の往来を要請した。5月14日に、小・中・高校の再開を許可したとはいえ、同月末までオンライン授業を推奨した。6月1日以降、社会経済活動において段階的に緩和する。屋内屋外に問わず、イベントや集会は50人まで認めた。500人を越えるイベントについては、7月以降開催可否の判断をする。6月1日以降、飲食店の営業は全面解禁された。

 参考 在フィンランド大使館のホームページより https://www.fi.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_00011.html

 2020年3月、国連の幸福度調査によって、3年連続世界一位に達したフィンランドは、教育水準が高く、子供の貧困とは無縁な世界である。夏休みが6月中旬から8月中旬と、日本よりも20日程長いにも関わらず、塾通いする子は少ないという。

最新2022年5月11日時点で、フィンランドの累計感染者数は105万2767人、感染による死亡者は4150人である。2022年5月4日時点で、1日あたりの新規陽性者数は2万9754人出ている。コロナをウィルスとの共存を図り、社会活動の制限を撤廃している状況である。

詳細 https://weather.com/ja-JP/coronavirus/l/Helsinki+Uusimaa+Finland?canonicalCityId=40df8cf5b6351c0087ccbce33166353e8b3e34f51660a2da37918379a5291d54

 
 
国内において、夏場は長期休暇を取得しやすい。子連れのファミリー世帯は、湖畔沿いの別荘でのんびりとくつろぎながら、森林浴をする習慣がある。仕事とプライベートが両立すると、生活にメリハリがつく。国の財政にゆとりがある分、老後の年金を心配する必要はない。将来不安がなく、サウナに入って、心身共リフレッシュすると、スポーツ観戦に打ち込むことができる。520万人の国民の結束力が、まさにあのEURO初出場を決めた2019年11月15日、リヒテンシュタインとの一戦で示された。

 2022年、フィンランドでもすっかり人々はコロナに対して慣れてきた。一方で、ロシア軍によるウクライナの軍事侵攻について、俄然警戒を強めている。伝統的な中立政策を捨てて、NATO加盟には、多くの国民が賛同している。現に国内では、急に射撃場に足を運ぶ人が多くなったという。軍の指揮権を持つサウリ・ニーニスト大統領は、5月11日に、イギリスのジョンソン首相とスウェーデンのアンデション首相と、安全保障強化で合意に達した。

 詳細 BBCニュース 2022年5月12日付 https://www.bbc.com/japanese/61418062

写真=イエンス・ストルテンベルグ事務総長(左)とフィンランドのサウリ・ニーニスト大統領(2021年10月25日ヘルシンキで撮影)(c)Vesa Moilanen / Lehtikuva / AFP
https://www.afpbb.com/articles/-/3404524?pid=24495038
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サウリ・ニーニスト大統領が、イギリスとスウェーデンと軍事関係を構築する一方、マリーン首相は、7000キロメートル以上離れた日本へ飛んだ。岸田総理との間では、ロシアに対する制裁強化と共に、ウクライナを支援する方向で一致した。NATO側もフィンランドとスウェーデンの加盟を歓迎している。正式に手続きを終えるまで、速くても半年かかる。なぜならNATOの正式加盟には、全会一致が原則だからである。2020年3月に北マケドニアが承認され、加盟30カ国になる。申請手続きを始めてから、正式許可が下りるまでの期間、集団防衛を定めた第5条は適応されない。いかに早く承認を得られるかが、国家安全保障において重要になる。

   第3章 ロシアを中心とした軍事同盟CSTOについて

 ロシア連邦の方は、ソ連解体に伴い、消滅したワルシャワ条約機構に代わる、軍事同盟の締結に向けて動いていた。1992年5月15日に、旧ソヴィエトを構成した一部の国との間でCSTO(集団安全保障条約機構)が発足した。現在、ロシア連邦を中心に、隣国のベラルーシ、アルメニア、カザフスタン、キルギス、タジキスタンの6カ国が加盟している。

 CSTOに関連した日記 2022年4月3日付 紛争の最中のフットボール ナゴルノ・カラバフ紛争 アゼルバイジャンとアルメニアのサッカー事情 その他サッカー琉球代表
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1981982200&owner_id=32437106

写真=CSTO(集団安全保障条約機構)のロゴ Wikiwandより
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2022年1月に起こったカザフスタンの反政府デモに対して、武力介入に踏み切った。CSTOの外国での活動は、結成30年で初めてになる。デモの原因は、燃料価格の高騰による、国民の生活苦である。2022年の幕開けにより、液化天然ガスが自有化され、販売価格が2倍に上昇した。1月2日にカスピ海西側地域からデモが起こり、4日に旧都アルマトイで警察と市民が衝突した。5日にトカエフ大統領は、非常事態宣言を発令した。翌6日に、ロシアが中心となるCSTOに派遣を要請した。緊急配備体制をとっていたCSTOの治安部隊は、ただちに駆けつけた。トカエフ大統領は、ソヴィエト解体以来大統領職に就いていたナザルバエフ氏の後を次いで、2019年3月20日に就任した。同年3月23日に、首都アスタナの名称を、前任者ナザルバエフの名を冠した「ヌルスルタン」に変更する法案に署名する。外務大臣(1994年から1999年、2002年から2007年)時代に、核兵器不拡散に積極的な役割を果たしている。1995年と2005年に核兵器の不拡散に関する条約に関する再検討会議に参加したほか、1996年にニューヨークで包括的核実験禁止条約(CTBT)、2005年にはセミパラチンスク市で中央アジア非核地帯条約(CANWFZ)に署名している。同国では、病気により任期を1年残して大統領職を退任したナザルバエフ大統領が、国家安全保障の議長として、権力を維持していた。5日に、トカエフ大統領は、前職のナザルバエフを切り捨て、自身が国家安全議長を兼ねると宣言した。つまり独裁体制を意味する。

 写真=前職ナザルバエフとトカエフ大統領 2019年6月撮影 掲載元 毎日新聞2022年1月6日付 https://mainichi.jp/articles/20220106/k00/00m/030/264000c
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1月7日に、2500人規模のロシアを中心とした外国人部隊が現地に入った。アルマトイ中央広場で、外国人部隊は、暴徒化した市民と対峙する。過激派を検挙するべく、検問所を70箇所設置した。短期間で反対勢力の抑え込みに成功すると、1月13日に任務完了式を経て、19日までに完全撤退した。カザフスタンの治安当局は、2022年1月16日時点で、一連の騒動による死者数について、警察官を含め225人と発表している。1月18日に、ナザルバエフ氏は、政界を完全に引退した。

 
詳細 msn ニュース https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%95%E9%A8%92%E4%B9%B1%E3%80%81%E6%AD%BB%E8%80%85225%E4%BA%BA%E3%81%AB-%E6%A4%9C%E5%AF%9F/ar-AASPBL9

 
 翌月ロシア軍は、ウクライナへ武力侵攻する。CSTOの加盟国は、それぞれ対応が異なる。ベラルーシは基地を提供する一方、他の4国は静観している。2022年3月2日に行われた国連総会のロシア軍によるウクライナ侵攻の非難決議において、ベラルーシは反対をを表明した。対して他の4カ国は意思表示せずに、棄権した。加盟国の一つアルメニアは、旧CSTOの加盟国アゼルバイジャンとの係争地ナゴルノ・カラバフ地区を巡って、緊張状態が続いている。2020年9月27日に戦争が勃発し、同年11月10日に終結した。アルメニアのパシニャン首相は、戦時中ロシアに助けを求めていた。CSTOの条約において、アルメニア人が実効支配するナゴルノ・カラバフ地区を防衛する義務はない。従って、戦力で圧倒的不利のアルメニアは、ロシアの助けを得られず、防戦一方だった。首都ステパナケルトの陥落は免れたとはいえ、第二の都市シュシャを奪われて、降伏した。ロシアのプーチン大統領が仲介役を引き受け、アルメニアのパシンヤン首相とアゼルバイジャンのアリエフ大統領を呼び、停戦協議を行った。アルメニアは、実行支配地域の3分の2をアゼルバイジャンに返還した。

 交戦国のアゼルバイジャンは、発足2年目の1993年にCSTOに加盟し、1999年に期限満了を持って脱退していた。加盟国のロシアから、武器を大量に購入することにより、関係維持に努めていたのである。

 写真=ナゴルノ・カラバフ紛争を巡る説明文 掲載元ナショナルジオ・グラフィック 2021年2月20日付 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/stories/21/021100009/
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 結果的に、トルコを後ろ盾にし、先進的な武器を抱えるアゼルバイジャンが、1988年から1994年にまで長期に渡った紛争で失った地域の奪還に成功した。1ヵ月半にわたる紛争で、両軍6500人が亡くなったという。ソ連時代の宗主国としての責任から、ロシア軍1000人が、平和維持部隊として駐留した。ウクライナ侵攻が激しさを増すにつれて、同平和維持部隊からも動員され、2022年3月以降警備が手薄になっていた。ロシア軍の統治が難しくなる中、散発的な争いが勃発した。仲裁に入ったのはEU(欧州連合)だった。2022年4月6日に、アゼルバイジャンのアリエフ大統領と、アルメニアのパシニャン首相を、本部があるベルギーの首都ブリュッセルに招いた。ミシェル大統領が間に入り、和平交渉開始の合意を取り付ける。アルメニアのパシニャン首相は、4月末までにアゼルバイジャン側と2国間国境委員会を設ける意向を示した。強気な姿勢を取り続けるアゼルバイジャンのアリエフ大統領は、国際社会に対して会談の内容について語っていない。両首脳が交渉を行ったのは、過去6カ月間で3回目になったものの、いまだに領土問題は解決していない。

 詳細 WEDGE INFINITY 2022年4月19日付け https://wedge.ismedia.jp/articles/-/26346

 EUは、中東地域の問題にも積極的に取り組むようになった
。紛争を限りなく抑えることにより、EU諸国内の治安の安定に繋がるからである。

写真 掲載元 サイト名DW 左側パシニャン首相(アルメニア)、真ん中 ミシェル大統領(EU)、右側 アリエフ大統領(アゼルバイジャン)
https://www.dw.com/en/armenia-azerbaijan-agree-to-peace-talks-two-years-after-nagorno-karabakh-fighting/a-61388096
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21世紀になり、紛争は新たなステージに突入した。NATOの東方拡大により、ロシアとの軋轢は確実に深まっている。ロシア軍とウクライナ軍との戦いも先行きが見えにくい状況となった。NATO諸国は、第三次世界大戦を避けるべく、直接支援をせず、ウクライナ軍に防衛装備品から始まり、ついに殺傷能力が高い武器を供与した。ロシア側も、東部地域の攻略が難航する中、ウクライナへ援助を続けるNATOに対して、敵対意識を持ち始めている。行き詰ったロシアが、核兵器を使用するのか、国際社会は懸念している。2022年にヨーロッパにおける安全保障環境は大きく変わった。
 

 

 

 

 

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