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今回のテーマは、紛争のさなかのフットボールである。現在ロシア軍による侵攻を受けているウクライナが、サッカー・リーグの中断を余儀なくされた。代表チームは、2022年3月末に、カタール・ワールドカップの出場権がかかった欧州予選・プレーオフを戦う予定だった。国内リーグの中断や選手達の精神面を考慮し、6月に延期が決まった。本戦は11月から12月に行われる。
ロシアとウクライナが属した旧ソヴィエトでは、1985年に就任した書記局長ゴルバチョフのペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)により、大きく変わった。かつて構成した15の共和国に自治権を与え、共産党のイデオロギーに反して、一定程度民間事業参入を認めた。宗教の自有はもちちろん、それぞれの共和国の間で、民族意識の高揚により、独立運動が活発化する。89年のマルタ会談による冷戦終結宣言に続き、ベルリンの壁の崩壊により、ソ連型の一国社会主義体制は終焉に向う。1991年12月25日に、ゴルバチョフの辞任により、ソ連は消滅した。
写真=かつて存在したソヴィエト連邦の地図 掲載元 世界雑学ノートより 2018年11月1日
https://world-note.com/ex-soviet-countries/
ゴルバチョフは、確かに自由経済を認め、西側諸国との間に築かれた見えない壁を取り払った。
唯一課題として残ったのは、領土の帰属権を含む、民族間の対立である。その発端となったのは、コーカサス地方の山岳地帯ナゴルノ・カラバフ問題である。1923年にアルメニア人が多く居住しながら、地続きのアゼルバイジャンの自治州として認められた経緯がある。今回、停戦後の状況と共に、同国のサッカーについても考察する。
過去の日記 ナゴルノ・カラバフ紛争
前編 2021年11月10日付 ナゴルノ・カラバフ紛争停戦合意1年、アルメニアとアゼルバイジャンの歴史(前編)1922年のトルコ革命と共に1991年のソビエト崩壊を振り返る
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1980818604&owner_id=32437106
後編 2021年12月25日付 ナゴルノ・カラバフ紛争停戦合意1年 アルメニアとアゼルバイジャンの歴史(後編)ソ連崩壊30年目の日
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1981181201&owner_id=32437106
第1章 2回目のナゴルノ・カラバフ紛争2020の停戦協議後の行方
ソ連時代の1988年から解体後の1994年、2020年9月28日から2020年11月10日まで、2度に渡って、大規模な紛争が繰り広げられた。1度目の6年にわたった長期戦では、アルメニア軍の勝利に終った。ソ連時代から独立期を跨いで行われた1度目の紛争で、ロシア連邦のエリツィン大統領は、アルメニアの方を支援していた。アゼルバイジャン側は、エルチベイ大統領が、反ロシア路線ををとったことにより、軍事的支援を得られず、敗北を喫したといわれている。紛争末期の1993年6月に、第3代目の大統領にヘイダル・アリエフ氏が就き、病気で亡くなる2ヶ月前の2003年10月まで勤め上げる。任期を終えた後、長男のイルハムに権力の座を譲り渡した。2022年4月現在においても、イルハム・アリエフ氏が大統領の座についている。2回目の紛争において、ロシア軍は、積極的に停戦交渉を呼びかけた。同国が抱える事情は複雑だった。アルメニアとは、1992年5月に発足したCSTO(集団安全保障条約)の結成当初のメンバーである。対して、アゼルバイジャンは、翌1993年にCSTOに加盟しながら、1999年に期限満了を持って、脱退した。ロシア側に立つと、同盟国のアルメニアを防御する義務をおいながら、交戦相手である武器輸出国のアゼルバイジャンを敵に回せなかった。条約上アルメニア本土が侵害されない限り、軍事介入をする必要がないのである、もう一つ、今回の紛争を早期に解決するメリットがあった。21世紀に急速に台頭した中国が、現代版シルクロード、一帯一路構想で、コーカサス地方を取り込んでいるからである。ロシアによる軍事侵攻を受けたウクライナは、東欧と西欧を結ぶ要衝地だった。
同じく国を跨いで交易拡大を目指すロシアは、アゼルバイジャンとイランを経由し、インドへと繋がる「南北輸送回廊」の建設計画が進行中である。アゼルバイジャン側は、ロシアの経済計画を見越して、武力介入を受けないと判断したとみられる。1度目の紛争で失なった土地を取り戻すべく、武力侵攻に踏み切った。CSTOは結成から30年、2022年1月6日に、カザフスタンのトカエフ大統領の要請により、治安維持部隊の派遣を決めた。同国では1月2日に、燃料価格高騰に抗議した市民のデモ隊と現地治安維持部隊が衝突していた。一部のデモ隊は暴徒化し、行政庁舎の襲撃に踏み切った。CSTOの治安維持部隊が駆けつけたことにより、騒ぎは沈静化した。これまで9900人が拘束され、164人が死亡したと発表されている。治安維持部隊は11日に撤退した。結成以来外国での本格的な活動は初めてだった。
1度目のナゴルノ・カラバフ紛争において、アゼルバイジャン人の大量難民が発生し、国連人権問題が介入する事態になった。二度目は、先進的なイスラエル製ドローンを始めとする武器を所有するアゼルバイジャン軍が圧勝した。紛争の狭間で揺れ続けたナゴルノ・カラバフ地区に属するサッカーチーム、FKカラバフを中心に紹介する。
フットボールの話をしよう
http://eafaaf.blogspot.com/2016/11/blog-post_14.html
NUMBER WEB 2021年5月26日付け
https://number.bunshun.jp/articles/-/848187
日本国際問題研究所 2021年2月9日付け
https://www.jiia.or.jp/research-report/post-38.html
ナゴルノ・カラバフ紛争は、ロシアの仲裁により、アゼルバイジャンとアルメニアとの間で停戦合意に至った。1度目の1994年の紛争時アルメニア側が優位に立ち、実行支配地域を広げた。2020年の2度目の紛争では、アゼルバイジャン側に軍配が上がり、ナゴルノ・カラバフの4割の地域を奪還したのである。アグダム、ラチン、キャルバジャルは、アゼルバイジャンに領有権が移った。
2020年の新国境 掲載元 WEDGE INFINITY 2020年12月20日付
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21632
写真=ラチン回廊の位置を示した図 掲載元 毎日新聞2020年11月6日
https://mainichi.jp/articles/20201106/ddm/007/030/051000c
アゼルバイジャン本土と同民族の98%が暮らすナヒチェバン共和国とを結ぶ陸路を確保した。アルメニア本土とナゴルノ・カラバフの首都ステパナケルトの間に位置するラチン回廊は、ロシア軍が管理することにより、治安維持に努める。ステパナケルトは、辛うじてアルメニア軍が防御に成功した。アルメニア人は、本国とステパナケルトを結ぶラチン回廊を、ロシア軍に守られながら、移動する。
写真 ラチン回廊を警備するロシア軍兵士 掲載元 2020年12月2日
https://www.afpbb.com/articles/-/3319063?pid=22874736
2020年11月10日の停戦合意後、ロシア軍2000人が平和維持部隊として、ナゴルノ・カラバフ共和国に駐留していた。ロシア軍が、ウクライナ攻略に難航すると、平和維持部隊からも派遣され、ナゴルノ地区の守備が手薄になった。ウクライナの地元メディア「キエフ・インディペンデント」によると、3月13日以降駐留部隊から兵が派遣されているという。停戦協議後、4割の領土を失いながら、いまだに実行支配を続けるアルメニア人から成るアルツァフ共和国軍は、3月25日にアゼルバイジャン軍からドローン攻撃を受けた、と訴えた。軍人3人が死亡し、負傷者は15人に上ったことを明らかにした。現地時間3月26日午前11時ごろ、アゼルバイジャン軍が再び銃器を使用し、ロシアの平和維持軍の管理下の地域の東方向に前進しようとしている、と状況報告をしている。両国の仲裁役となるロシア国防省は3月26日、アゼルバイジャンを「停戦協定違反」と非難する声明を発表した。
アゼルバイジャンは24日から25日にかけて、トルコ製の攻撃偵察ドローン「バイラクタルTB2」で4回に渡ってロシア軍が平和維持活動をするファルク村を襲撃したのである。新たに、アゼルバイジャン軍による監視所を設置したという。
アゼルバイジャン国防省はロシアの声明を「真実を反映していない」と批判した。停戦協定に違反しているのは、いまだに失った地域にとどまっているアルメニア軍だと、強調する。停戦協議での取り決めから、ロシアに対してアルメニア軍をアゼルバイジャンの占領地域から完全に撤退させるように求めた。
外部リンク HUFFPOST 2022年3月28日付
https://www.huffingtonpost.jp/entry/nagorno-karabakh_jp_624127b7e4b067827e3ad795
ウクライナへの軍事作戦を続ける中、ロシアの大統領府は、カラバフ地区の対応について発表した。直接声明を出さないものの、プーチン大統領は、アルメニアのパシニャン首相とアゼルバイジャンのアリエフ大統領とそれぞれ個別に電話会談を行ったという。プーチン大統領は、ナゴルノ・カラバフ地区に関しては、中立的な立場に立ち、両国の首脳に自制を呼びかけた。4月6日に、EUの本部があるベルギーの首都ブリュッセルにて、両国の首脳が会談に臨む予定である。仲裁役のロシアの政府系メディアは、ウクライナ侵攻前後のプーチン大統領の支持率について発表した。侵攻前はコロナ危機の煽りを受けて、50%から60%だったものの、現在79パーセントに達したと報じた。最高支持率は8年前の、クリミア併合時の90パーセントである。ロシア政府は、宗主国として、ナゴルノ・カラバフ問題を解決する義務がある。停戦協議後も緊張状態が続いている。
第2章 アゼルバイジャンリーグに所属するFKカラバフについて
紛争はスポーツ界にも影響を及ぼした。カラバフ自治州のアグダムに本拠地を置くFKカラバフは、大きな被害を受けた。1951年に創設されたクラブは、1989年に人口2万8000人の町アグダムに本拠地を置いていた。現在は名称を残したまま、アゼルバイジャン本国の首都バクーで活動する。
写真=2022年のカラバフFKのメンバー Facebook2022年3月25日付けより
https://www.facebook.com/FKQarabagh
アゼルバイジャンは、1991年にソヴィエト連邦から独立を宣言すると、早速サッカー協会を立ち上げた。地理的な要因からAFC(アジアサッカー連盟)に籍を置くことも可能だったにも関わらず、隣国のアルメニアやジョージア(当時の名称はグルジア)と共にUEFA(ヨーロッパサッカー連盟)に加盟した。三カ国共、WカップやEURO(欧州選手権)の出場暦はない。独立2年目となる1992年、Jリーグ創設1年前にアゼルバイジャン・プレミアリーグが発足した。
立ち上げ当初から常に自治州の一つであるナゴルノ・カラバフ紛争の行方によって、休止を余儀なくされ、運営は不安定化した。ナゴルノ・カラバフ地区において、1993年7月にアルメニア軍の侵攻により、敵対関係にある多くのアゼルバイジャン人が難民となった。アルメニア軍の徹底した破壊と略奪行為により、一面廃墟と化した。アルメニア軍は、カラバフを実効支配し、中心都市アグダムの名称をアルメニア語でアクナに改称した。
写真=廃墟となったアグダムの町 Photo: Murat Kaynak / Anadolu Agency / Getty
掲載元 COURRIER
https://courrier.jp/news/archives/236931/
1994年にアゼルバイジャンリーグに加盟したFKカラバフは、首都バクーに移転する。アゼルバイジャン人を中心として編成されたチームのメンバーは、紛争の状況を注視してきた。旧ソ連時代の1991年2月25日から26日、アルメニア軍が、アゼルバイジャン人を無差別で殺害したホジャリ大虐殺が起こった。アゼルバイジャン当局によると、老若男女問わず、わずか2日間で613名の民間人が犠牲になった。遺体は見るも無残な姿に切り刻まれていた。アルメニア軍の暴挙に立ち向かおうと、戦闘の最前線での勤務を志願した選手も後をたたなかった。当時軍の司令官から、アゼルバイジャン人の希望として、週末に開催されるリーグ戦を全力で戦って欲しいと、説得されたという。アゼルバイジャンリーグ創設2年目となる1992−1993シーズンは、紛争により、度々試合当日に中止を余儀なくされた。同年8月1日に、リーグ戦優勝を果たしたものの、当時の本拠地カラバフ自治州のアグダムが、アルメニア軍により占拠されたことにより、ホームタウンを失うことになった。2度目の紛争において、アグダムを奪還したとはいえ、復興には時間がかかる。
紛争の被害を受けたFKカラバフは、チームの強い結束力を武器に、国内屈指の強豪クラブへと変貌を遂げる。2013−2014シーズンから2019−2020シーズンまで、国内リーグで7連覇を達成した。2020−2021シーズンは、2位である。
2017−2018シーズンには、本戦32チームが争うUEFAチャンピオンズリーグにて、予備予選2回戦、3回戦、プレーオフを勝ち抜いた。アゼルバイジャン史上初となるチャンピオンズリーグ本戦出場の快挙を果たしたのである。1次リーグでは、アトレティコ・マドリード(スペイン)を相手に、2戦2引き分けに持ち込むものの、チェルシー(イングランド)とローマ(イタリア)を相手に2戦2敗を喫した。最終的に0勝2分4敗となり、グループ4位で敗退した。続く2018−2019、2019−2020シーズンは、同リーグの予備予選3回戦で破れ、2部相当のUEFAヨーロッパリーグに周り、32チームによる1次リーグまで勝ち進んだ。
クラブのメンバーは、アゼルバイジャン代表選手を中心としながら、その他のヨーロッパ諸国やアフリカ、中米、南米からの選手を助っ人として加えている。
写真=2017年10月19日、ホームのアトレティコ戦で0対0の引き分けに持ち込んだ選手達 掲載元 ESPNよりALEXANDER NEMENOV/AFP/Getty Images
https://www.espn.co.uk/football/report/_/gameId/495257
アゼルバイジャン代表チームの方は、目だった成績を残していない。2021年6月11日から7月11日に、1年開催が後ろ倒しになったEURO2020(欧州選手権)を開催した。同大会は、設立60周年を記念し、UEFA加盟12カ国分散開催を行う。12カ国のうちの一つの開催地が、アゼルバイジャンの首都バクーのオリンピコスタジアムだった。代表チームは、UEFA加盟55カ国のうち24カ国が参加する本戦の出場権を逃した。レベルアップのためには、自国リーグの充実を図る必要がある。現在2部構成となり、トップのプレミアリーグには8チーム、その下の1部リーグに12チームが属する。
写真=カタール・ワールドカップ欧州予選に臨むアゼルバイジャン代表メンバー 掲載元 MENAFN 2021年10月21日
https://menafn.com/1102959354/Azerbaijans-national-football-team-plays-another-match-within-qualifying-stage-of-2022-World-Cup
国内リーグのトップを走るFKカラバフの選手達は、外国籍のプレーヤーを中心に、毎年のように変わっている。選手の入れ替えが行われていても、一貫してかつてのホームタウンであるカラバフ自治州のアグダムに対する思いを貫いていた。2009年までは、一連のホジャリ大虐殺により故郷を追われたアゼルバイジャン人難民が集うキャンプ地に、毎週バスを一往復させた。アルメニア軍によって、カラバフから追われた難民は100万人、アゼルバイジャン人の72万人に対し、アルメニア人は30万人程度と推定される。1994年の停戦後、アルメニア人は故郷に戻ったものの、アゼルバイジャン人の多くはそのまま難民キャンプに取り残された。家や土地を与えられず、簡易テントで寝泊りする生活を送る。サッカーチームは、難民達を週末の試合に招待することから始まり、やがてはかつての本拠地アグダムで修復したスタジアムでホームゲームを主催した。安全面の観点からアグダムでの試合は、国際サッカー連盟FIFA(フィファ)から禁止処分が下った。アゼルバイジャンに移転しても、クラブの原点は廃墟と化したアグダムにある。カラバフは、コロナ禍の中、感染症対策をとりながら、練習と国内遠征を続け、国際舞台の出場を目標に日々戦いに挑んでいる。
第3章 アルメニアリーグについて
アルメニアは、1992年にサッカー協会が設立された。当初リーグ戦は、春→秋制だったものの、加盟するUEFAにあわせて、2013-2014シーズン以降、秋→春制に変わった。国内トップとなるプレミアリーグでは、2001年シーズンから2010年シーズンまで、ピニュク・エレバンが10連覇を達成していた。代表チームは、WカップやEUROの出場暦はない。エース的存在は、1989年1月21日生まれの33歳ムヒタリアンである。2012−2013シーズン、ウクライナリーグのシャフタール・ドネツク時代に29試合25ゴールを上げて、得点王に輝いた。2019−2020シーズンの途中にイタリア・セリエAのASローマに加入し、2020−2021年シーズンには、34試合13ゴールを記録している。アルメニア代表としては、2007年にデビューし、2021年末まで95試合に出場し、32ゴールを記録した。アルメニア人として、唯一欧州のトップリーグを経験した選手として知られている。
写真=ASローマでプレーするムヒタリアン 掲載元 サッカーキング 2022年2月22日付
https://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20220222/1622881.html {Getty Images}
2020年9月27日から11月10日の停戦まで、1ヵ月半に及んだ第2次ナゴルノ・カラバフ紛争では、アルメニアサッカー界を大きく揺るがした。兵役の義務が課せられるアルメニアにおいては、スポーツ選手も前線の舞台にたった。2016年リオ五輪のグレコローマンレスリング66�垉蕕廼筌瓮瀬襪魍容世靴織潺哀薀鵝Ε▲襯船絅淵鵑魎泙瓠�30人程の世界トップレベルのアスリートが加わったという。その一人、サッカーのアルメニア代表からは、1992年産まれのヴァラザト・ハロヤンが、自ら戦争に志願した。紛争当時ロシア1部のウラル・エカテリンブルクに所属していた彼は、ギリシャリーグのAELラリサへ移籍する予定だった。途中ナゴルノ・カラバフ紛争の勃発により、ハロヤン自身も志願兵に加わった。今回の紛争により、パシニャン首相は、18歳から40歳までの男性に兵役の義務を課したのである。ハロヤンは、銃を手にして戦地に向ったものの、無事に戻ってくることができた
写真=ヴァラザト・ハロヤン 掲載元 Quoly
https://qoly.jp/2020/10/01/armenia-captain-varazdat-haroyan-went-to-battlefield-kgn-1
サッカー・リーグでは、アルメニア国内で最多のタイトルを獲得したピュニクFCからリザーブリーグを中心に多くの選手が戦地に駆り出され、将来性のある18歳のゴールキーパーを失った。昨2020−2021シーズンにVEBTプレミアリーグに優勝したFCアラシュケルトからは、2020年10月5日、リザーブリーグに所属していた22歳のMFリパリット・ダシュトヤンが戦死したと発表された。VEBTプレミアリーグ(アルメニアトップリーグ)に属する選手から5人が戦地で帰らぬ人となった。
紛争は第1回目のように長期戦を免れたとはいえ、クラブ運営にも支障をきたした。アルメニアのパシニャン首相により、国民総動員令が出たことにより、クラブチームが移動に使用する予定の大型バスの手配も難しかった。遠征先での選手の食糧や医療品の確保も厳しい事情があったという。プレミアリーグ所属のカンザサール・カパンは、財政面の悪化により、予定していた大会の出場辞退に追いこまれた。プレミアリーグ所属10チームのうち、9チームが経営の悪化により、活動自体を縮小する必要にあった。紛争により失うものは大きい。アルメニアサッカー界は、今岐路に立たされている。
人口15万のうち、9割がアルメニア人から成るアルツァフ共和国は、1991年9月2日に独立宣言したものの、国連からは認められていない。サッカーにおいては、UEFAにもFIFAにも未加盟である。国際的にアピールするべく、独自の代表チームを編成し、試合の相手を探している。その一環として2019年に独立サッカー連盟ConIFA(2013年9月5日に設立)のヨーロッパ選手権を主催した。同連盟には、独立を主張する国家や一定程度主権を認められた地域も加わっている。加盟は36カ国、本部はスウェーデンのルレオにある。
主な加盟国
アジア地区
中華人民共和国内
・チベット代表
・ウイグル代表
中東地域
・アッシリア
・クルディスタン
東アジア地域
・琉球代表
ヨーロッパ地区
・グリーンランド代表
・アブハジア共和国
・ルガンスク人民共和国
・ドネツク人民共和国
・モナコ
・アルツァフ共和国
・南オセチア共和国
・サーミ代表(主にフィンランド、スウェーデン、ノルウェー北部に居住するサーミ人)
・ザカルパッチャ州(ウクライナ南西部)代表
アフリカ大陸
・西サハラ
・ザンジバル
北アメリカ大陸
・カスカディア(北アメリカ北部)
・ケベック(カナダの一つの州)
オセアニア地区
・キリバス
・ツバル
以上
実のところ日本列島から琉球代表が加わっていた。設立は2015年、前年に台湾サッカー協会から交流試合の開催を持ちかけられたことにより、代表チームの誕生に繋がったという。同年11月には、独立サッカー連盟に加わった。2016年11月25日に、初めて国際試合を主催した。地元沖縄県中城村ごさまる陸上競技場で、関東リーグ一部のFCコリアと戦った。琉球代表も実のところ大学生が主体の若いチームで望んでいた。試合は0対9で敗れた。琉球代表の運営者は、結果には悲観していない。琉球人としての誇りを持つため、宣伝活動を続け、今後国際大会を主催するとの目標を語った。2018年には、台湾での国際大会に参加し、4チーム中3位の成績を残した。実力的には、2年に1度優勝を決める独立サッカー連盟が主催するConIFAワールドカップの出場には厳しい面がある。直近では2018年にWカップが開催され、アブハジア共和国が優勝を果たした。
かつては独立国家として存在した琉球の代表として、大学生を中心とした若いチームの戦いは続いている。
写真=独立サッカー連盟に加盟するヨーロッパから北アフリカ、西アジアの国々
掲載元 reditt
https://www.reddit.com/r/soccer/comments/r4fln1/confederation_of_independent_football/
外部リンク 琉球代表について 2016年12月13日付 Sport tiva
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/wfootball/2016/12/13/fc/
外部リンク CAMPFIRE community
https://community.camp-fire.jp/projects/view/42821
さて、独立サッカー連盟に属するナゴルノ・カラバフ地区発祥のクラブチームにおいて、アルメニアとの連携を強める。2017年にアルメニア2部リーグに、首都エレバンに拠点を置くFCアルツァフが参戦した。2019年にクラブチームの売却により、FCノアに改名する。
ソヴィエト連邦時代を振り返ると、アルツァフ共和国内とアルメニア、アゼルバイジャン両国のクラブ交流は盛んだった。現在は紛争問題により、両国間でワールドカップやEURO予選で対戦しないように配慮されている。
現在アゼルバイジャンの首都バクーに拠点を移したFKカラバフと、2002年にレルナイン・アルツァフと改名したチームの対戦は、旧ソ連時代サポーター共大いに盛り上がったという。レルナイン・アルツァフは、2019−2020シーズンから、アルメニア2部リーグに復帰した。アルメニア全体のサッカー・リーグにおいて、停戦協定後の2020年11月26日から再スタートした。トルコの全面支援を受けるアゼルバイジャン軍と戦ったアルメニアのサッカー選手達は、5人の死者を出した。親族が被害に巻き込まれ、心の傷を抱えるプレーヤーも数多い。紛争からの復興を目指して、サッカー選手達は日々の暮らしを懸命に歩んでいる。
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