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2022年05月10日01:29

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殺人鬼に取り組む阿部サダヲ!「死刑にいたる病」

横溝正史のエッセー本「真説金田一耕助」の中で、自身の「悪魔の手鞠歌」の東宝映画版(石坂浩二のやつ)の公開前、新聞に「悪魔の手鞠歌の殺人鬼に取り組む岸恵子」と見出しが躍っていて、「これでお客が来るのか」と心配する記述がありました。
結局大ヒットしたそうですが、一応最後まで犯人が伏せられているミステリー映画ですから、当時は随分おおらかだったという事です。
「死刑にいたる病」の犯人は阿部サダヲですが、これは最初から明かされている情報であり、ネタバレではありませんのでご了承ください。

本当は先に「ドクターストレンジ」を観ようと思っていて、当日は午前中にご丁寧に1作目を復習までしていたのに、土壇場でこちらを観てしまいました。
とにかくこの映画の評価がバックリ割れているからです。
白石和彌監督の映画は油断ならないからな・・・。
絶賛と酷評、はたして俺はDOTCH?

相当面白かったです!
ただし、どういう映画を期待しているかによって、大きく評価は分かれると思います。
まず、ミステリー映画の体裁をとっていますが、ミステリーとしての面白さは途中までです。
この映画の主軸がどこにあるのか、そこにうまくピントを合わせて楽しめるかどうかがポイントになるでしょう。
その辺を書いていきたいと思います。

(あらすじ)
24件の殺人容疑で逮捕され、死刑が確定している阿部サダヲが、かつて働いていたパン屋の客であった主人公に手紙を出し、面会を求めるところからはじまります。
主人公の大学生に対し、立件された事件のうち1件だけは自分が犯人では無いので調べて欲しいと要求。
阿部サダヲの弁護士に資料を提供してもらい、事件を調査しその進捗状況を報告するため何度も面会を重ねる2人だったが・・・。

すでに収監されている犯人からの要求で事件を捜査する話としては、以前「韓国映画特集!」の中で簡単なレビューを書いた「暗数殺人」が思い出されます。
あの作品は、思っていた様なミステリーでは無かった、と感じた方が多かったのではないでしょうか。
犯人の本当の企みは・・・という点では謎が明かされるものの、中心となるのは刑事と犯人のやり取りそのもの。
すべてがすっきり明かされない終わり方にも賛否あるでしょう。
話の内容は違うものの、「死刑にいたる病」も同様の作品です。
事件はきっかけに過ぎず、映画の中心にあるのは主人公と阿部サダヲの「面会室でやり取り」だからです。

異常者による快楽殺人というのはスリラー映画ではお馴染みです。
何の罪も無い少年少女を誘拐して拷問して殺す。
阿部サダヲはこれを、まるで職人が日々の生活をするための仕事をこなす様に淡々と行います。
ところが、普段の生活では大変な人格者で、周りの人間は誰もが彼を好きになってしまうのです。

この阿部サダヲの演技がこの映画のすべてとまでは言いませんが、魅力の大部分を占めています。
よくある、ウンザリするようなパターン化されたキチガイ演技や、突然凶暴になったりする様なバカ臭い演技は一切ありません。
むしろ、極悪非道の殺人鬼と知っているにもかかわらず、主人公、そして観客の心まで信頼させてしまうような、人の良さを前面に出し続けるのです。

また、最初はただの「調べる人」な主人公も、中盤以降は存在感を増し、やっぱり彼が主人公だったと思わせる展開へとなっていきます。
主人公と阿部サダヲの関係性はどうなっていくのか。
冤罪事件の真相は?
最後の最後まで目の離せない展開が続きます。

残酷で非道な描写も随所にありますが、この映画の一番スリリングなシーンはやっぱり面会シーンです。
この面会シーン、2人の会話が続くだけなのですが、実に様々な映像演出があって、まったく飽きさせません。
観ているこちらの心まで弄ばれている感覚。
おそらく、酷評した人はここが不快に感じたのかもしれません。
明らかに「挑発」している映画だからです。

阿部サダヲが怖い、凄い!
確かにそうですが、優れたサイコパス演技が楽しめる娯楽スリラーで終わってしまうのは少し勿体ない気がします。
今の世の中を見渡してみてください。
彼の様な人間が、身の回りにいないでしょうか。

例えば、テレビとは違い直接やり取りの出来るSNS等でカリスマ的な人気を持つ人々。
僕はあまり詳しくありませんが、彼ら(彼女ら)は自分を支持してくれる人々に対し、常に優しい言葉を投げかけてくれるのではないでしょうか。
決して否定せず、共感してくれ、受け入れてくれるのでしょう。
そんな彼らの発信する情報については、多くの人が自分で確認する事無く、「こんなに素晴らしい人が言うのだから、本当なのだ」と盲目的に信じ、反対の意見を持つ人間に対しては反射的に敵意を持つのかもしれません。

この映画内でも描かれるとおり、虐待やいじめを受けた人間であれば、なおさら心を取り込む事は容易です。
自分を理解してくれた人間に悪い人はいない。
いや、悪い人であっても問題ない。
この人のお蔭で生まれ変わる事が出来たのだから。

詐欺師の絶対条件は、何が正しくて何が間違っているかを、まず自分が理解できる事です。
そして、人には基本的に正しい事だけを話します。
信頼を得てからようやく、正しい事の中に一滴の嘘を流し込むのです。
嘘が上手いのではなく、正しい事を正しく語るのが上手いのです。
最終的に、騙された事にすら気付かせないのが本物なのでしょう。

この映画がどこまでそういった事に意識的なのかは分かりませんし、ただのこじつけかもしれませんが、観ている人間を挑発して戸惑わせようとしているのは間違いありません。
明らかに間違った人間である事が最初から明示されているのに、彼が肯定的で人道的で癒してくれる様な言葉を何度も口にしているのを観た時、最初と同じでいられるか。

ちょっと無理があるのではないかと言われるオチも含めて、意図的に観客の気持ちを揺さぶるためのものであると感じます。
真面目で素直な人ほど、この映画には不快感を持つのでしょう。
それは大いに結構です。
でも、日常生活において妙に心を掴んでくる人に会った時は、一度この映画の阿部サダヲの目を思い出して欲しいと思います。
その人の目も「がらんどう」じゃないか。

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