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2022年05月08日08:37

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運に勢いをもたらす2段階

■<羨ましい!>懸賞で当選したすごいモノを教えて!たまには景気がいい話をしよう
(ママスタジアム - 05月06日 06:11)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=176&from=diary&id=6946591

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私はもともと運が良いほうだった。奥さんは運が悪いほうだった。結婚後、両名とも運が良くなった気がしている。

最近だと天童の人間将棋観覧権利(倍率18倍?)だとか最寄りの商業施設のドトール珈琲権2000円分が私と奥さんが2名連続で当たったとか(倍率50倍の2乗)。少し前だと東京5輪の女子ソフト決勝戦、女子サッカー準決勝の権とか(倍率は不明)。豚饅1年分獲得の翌年に豚まん半年分というのもあったか(倍率不明)。

いわゆる高額当選は一切ないのが我々らしいというか、むしろ天童や東京五輪は金がかかって仕方なかったし(笑)。まあ、当たるだけありがたいなと。

ここからが本題。いささか宗教や信仰じみてくるがなるべく論理的に語るとしますな。上記の実績(?)でどれだけ説得力があるかは不明ですが。。。

運気の考え方としては「なすべきことをやった上での自分の運勢の強さを信じられるか」という2段階があるなと。そりゃ、購入や応募という「為すべきこと」をせずに何かに当たることを祈るというのは正気の沙汰ではないわけです。購入してない宝くじが当たるように祈るようなものですね。「既にして前提、手段を誤っている」ので「結論がかなうこと、目的を達成できること」もありえないわけです。

「そんな当たり前のことみんな知ってる」と感じるでしょうか? いやいや、思った以上に「自分の領域の最善を尽くさずに結果だけをお祈りしてる人」は多い印象があります。

何の努力もせずに「いつか白馬の王子様(現代ならアラブの大富豪かしら?)が御迎えに来てくれる」とか「俺のことを認めた創業者が引き抜きに来る」とか。そりゃ願望を持つのは自由だけど、それに見合う努力をしてなければ単なる夢に終わるもので。

かくいう私も高校3年の頃「プロ野球のドラフト会議」で勝手に使命が来ないかドキドキしてましたけどね(野球部ですらないのにw)。

で、2段階目も結構大事。「自分が最善を尽くした結果起こることはすべて自分にプラスなことだ」「困ったことは起こらない」「一見困ったことが起きてもそれは自分にとってのプラスなことだ」と言い切れてしまえるかどうか。これを信じてくれた時点で、その人は私にクレームをつけなくなるので、超重要な部分です(笑)。

「最善を尽くしたのなら発生した結果はすべて受け入れるしかねぇよ」ということです。自分の限界に挑みつつも、自分の力の及ばないところについては受容すると言いましょうか。

たとえば私が将棋AIと対局をするとなれば自分の最善の準備をします。評論家目線、客観的事実としては「勝てるわけない」のですが、当事者目線、主観的には「勝つつもりで、厳密には勝利する確率を0.01%でも上昇させる努力」を尽くします。
・・・で、順当に敗北するでしょう。
ここで「敗北したという結果のみ」に着眼し「だから運が悪い」「実力がないから仕方がない」という結論で終わるのがいかにももったいないなと。
まず準備段階で得られたものがありますし、敗北した結果を検証することで自分自身のバージョンアップができるわけです。
人生の目的は自分が幸せを感じることであり、それ以前の事象は「すべて過程」に過ぎません。一見不幸なその結果から「何を学び、どれだけ成長ができるか」と目を転じられれば「さほど不幸なことや困ったことではない」ということなんですが、伝わるでしょうか?

私が克服できてないのは「自分と近しい人の不幸」ですね。これとてプラスの意味は皆無ではないのですが、さすがにマイナスが大きすぎるんですよね。
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