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2022年04月29日12:05

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現実十夜 3

(三) 投身!零下三〇度満州


こんな現実を見た。中国には30くらいの省がありまして、そのうちの3省、黒竜江省・吉林省・遼寧省が旧満州にあたる極度に寒い地方です。日本領だったため鉄道が緻密に張り巡らされていて、ダイヤも正確です。そして石炭が豊富に採れるためSLのまま開発が進んだんですね。

1994年の2月、僕は厳寒の吉林省に行きました。吉林の省都は長春、北京からハルビンに向かう長距離線から分岐した支線が省を南北に縦断します。長春の反対側の端に延辺朝鮮族自治州というのがありまして、そこが目的地。現地の演劇がどうなってるのかを調べに行ったんですが、そのことは今日の話題とは関係ないです。州都は延吉、そこから数時間で朝鮮との国境の町、図們市まで行けます。中国と朝鮮は友好国なので国境はごく穏やかです。行き来するためにちょっとした市場のようなものもあり、あっち側から輸入されたスルメとか、山積みになった金日成の缶バッジなどそこならではのものも売ってました。夕方とある食堂に入るとなぜかすっかり気に入られてしまい長談義が展開されて、帰りは終電になってしまいました。

ところがですね、知らなかったんですが図們はふたつの路線の始発になっておりまして、私、乗り間違えたんですね。もう一方のは黒竜江省のモクタンガン(牡丹江)というぜんぜん違う方面へ行く汽車でして、走り出してしばらくしてからどうも来たとき見たのと景色が違う気がしたんで、隣に立ってた人に、これ延吉へ行きますよね?て訊いたら、ナニッ?!ていう顔しまして、アニ・アンガ!イゴ・牡丹江ギョ!て叫んだ。朝鮮族は興奮しやすい人たちでして車内騒然となり、んなこと言ったってこれ終電だししかも特急で何時間も停まらないんで仕方ないからあした引き返してくるしかないだろうと思ったんですが、何人ものおじさんたちがウワー大変だーアイゴーみたいな感じになってネリョヨネリョ・パリパリパリパリ!(降りろ降りろ、すぐすぐすぐ!)とか言い出した。いやなに言ってんだあんたら、走ってんじゃねえか!と思ったんだけど容赦なく私のリュックをひっつかんで扉開けて外へ放った。えええー!!と思ったけど金もパスポートも入ってるリュックです、いやもうやるしかないかってなって雪に埋もれてる線路脇に飛び降りた。時速で40キロくらいですかねえ。西部劇かよ。ごろごろごろって転がったけど幸い雪のおかげか大した怪我はしなかった、たまたまね!

でも2月の満州の深夜の無人の田舎ですよ。零下30度ならまだあったかいほうって環境です。道もないから線路を戻るしかないのかこれ…。無人駅がひとつありました。電灯だけはついていた。駅舎に屋根はあったけど扉はなかった。ベンチはあった。時刻表はなかった。おいおいおい。始発待つったってそんなもんがあるのかどうかも分からんし、零下40度で座って待つなんて不可能だろう。仕方ないからまた歩きだしたんだけど、なんと、すぐトンネルがあったんですねえ。いやこれは無理だ。単線だし列車来たらおしまいだ。終電は行っちまったけど貨物列車が来たらおしまいだ。SLって運転席からでも前見えないじゃないですか。はねられたって何日も見つからんぞこれ。却下。

無人駅に戻りました。あたりに民家はないけど、舗装もしてない道はある。たまに街灯もある。もうこれ行くしかないよねえ。どうせ山をぐるっと巻いて回避しなきゃなわけですから、まあ行くか、と。まあそれなりに、方向は間違ってない気はして、右手に岡、左手にこうりゃん畑なんだからこの山裾行けばいいんじゃんと。ところがちょっと当てがはずれて、道がだんだん山に上がっていこうとするんです。でもこのまま山越えするんなら悪くもないかも知れん。そのまま登っていくと、遠くになにか灯りが…。それもわりと規模の大きそうな建物っぽい雰囲気。これはいいぞ、誰かに頼んで朝まで居させてもらおう。皮算用とともに登っていって近づいてみたら、それ…軍だったんです。うわ、やべえ、これ絶対見つかっちゃいけないやつだ。資本主義の外国人がぜったいありえないシチュエーションで人民解放軍の前に現れたら最低でも数日間は拘束される。逃げましたね。

んでまた何もない農道をとぼとぼ歩いていたら、エンジン音が聞こえたんです。すわ追われたか。こんな丸見えなところで逃げたって仕方ないというか逃げたらきわめてまずいことになるので普通を装って歩いてたら、それは小さなオート三輪でした。原付のオート三輪なら軍でも警察でもないわと若干ホッとする。運転してたおじさんがびっくりして停めて、何やってんだこんなとこで?!て言うんで、しかも幸い朝鮮語で言うんで、ぜんぶ話したらとにかく乗れと。駅は歩いて行けるような距離ではないと。そして汽車はないがたぶん州都に向かう深夜バスはあるだろうと。乗りましたよねえ。ものっすごいボロい三輪で、もううしろのタイヤ両方楕円なんじゃって勢いで揺れるしスピードも出ないんですが、文明!これが文明だ!!って思ったやつだ。

まだ明け方でもない時間に駅について、これまた驚くべきボロい当時のバスが見つかりました。マフラーが途中に穴あいてて、窓あけらんない季節なのに排気ガスが全部客席に吹き出てくるレベル。夜明けごろに延吉に着きました。町は練炭の匂いで充満してました。ひと晩のこと…、考えるに、なんというかこの朝鮮族の人たちの瞬発力よ…、人情とは穏やかな人当たりのことであると私らなど思いがちですがそうとは限らんよなあ、どっちがよりありがたいかなんて問いもほぼ無意味だよなあと。そんなこと思いながら、早朝からあけてる飯屋にはいりました。冬のこととて野菜はほとんどないため、なんの具もない乾麺のウドンとかしかないんですが、なんだっていいよあったかけりゃ!という気持ちです。店主は漢族だったので朝鮮のウドンでもないけど、なんだっていいよ。ところがですね、店主はなにかどことなく虫の居所が良くないぽくてぶつぶつ言ってる、知らんけど。そこへです。各自スコップを担いだ朝鮮族の一団が朝飯を食いに入ってきた…。

したら、店主が注文取りに出てこないんよ。客が、おおい注文だよ!と声かけて、ククス4丁!(ククスはウドンの朝鮮語ね)て言ったら店主が「没有」て答えたね。いま中国でどうなってるか知らんが当時外国人旅行者がいちばん初めに覚えるといわれていたメイヨー(ないよ)という売り子の対応。なくないよ、いままで客は俺しかいなくてその俺がウドン食ってんだから、いじわるすんなよ、と思ってたら、案の定労働者たちが「ああ?」つってガタガタ立ち上がった。手に手にスコップ持って。やべえ。でも親父も一歩も退かん。中国語でよく分かんないけどざっくり「ここは俺の店で俺は俺の好きなようにするし誰になら売るかは俺が決める」的なこと言って煽るんで、労働者たちが完全に臨戦態勢になってガーンてテーブルひっくり返してる暇に親父が四角い中華包丁構えて迎え撃ち、ひとりの腕ひしいでのどに刃物当てて「飯食いたい程度のことでお前は命を捨てんのか」みたいなめちゃくちゃなことを言いだし、労働者側は「その人質殺したとたんにお前どうなるか分かってんだろうな」みたいな…、いや、やめてくれよ俺まだ食ってんだから。私もぶっちぎれてしまい

「ケーノムドゥル・シックロッソ!」(うるっせえんだよ犬ども!)

と叫んだ。そしたら中朝両軍がいっせいにこちらに「ああ?関係ねえのにてめえ今なんつった」と詰めだしたんで、これもう朝鮮語じゃどうにもならないので

「だいたい店長お前がおかしい、やつあたりしといて包丁まで持ち出すバカがあるか。あとおまえら全員で得物持って歳うえに食らわす気か、そんな朝鮮がどこにある。喧嘩してえんなら一対一で素手でやれ、あと外でやれ、正しいと思うんなら警察来たって平気だろ。ぶん殴りゃ気が済むと思ってんならお前ら一発ずつ俺を殴れ。早くしろこの野郎」

と日本語でかましたら、たぶん日本語分かるわけじゃないけどこれから一体なにと闘うのかさっぱり分からねえし何でこんなとこに日本人がいるんだっていうひじょうに困惑した感じになって双方テンションが落ちて、4人はブツブツ言いながら食わずに出ていった。店主はなぜかむしろホッとしたようで、そりゃそうだ勝ち目もないし筋も通ってない、なんか私に礼を言った。

「あんたを助けたわけじゃない」という中国語が分からなかったので、ただ「オルマジョ」(いくら)つってウドン代を払って店を出た。とにかく気が早すぎるんだよあんたたち…。




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