出来の良い陰謀論は「つじつまが合って当たり前」です。そのように作られるわけですから。ただし「つじつまが合うから常に事実である」とは言えませんよね。空の星を結び付けて星座は描かれます。北斗七星はひしゃく型ですが、そこに本当にひしゃくがあるわけではない・・・というところですかね。
「事実だからつじつまが合う」とは言えますが「つじつまが合うから事実である」とは言えません。因果関係が逆転している事例です。大半の陰謀論は歯牙にもかけずとも好いのですが、一部の出来の良い陰謀論はこの線を狙っているので、一定以上の論理性がなければ、あるいは場合によっては一定以上の論理性がある人ですら、うっかりひっかかってしまうものです。
陰謀論に引っかかるのは恥ずかしいことではありませんが「自分が信じる『それ』が陰謀論かもしれない」という疑い、自問自答の態度を常に持つならば、他者に必要以上に攻撃的な態度をとることはなくなるはずです。
星座の例でいえば「じゃあなぜ★がひしゃく型に配置されているのか!偶然だとでもいうのか!そんな偶然があってたまるか!」となるわけで。「じゃあ偶然という証明をしろ!」まできたらいっちょアガリってなもんです。
立証義務についての考え方としては「いわゆる『悪魔の証明』はできないから、ないという側ではなくてあるという側が立証責任を負う」というのがあります。
たとえば、あるウイルスの有無だとかあるワクチンの効果、あるいは有害性について「ないという証明はいわゆる悪魔の証明だから。ウイルスが存在するという側が証明しろ」という議論を吹っかける人が少なからずおります。
ただ、さらに上位に「そもそも現状を変えたい側、要はわざわざ議論をふっかけてきた貴方が先に持論を証明しなさい」というのがございます。
悪魔の証明以前の問題として「そもそも何かを立証しようとは思わん。私見を述べてるだけだ。別に私と意見の違うあなたを教化しようとは思わん」というわけです。
私はこれをたったさっき、勝手に「大悪魔の証明」と命名しました。それだけです。
あと「加害者が責任を背負うべきなのに被害者が色々と応急処理を背負う現象(例:いじめっ子ではなくいじめられた側が転校するとか、痴漢被害を受ける女性が女性専用車両を用いるとか)」についても何か命名しようと考えています(笑)。
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