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2022年01月09日09:15

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「この世は苦痛に満ちている」として生きていくかどうか

立てこもり「人生を終わりに」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6806674

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私の身近に居る「反出生主義者」が先日の大阪の精神科における放火拡大自殺やこの事件を見ながら「やはり生きていくのは辛いことなのでは」と話題にしたのでいつもの議論が始まった。

私「生きていくのがつらい人にとっては辛い。生まれてきてしまったことが苦しい人にすれば苦しいだろう。親に向かって『なぜ、産んだ』と問いかけるのも理解する。かつての親ガチャの話題も、よりまえの京アニ放火事件ややまゆり園の事件も含めて考慮したうえで、それでも反出生主義には自己矛盾があると思うんだよ」

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「正しい人類滅亡計画」品田遊氏の著作は私が読んだ中では最もわかりやすく反出生主義がまとまっていると思うので一部引用しつつ私の補足も加える。最近はもっぱらこの本を繰り返し読んでいる。反出生主義が相応に道徳的で論理的であると認めざるを得ないが、私はそれでもなお反出生主義は否定している(我ながらややこしいなw)。
〇が世間一般的な反出生主義に関する見解(反論)、●は反出生主義の主張だ。

〇反論0:「不幸なこともあるが幸福なこともある。だから不幸を理由にすることについては言葉を「幸福」に入れ替えれば全く同じ理屈が成り立つ。フィフティフィフティだ。
●反出生主義:「不幸は幸福で上書きできない。どんなにうまいスープでも蠅が入ってたらチャラとはならない。不幸を除去するにはスープをどれだけおいしくしても無意味だ。蠅を取り除くしかない」
(ハナー補足)新しいスープを頼むなり賠償金をもらう也で「上書き」は可能だと思うが。反出生主義者は「不幸」そのもの、それ単体に注視しすぎているのではないか。よく言えば生真面目なのだろうが、悪く言えば「偏狭」に思える。

〇反論1:子供を作るのは人間の本能だからそれを制限する権利は誰にもないのでは?
●反出生主義:本能的であることはその行動を正当化しない。人間は本能を制御することで倫理を確立している。

〇反論2:子供を作るかどうかは当人の自由では?
●反出生主義:反出生主義は人の生殖行為を認めない。生殖は親の自由な行動の結果、生まれてくる子供に多大なリスクを背負わせる悪行だからだ。殺人をする自由がないように生殖する自由もない。
(ハナー補足)生まれてくる子供に生まれる前に賛同の意を確認できないのが大きい。「なんで俺を生んだんだ!」「生んでくれなんて頼んでねーぞ」という子供から親へのツッコミが生じる余地があるわけだ。

〇反論3:生きてればいいこともあるはず
●反出生主義:この反論は自殺を止めるには有効だが出生の推進に用いるには的外れだ。世界は苦痛に満ちており、そもそも生まれてこなければそんな苦痛を受けないのも確かだ。
(ハナー補足)そして幸福と苦痛は「対等」ではなく「苦痛が優位な関係」にある。おいしい食事では歯痛をいやすことはできない。歯痛を治療するしかない。

〇反論4:反出生主義者は生きててもつらいだけなのでは?
●反出生主義:単なる悲観主義や厭世主義、ニヒリズムとは異なる。単に世界に不幸が多いことが問題なのではなく、「世界の中に生まれ落ちることが不幸を生み出しうる」という点を問題視している。因果関係が反対になっている。
(ハナー補足)原発はこれ以上作らないほうが良いが、今ある原発は有効利用するべきというのと同様に。新たな生命を生み出すべきではないが、いったん生まれた人間は幸福に生きるべきであるということ。

〇反論5:子供が生まれてこなければ人類が滅亡してしまう
●反出生主義:滅亡してかまわない。というか滅亡するべきだ。世界が無人になったとしてもそれは世界にとってのマイナスにはならない。

〇反論6:生まれてこなかった子供がかわいそうだ
●反出生主義:生まれてこなかった子供は単なる可能性であって実体はない。生まれなかった子供についてかわいそうというのなら現在子供を作らない夫婦も同じく糾弾することになる。生まれなかった無数の子供について無限の追及ができるのはおかしい。

〇反論7:殺人を肯定する思想に思える
●反出生主義:反出生主義は殺人を肯定しない。殺人は殺される人が既に存在しているので本人やその周囲の人へ苦痛を生み出す。むしろ生殖という行為のほうが「いずれ確実に死ぬ存在」を一人生み出すことが「殺人的」と言えないか?

〇反論8:死にたいなら勝手に死ねばいい
●反出生主義:反出生主義が主張しているのは「この世に生まれること、生み出すことの否定」であって、生まれた後に生き続けることは否定していない。自殺は多くの場合苦痛を伴うし自殺するかどうかはあくまでも人生内部の選択にすぎない。生まれてしまった以上はなるべく苦痛を避けて幸福に生きるのが賢明だ。

〇反論9:反出生主義を押し付けないでほしい
●反出生主義:反出生主義は他人に押し付けなければ意味がない。道徳的なルールの多くと同じだ。「暴力反対」を主張して他人が暴力をふるうのを見過ごすのは虚しい。暴力反対ならば周囲に起こる暴力がなくなるように働きかけなければならない。むしろ生殖行為こそ生まれてくる人へ一方的に「苦痛を伴う人生」を押し付けていて悪質ではないか。

〇反論10:生きることに価値を見出せない虚無主義じゃないのか
●反出生主義:反出生主義は虚無主義ではない。むしろ世界で起こる物事に価値を見出しているからこそ、その価値判断のもとに出生を否定している。もしこの世に価値を見出せないなら生まれても生まれなくても同じだという主張になるはず。反出生主義は生まれることがマイナスの価値を見出すからやめるべきだと言っている。

〇反論11:何が不幸かは人による。一方的に決めるべきではないのでは?
●反出生主義:反出生主義は不幸の内容は規定しない。規定せずとも主張は成立する。なぜなら「ある主体の存在」と「無」を比較しているからだ。生殖によって生まれる存在がどのようなことに幸不幸を感じるかはどうでもいい。とにかく「この世に存在してしまう」ということがその主体の知覚に何らかの刺激を与え、それが当人にとっての苦痛足りえるというリスクさえ確認できれば反出生を主張する十分な理由になる

〇反論12:生まれた子供が幸せになれば世界の幸福量は増えるから出生すべきだ。
●反出生主義:出生は新たな幸福を生み出す善なる可能性と同時に不幸を増やす悪なる可能性も併せ持つ。幸福を増やすことは少なくとも絶対にやらなければならない義務ではないが、不幸を増やす行為は「行うべきではない」という道徳的義務がある。不幸を減らす義務は幸福を増やす義務より優先される。

〇反論13:反出生主義を実現するとその過程でいろいろな不幸が生じそう
●反出生主義:これはその通りだ。生殖の自由を奪われることは善悪はともかくとして不幸だろうし、滅亡の過程で人類は衰退するだろう。おそらく不幸は生じる。もともと反出生主義は完璧な解決策ではない。これ以上「存在」がもたらす不幸の連鎖を防ぐためになるべく早く人類史に終止符を打つべきと言っている。
(ハナー補足)ゆえに猫の去勢手術と同じく、人間もこれ以上生殖をすべきではないというのが反出生主義の主張になってくる。

反出生主義の主張は十分道徳的、論理的に成立し得るということは理解した。だが、私自身の利己主義というか主観的客観性(ハナー造語)に基づくなら「すでにして生まれた私は私の幸福を追求する」という反出生主義者も認めている根拠を用いて反論をする。つまりは「知ったことか」である。銀河英雄伝説のヤンウェンリー・・・じゃなかった、アッテンボローの「それがどうした」でもいい。

「他人にどうこう言われるいわれはない」というところか。
私が私の幸福を追求する時に必要と思えば、わざわざ生殖行為を禁じようとは思わない。逆に幸福を追求するために必要と思えば禁じることもやぶさかではないわけだが。

私の人生観でいえば「人様に一切迷惑をかけるな」ではなく「小迷惑はかけても仕方がない」である。取り返しのつかない大迷惑は良くないが、人間が社会的に生きていく上では小迷惑をかけるのは仕方のないことだ。開き直るわけではないが、自身の幸せのためには萎縮するつもりもない。(まあ小迷惑と大迷惑の境界線について、新たな議論の余地があるのは認めざるを得ないが、そこは「個人の感覚」としかいいようがない。私の考えの大きな弱点の一つだろう)

そして反出生主義者への反論としては「その主義主張を持つ限り、あなた自身は幸せになりにくいと思いますよ?」となる。

>●生まれてしまった以上はなるべく苦痛を避けて幸福に生きるのが賢明だ。

としているのに、その主義主張を持つことで、彼らは苦痛を受けやすくなってるように見えるのだがなぁ。


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