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2021年12月22日01:19

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京大の図書館を自由に活用出来る環境を捨てて、蒜山高原の古民家へ引っ越した意味を考える(4)

私が
京大の図書館を自由に活用出来る環境を
捨ててまで
蒜山高原の古民家へ
来た目的の
第4は

「ピアノを楽しむこと」

である。

ピアノの才能は
父が見出してくれた才能で
しかし
私のピアノの才能を
潰してしまったのも
同じ私の父である。

とはいえ
ピアノが好きであることは
今も変わりない。

むしろ
この古民家に来て
今までで一番
ピアノが好きに成っている。

ということは
この古民家が
私をして
ピアノを好きになる
環境を
私に提供してくれている
ということになる。

いずれにせよ
私はピアノを好きになる性質を
生まれ持っている。

なので私は
この「第4目的」の中に

「グランドピアノを入手すること」

を入れたい。

私は生まれて今まで
グランドピアノを所有したことが
一度もない。

グランドピアノを
これまでに
余裕を持って
設置できる環境が
無かったか
といえば
そうではない。

大阪の旧実家の
平屋(ひらや)時代でも
二階建てに新築した時ならより可能性があったし
蒜山高原の東茅部の旧別荘でも
置こうと思えば置けたはずである。

けれども実際には
置かなかったし
また置く必然性が無かった
とも言える。

けれども
この古民家であれば
和室の見世の間に
置ける丁度良いスペースがあるし
(座卓を置いたので今は狭く成ったが
 座卓は中の間でも奥の間にでも移動できる。
 勿論、グランドピアノを置いても
 座卓を置くスペースは残せると思う。)
見世の間は
「将来グランドピアノを置く時のために」
ということで
グランドピアノを置くことを予想した
「北側半分(4畳分)」を
「320kg までの重量に耐えられるように補強済み」
であるから
余計にこれまで住んだ家の中で
最も可能性に満ちているから
である。

ここで
「入手」とは
「購入」だけを意味しない。

何らかの方法で
和室の「見世の間」に
グランドピアノと
電子ピアノを
併設して

そこで
昼間はグランドピアノ
夜間は電子ピアノを
弾いて楽しみたい。

また
ピアノは
幼少期には
ただただ習わされるだけの
受動的な練習になるが

音楽理論を理解出来るように成った時期に
ピアノを
しかも教師を伴わずに
「独学」で
練習する場合には

どのような理論を
なんのために学ぶのかを
自分自身で主体的主導的に
決めることができる
(主導権を自分で握ることができる)
ので

音楽理論を
自分自身の感性が望むままに
即ち
自分自身の感性を満足させるためだけに
学べるので
楽しくて仕方がない。

たとえば
坂本 龍一 の「energy flow」を筆頭に
小瀬村 晶 の「Light Dance」や
久石 譲 の「あの夏へ」や
Andre Gagnon の「Comme au premier jour(めぐり逢い)」
などに用いられている

「不協和音なのに
 (つまり
  「美しさ」の「基準」である「和音」を
  「逸脱」しているのに)
 音の流れの中で
 味わいの深い(無限の深みを感じれる)音色と「成る」
 音の繋がり(組み合わせ)」

の(しかし、であるにもかかわらず)
法則(理論、新たな普遍性)

知りたい。

哲学は
「使命」だと思っているが
(その意味で「宗教行為」や「宗教学研究」は
 「使命」だという感覚は無い)

音楽(ピアノ)は
「純粋に趣味」として
楽しみたい。

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最終更新
令和3(2021)年12月22日  7時07分
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