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2021年12月05日15:13

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田宮虎彦「落人」 1/2

落人  「黒菅」シリーズ第九篇 現代仮名版


1.

 雪は降ってはやみ、やんではまた降りつづけた。重くるしい薄墨いろの雪雲がどんよりと低くたれこめた野面を、時々思い出したように巡邏の西国兵が見廻ってあるいた。慣れぬ積雪にとじこめられて満ち足りぬ無聊をかこっている巡邏の西国兵たちは、それが鬱屈のはけ口ででもあるかのように、屯所から遠くはなれると、あてもなく盲滅法に銃をうちはなした。すると、雪にうずもれた山肌の木立の中から、しなった細枝の雪をかすかにちらせて鳥がとび立った。間のぬけた鳴き声が落ちて来て、鳥はのろい羽ばたきで風をいだきながら、遠い木の繁みにうつって行った。
 大手前に梟首されている十一の首級は、童のこしらえそこねた雪達磨のように雪にまみれてしまっていた。首級をつきたてた青竹も、脚もとから次第に雪にうずもれて、首級の重みで低く地面にめりこんでいったようにみえた。猟人や樵夫をかり出し、木の根草の根を分けても生き残りの黒菅勢を探り出せときびしく下知した西国勢も、山々が深まった根雪の底にうずもれてしまったのをみると、猟師たちをそれぞれの村里にひきとらせた。黒菅勢がいかに雪になれていたにしても、猟師樵夫さえがわけ入ることの出来なくなったこの雪の深い山野には、身の潜めようはあるまい。また、よし、ひそめていたにしたところで、きびしい寒さに凍え死するほかはないに違いなかった。梟首された首級は十一の数を数えたまま、焼け崩れた城内を死んでもまだ守りぬいてでもいるように、激しい吹雪に吹きさらされていた。
 蓮台の村から白見の山裾をたどってゆくと、白木村にはいる道が沢を越えて右におれる。そこで道は笛吹峠から熊坂、雲形などの村々にいたる道と分れるのだが、その白木道はそこから崖肌をぬった。道幅は一尺とない狭さだ。沢は黒菅の城下では雪笹川となって猿啼山の方へ流れてゆくのだが、ここでは深い谷底をせせらぎながら流れていた。立ちどまるとかすかな水音が、その暗い深い谷底からきこえて来る。黄昏などには沢をへだてた向うの崖肌に、悲しげな狼の遠吠えや得体の知れぬ山禽のけたたましい啼き声がきこえたりした。ふたかかえも三かかえもある老樹の生いしげった深い森が、崖肌からすぐつづいていて、その不気味な啼き声はその森の奥からきこえて来るのであった。

2.

 勝田善齋が大手前の竹矢来の中で首を刎ねられてから四五日後、ちょうど夜明けにまだ半刻ほど間もあるかと思われる時刻であったが、その道もない谷向うの崖肌を、猿のように突っ走っている男がいた。猟師の山着の上に狼の皮裘を重ねているので、木の根づたいに駈けてゆく背をかがめたその姿は狼そのままであった。無論獣ではない。時々木の根から足をふみはずすのか、泳ぐように両手をひろげるのがみえたが、その左の手につかんでいるのは確かに長刀である。木の根方をひろって走りつづけているのは、老樹の根方には雪が浅いからであろう。時々深みに足をとられると、立ち止って息をついた。しびれるような夜明けの寒さであった。つく息が霧のように白くみえた、だが、白じら明けが笛吹峠の山背を明るくしはじめるのをあおぐと、男はまた駈けつづけた。夜があければ、たとい雪が深くても白木道には人通りがある。見つけられることをおそれている様子はすぐわかった。見つけられても、深い谷をへだてているのでその場は逃れられる。だが、たといその場は逃れ得ても、すぐに追手はかかるのである。男は人通りのはじまらぬ前に、白木道からはなれた山肌にはいらねばならぬのであった。
 半刻あまりを駈けつづけて、白木道が桧の木立ちの向うに遠ざかると、男はようやく窪地に腰をおろした。そこだけ土肌がのぞいている。六尺近い程の長身であった。男は雪にぬれた刺子の長手拭を首筋からはずして、汗ばんだ肌をぬぐっていたが、やがて大きく息をついて明るんだ空をみあげた。月代ものびるがままのびていた。顔中が髭にうずもれ、人というよりはけもののような風貌の底に、するどい眼の光りぎらぎらと輝いている。やがて、男は背におった長袋から握飯をひとつつかみ出すと、鵜のみにそれをのみこんだ。あえいでいた胸のたかまりもすでにおちついていた。
 男は黒菅藩指南役山崎剛太郎であった。首席藩老山中陸奥が企てた西国勢への恭順の意図を、ことごとく覆した徹心党の参謀格であった剛太郎は、鉢甲山の備えが崩れたつと、一度は黒菅城に帰って来たが、最後の夜の斬込隊に加わって姿を消した。城内では帰らぬ剛太郎を敵陣で斬死したものに加えて、藩主への奏上を終えていたのであったが、その夜剛太郎は城を出るとすぐ、闇夜を付毛牛まで逃げたのである。黒菅の城が焼け落ちるのを、剛太郎は笛吹峠の炭焼小屋からみた。そこで昼間は炭焼竃の中に潜み、夜にいって付毛牛の部落の農家から味噌や米を盗み出して来て、空腹を満たした。付毛牛には肥後の兵が屯営していたが、暖国の兵は東北の雪の夜寒に堪えかねたものか、女を漁って夜は巡邏すら怠っていたのである。
 城が炎上した後も剛太郎はその炭焼小屋に六日ひそんでいた。そして、熊坂村の庄屋の喜兵衛の家の稲部屋に逃げた。西国方に狩り出された猟師たちが、笛吹峠の往来のたびに、剛太郎のひそんでいる小屋に入りこんで来るようになったからであった。その猟師たちの言いかわした言葉から、熊坂村には西国勢のいりこんでいないことがわかった。だが、その稲部屋にも三日ひそんでいたにすぎぬ。三日目の午の刻すぎ、熊坂村に薩摩勢の枝隊がのりこんで来た。そして、喜兵衛の家の前の水汲場に、奥羽鎮撫総督の触書の立札を立てた。稲部屋の屋根裏に身をひそめた剛太郎の耳に、隊長らしい男の触書をよみあげる声が、きれぎれに聞えて来た。
「…逆賊山中陸奥朝恩に悖り妄に陸梁し禍を延く…」
 そんな言葉だが、最後は、――ここにその家を焼き、罪科の一班をつぐなわしめんとするもの也、明治元年十一月十一日、奥羽鎮撫総督九條道孝、という声で切れた。
 薩摩訛りのその声が絶えると、雪をふむ跫音が喜兵衛の家の文庫蔵の裏を抜けて遠ざかっていった。それから小半時もたっただろうか。跫音の遠ざかっていった方角で、はげしく燃え上る焔の音がきこえた。桧柱のはぜるひびきがつづいてきこえ、それに重なって、罵りかわしながら稲部屋の外を駈けてゆく跫音がつづいた。
「陸奥様のお屋敷が焼き払われて――」
「ひでえことだ」
 罵るといっても、見なれぬ西国ものを憚って、お互いに通じるだけの抑えつけた声であった。
「あれは薩摩の侍たちだってえことだ」
「しばらくこの村にいんだってな」
 別の声である。
 火事場の方へかけつけてゆく人の跫音がたえると、剛太郎は付毛牛の農家で掠めとって来た刺子の紐をしめなおして、稲部屋の戸をかすかにあけて外をのぞいた。さっきの跫音から推せば、薩摩ものの人数は二十人を越すだろう。もし、その人数がこの熊坂村に宿営するとなれば、さしずめ喜兵衛の家が本営になる。出入りがむずかしくなるのは必定であった。
 人々はもえさかる陸奥の山荘に集ってしまったのか、一人、腰の折れ曲がったあばたづらの老婆が、水汲場の石屋根の蔭から、じっと山肌の煙を見上げるように眺めやっているだけであった。剛太郎は長刀を両手で抱くようにして水汲場のうしろをかけぬけた。老婆は耳も眼も遠いのであろう、その剛太郎に気づかず、じっと同じ姿をつづけていた。
 剛太郎は山ふところの桧の老樹のうつろに身を潜めて、その夜、また、もとの笛吹峠の炭焼小屋に帰って来た。雪明りに、前に潜んでいた炭焼竃をみると、竃は無残におしつぶされていた。いずれは落人狩りの西国勢がとりこわしていったに違いないが、剛太郎は息をのんだ。もし、この竃に潜みつづけていたならば、探し出されていたか、あるいは竃の中で押しつぶされていたに違いなかったのである。
 剛太郎は付毛牛のはずれの土橋のかげに非人の小舎のあったのを思いおこした。四十余りの女の非人が、誰の子ともしれぬ乳呑児を抱えていた。剛太郎も黒菅の武家屋敷を、ざれ唄をうたいながら、食べものを乞うて歩いていたその色気違いといわれる非人女を見かけたおぼえもあったのだが、その非人女が付毛牛の土橋の蔭に小舎がけしていることは、前に炭焼小屋にひそんでいた間、夜、部落に米や味噌を掠めに出た時に気づいたのであった。長袋につめた米をせおって土橋のそばまで逃げ帰って来た時、人一人いない筈の土橋のかげで乳呑児の泣き声がきこえた。非人小舎があるなどとは夢にも思わぬ剛太郎は、思わず足をとめた。重くるしい雪雲の下には、乳呑児をおぶったものの跫音ももとより聞えなかった。剛太郎はその泣き声を己れの空耳かとうたがったが、やがてそれをあやす母親の声がして、カチカチと燧石をならす音がしたかと思うと、暗がりの中にあかりが狐火のように洩れた。
 熊坂の桧林から白見の山背をぬけて炭焼小屋に帰って来るまでに、夜はもう明けはなれようとしていた。雪は深くても農家は朝が早い。今はその非人小舎にかくれるよりほかはなかった。咄嗟にそう思案すると、折りからまた吹雪きはじめた中を剛太郎は付毛牛への山道をかけ下りた。村里では鶏が暁をつげていた。
 非人女の名はおしづといった。剛太郎がはいってゆくと、暗がりの中で女は身をしざった。それから
「秀さか」
 といった。剛太郎が答えぬと
「光さか」
 といいかえた。剛太郎は小舎の中の、すえたような、けものの匂いのような、異様な臭気に瞬間吐き気をもよおしていた。すると、女は満ち足りたような、ほッほッという笑い声をあげて
「秀さでも光さでもねえのか」
 といって剛太郎ににじりよって来た。夜明けのほのじろさがかすかにさしこみはじめていた。
 剛太郎は、おしづが外に出るならば斬らねばならぬと思った。だが、そんな剛太郎の心が、気違いにもわかるのか、おしづは小舎から外に出ようとしなかった。小舎の中は菰がけの戸口のほかは三方が山肌の岩にかこまれていて、炉も出来ていた。岩かげにはかなりの米もたくわえられてあった。
 剛太郎は、そこから逃げ出す機会をねらっていた。だが、どこへ逃げればよいというのであろう。もはや、逃げのびるところはないようであった。勿論、早急にここから逃げねばならぬのだが、やみくもに逃げだすことは出来ぬのである。幾日ここにいたか、僅か四五日のことなのに、剛太郎は日数も正しく数えられぬような気がした。おしづの小舎の前に、朝晩、部落のものが残飯を投げに来た。二三人の老婆だが、土橋の雪をふむ跫音がきこえて
「おしづよう」
 と声をかける。それから
「どうだ、赤児は丈夫か、赤飯もって来てやったぞ」
 と呶鳴るのである。跫音が去って行くと、おしづは表てに出て残飯を拾いにいった。
 四日目か五日目の黄昏のことであったが、剛太郎がいつもの老婆のそんな言葉をききながら、おしづの衾の中に横になっていると、土橋に別の跫音が立ちどまった。男の跫音である。剛太郎は長刀の鯉口をきって身がまえたが、土橋の上では、跫音の主らしい胴間声が――大手前のさらし首の数が十一ヶになったとか、もう山狩りも終ったとかといったことを老婆に話しかけはじめた。男は老婆の見知りの倉谷村の猟師らしく、それから、狩りだされて十日余りも雪の深い山々を落武者がりをさせられた時のことなどを、ぶつくさと話していたが、老婆が
「もう、かくれちゃいめえな」
 と口をいれると
「雪笹山の沢さ逃げきってればともかく」
 とその男が答えた。
「まったく、鬼面沢の熊うち小屋には米も味噌もある筈だからな、案外、一人くらいはかくれていっかもしんねえ」
 老婆がそうかえすと、男は吐きすてるように
「こんなに雪が深くっちゃ侍なんかに小屋までいけっか」
 と答えかえした。話はそれでとぎれて、やがて、今度は西国勢から与えられた日傭銭の高を、薩摩は幾文、長州は幾文とこまかく話していたが、老婆が
「おしづ、おら帰るぞ――」
 と呶鳴りすてて雪の坂道を下りてゆくと、男も
「おしづ、今夜はおめえと寝ていってやろうか」
 と胴間声をなげ、アハアハと馬鹿笑いを残して笛吹峠への道を上って行った。
 倉谷村は笛吹峠を越したところである。猟師は山肌が次第に濃い黄昏闇の暗さに淀んでゆくのに気づくと、脚を急がせた。慣れた山道だが、暮れきってしまうと、よく狼に襲われるところであった。――もう夜道じゃ付毛牛で泊ってゆけ、といったさっきの老婆の言葉を猟師が思い出した時、ふとうしろに人の跫音をきいた気がした。
 剛太郎は、伊兵衛といったその倉谷村の漁師に追いつくと、さっき老婆と話しあっていた熊うち小屋への道を聞き出した後で、伊兵衛を斬り捨てた。伊兵衛の着ていた皮裘を剥ぎ、腰につけていた山刀も、背負っていた長袋も己れの身につけた。そして、伊兵衛の屍を崖下に蹴おとすと、しばらく何か思案するようにうづくまっていたが、つと立ち上ると、脱兎のように駈けはじめた。


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