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2021年12月04日23:19

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京大の図書館を自由に活用出来る環境を捨てて、蒜山高原の古民家へ引っ越した意味を考える(1)

(1)第一目的は
   妻(と私の)健康だ。
   (健康は学問に優先する。
    実在は観念に優先する。
    経済は文化に優先する。
    現実は理念に優先する。
    実証は論証に優先する。
    自証は実証に優先する。
    故に自証>実証>論証。
    事実は仮説に優先する。
    命は何よりも優先する。)

京都の下鴨神社近くの
旧実家は
京大の図書館を自由に使えるという
学問をするには最高の環境であった。

だからこそ
全財産を叩(はた)いても
母は私の為に
京都の下鴨に
考えられる限りの最高の学習環境を
構築してくれたのだ。

しかし妻が
原因不明の体調不良に陥り
(現在は原因を
 「パニック性不安鬱病」と
 特定出来るところまで
 絞り込めてきているが
 これは
 「蒜山高原への引っ越し」という
 「転地療養」を実施しても
 それだけで状況が好転しなかったが故に
 特定出来た病名で
 京都に居たままでは特定はおろか
 未だに
 「シックハウス症候群」
 ないしは
 「京都の魔境のせい
  (下鴨神社の境内に建つ住宅であるから
   神の怒りを買(か)っている為)」
 ではないかと
 疑い続けるだけで
 「パニック性不安鬱病」だとは特定出来ず
 したがってその為に必要な薬物療法を用いることも出来ず
 状況を好転させることが出来ずに居る筈であり
 そうなると妻を地獄の苦しみから
 脱却出来ないまま放置することになっていただろう)

令和3(2021)年には
私まで認知症様の症状に悩まされるようになった。

本年度(令和3(2021)年度)は
私が博士の学位(教育学:課程博士)を取得出来る
ラストチャンスである。

なぜならば
私の博士後期課程における
3人の指導教官のうち
2人が
令和3(2021)年度でもって
京都大学を退官されるからだ。

そして
私が所属していた
教育哲学系を専攻する教授が
京大に一人も居なくなるので
私が学位を申請しても
京大に
教育哲学系の博士論文を
審査出来る体制が無い
という事態に陷るからだ。

だから本来であれば
本(令和3(2021))年度は
課程博士の学位取得に専念すべき年度だ。

しかし
もしも本年度
私が妻の健康状態の悪化を無視して
学位取得に専念したなら

そして首尾よく
学位の取得に成功し
単著も出版し
京大名誉教授の推薦も得られて
京都の大学に就職が決まった
としても

その
地位と名誉と
引き換えに
私は妻を失うであろう。

それほどに
妻の病状は逼迫(ひっぱく)していたのである。

そして妻の健康状態を考えれば
本来であれば
今年中の
移住(京都の家と土地を売却しての引っ越し)と
(引っ越し先での)住宅の購入と改修(リフォーム)は
控えるべきで
今年と来年
もしくは
今年を含めて2〜3年の余裕を見て
ゆっくりと進めることが出来れば
また妻の病状の進行も
緩(ゆる)やかに出来たかもしれない。

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最終更新
令和3(2021)年12月4日 23時37分
令和3(2021)年12月5日 23時05分
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