mixiユーザー(id:2223977)

2021年11月29日01:45

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いいこと思いついた(最高の哲学話し相手としての自分自身)

私の哲学話は
誰も聞かない。

というか
京大に居た時の19年間もそうだったが
学会でさえ
私は
話し相手に
満足出来る人が
居なかった。

論理の強い人は
宗教体験を持たないし

宗教体験を持つ人は
論理が弱い。

論理が強くて
実証も重視出来て
宗教体験を持つ人は
誰も居なかった。

もしもイエスが目の前に居ても
また
ガウタマ・シッダッタが目前に居ても
彼らの話だけでは
私は満足しないだろう。

たとえシェリングと話が出来ても
(他のどの哲学者よりも話甲斐があることは間違いないけど)
彼の話だけでも満足出来ないと思う。

やはり私の最も良き理解者は
私自身以外
(と言うよりも
 「私に内在している全直径祖先である超越者= DNA の源泉」
 以外は)
この世に誰も居ないだろうし
これからもそうだろうし
あの世に行ってもそうだろう。

しかし私は私の世界で完結しているので
それで満足出来る。

誰かに認めてもらえないと満足出来ないなら
それは悟りでも啓示でもない。

なぜなら
悟りも啓示も自己完結であり
自給自足だからだ。

なので
自分が最も納得出来る話し相手である自分自身に向けて
自由自在に話せば良い。

だとしたら
公開する意味はあるのだろうか。

しかし
例えば私は
哲学者の独白を聞いてて
退屈に思わない。

哲人が自分自身の内面に問いかけて
自分自身の内面に対して語っているのを聞く時
私自身の内面での対話と比較して
十分に自分にとって参考になるからだ。

だから
公開する目的は
私のような人が
この世界に
私以外に一人も居ないかもしれないけれども
それでも少なくとも私自身は
私の哲学の読者であろうから
私自身に向けて
或いは
私のような「哲人」に向けて
(「哲人」と「哲学者」は違う。
 「哲学者」は「学者」であるが
 「哲人」は「哲学を純粋に楽しむ人」だからだ。
 「哲学者」は哲学を創造出来ないが
 「哲人」は哲学を創造出来る人だ。)
私は私自身との哲学対話を残してゆこう。

そして
そういう「哲人モノローグ」
(「モノローグ」は「独白」とも訳されるが
 私は
 「私の中の内在超越者との対話を哲学話として記すこと」
 を「哲学モノローグ」と呼びたい。
 だから私が私と対話するのではなく
 私は私の中の内在超越者と言語を超越した交流をすることで生まれる内容を
 言葉で、したがって中動態系言語文法で記してゆくことになるだろうし
 内在超越者との対話が中動態系言語文法に成る様(さま)を
 自分自身でも確認したい。
 そのことで「中動態」に対する理解も深めたいし進めたい。)
を残してゆきたい。

そして
そういう話を
書物と言う形で
残してゆきたい。

私は
私が
どのような哲学を産み出すのか
私自身判らないし
また
だからこそ
楽しみだ。

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最終更新
令和3(2021)年11月29日  8時40分
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