キリスト教圏内の十二か月の数え歌で今月はそうと聴いた。
震災2年後の平成25年今月今頃、上京した森さんの留守番電話録音があってまた電話しますのヨーな言葉があったろうか。数日後が竹田正一郎翁の訃報だった。
上京は竹田さんの見舞でその状況を誰かに語らずにはいられないと電話したのかと、翌年の偲ぶ会での話から思われた。
その十一月から遡る盛夏の七月に竹田翁から内田さん訃報の電話があった。
曰く手許の郵便物だか手蹟を見てふと電話したら亡くなって間もなかったそうだ。ツァイスイコン始め古物カメラでお世話になった恩義に翁と連名で弔電を送った。
健在と思った翁まで数か月後に幽境を隔てるとは夢にも思わなかったヨ。それから幾年過ぎて御代も変わった初夏、森さんまで泉下とはこれにも酷く驚いた。
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