現実十夜（二）　出現！自販機あしながおじさん

現実十夜（二）　出現！自販機あしながおじさん



こんな現実を見た。異常事態が始まって今日で五日目になります。

一日目。しばらく休職してましてきほんヒマだったんですが、ある日用事があって朝早くうちを出たんですね。で眠くて、近所の自販機コーナーでコーヒー買おうと思って、コイン入れたんですが戻って来ちゃうんです。調子悪いのかなと思って千円札入れようとしたらなんか詰まってるんです。ああ、お札の方が詰まるとコインの方も受けつけなくなるのか。しょうがないんで隣の自販機で買って、まあその日はそれで済んだんですが。

二日目。朝の用事は何日か続きだったんで翌日の木曜も早朝に出て、やっぱりおんなじ自販機コーナーに行ったんだけど、またお金入らないのね。自販機コーナーっていっても店舗もやってるので、僕は早朝だからまだ開いてなかったけど昼間におばちゃんこれ詰まってるよって言う人はいるはずで、なんだよ直してないのかよって思ったんですが、その、千円札入れるとこ、雨かからないようにプラスチックのカバーが下りるようになってて、なにげなくそこ上げてみたら、詰まってるのお札なんですよね、柄が。お札ってはじっこは印刷ないじゃないですか、でもなんか模様が見える。あ、これ折って入れちゃったんじゃん！て気づいて、爪でうまーく挟んで引っ張ったらズルズル出てきて、見たらやっぱ二つ折りになった千円札でした。これどうする。着服する？するよねー！というわけで着服しました。え？ああ、監視カメラがないことは真っ先に確認しました。

その日の昼過ぎ、用事終えて帰ってくる途中、自販機コーナーのおばちゃんが常連の爺さんになんか訴えてるんですね。ちょっと気になって聞くともなく近くで聞いてると、ここ数日、自販機に紙詰める人がいてとても困っている、うちはクリーニング屋だけどいちばん売れるのは自販機だ、五台ある機械が全部動かないと日に五千円とかの損失になるどうにかしないと、と言ってる。紙を詰める？いや紙、じゃないだろあの紙は。まあお札ってはっきり言うわけにもいかないのかもなと思いつつ、その日もそれで済みました。済んだけどなんか気になってなかなか眠れなかった。だってうちんとこ、八百戸もある住宅地ですよ。五台の自販機に紙ないしお札を詰める人が誰にも目撃されないわけないのでは。

三日目。というわけで目が冴えて午前二時くらいに目が醒めました。そうか、夜中に詰めてるのかも知れんよね。うちから数分のとこなんで、夜な夜な見に行きましたよね。そしたら、夜中だから目立つんだけど自販機どれもエラーのランプがついてるの。今日もかよ！そしてこの時間だともう犯行は終わってるのかよ！とにかくいつも使う台のお札入れのとこめくってみると、確かにまた詰めこまれてる、千円札が。それも、ここだいじですよ、二つ折りじゃない。なんか八つくらいに、細かく折りたたまれて無理やり詰めこまれている。いやね、二つ折りならなんかの勘違いか、間違ったの気づいても間に合わなくて吸い込まれちゃったのかとかの可能性もあるけど、八つ折りなら話は変わってくる。これは故意だ、わざわざ詰めたんだ。けしからん、没収する。と思ったんですがけっこう奥まで無理やり押し込んであるし分厚くてがっちりハマっちゃってて指じゃ取れないのね。じゃあ隣はどうなのよと思って覗くと、なんか、もっと複雑な感じで押し込んであってますます取れない。どんなマニアだよ。五台覗くとどれもそんな感じで、いや紙くずとかガムとかじゃなくて自分が損してまでお札ねじ込むっていうのは、新しい！なんだろうコンセプチュアルアートかな、みたいに思ったんですが、体はダッシュでうちに取って返してました。なんでってそりゃ、やっとこを取りに。やっとことお刺身用の骨抜きと、ゼムクリップを伸ばして先っちょ二ミリだけ鉤みたいに曲げた奴が必要だ。まだ夜中の三時前です。いちばん人通りの少ない時間だ。

いやー盗みましたねえ。ここはやるとこでしょう。みなさんだってやるでしょ？

その一台目。骨抜きで無理やり引っこ抜いてみると、確かに八つ折りになった千円札でした。ここに実物を持ってきてます、これです。隣の台は奥目に押し込まれてたんで、ヘヘヘ、特製の鉤が役に立ちました。まっすぐ挿入して、九〇度回して紙に穴開けて引っかけて引き抜きます。ヘヘヘ、めっちゃ便利。人類は道具を使う生物。ところが出てきたのをみたら、五千円札だったんです。まじかよ！！え、じゃあこの先はどうなんの！完全に欲の塊ですね。求職中で収入ゼロですからね。一円も見逃すものかって勢いで指先に細心の注意をそそぎながら五台すべて引っ張り出しました。万札もありました。様々な形に折り畳まれた紙幣が、〆て、いいですか、〆て、三万七千円。一時間足らずの労働で三万七千円。ここに持ってきてます、これです。は？不労所得？労働ですって！あとは軍手でざっと指紋を拭いて、素早く闇に紛れました。

その日の午後そこを通りかかると、おばちゃんがパトカーの警官に事情を話してました。警官いわく、嫌がらせにしてはお札を押し込むというのは行動がおかしい。おばちゃんが迷惑をこうむってるのは分かるけどもこれは怨恨とかではなくおそらくは認知症だろう。そうなると我々としても捕まえるとかは気の毒でできないので、とにかく本人を特定して関係者にちゃんと見張っててもらうとか、そっちの感じで頑張りましょうよと。なるほどそうだそうだと話を合わせて帰ってきましたが、やべえゆうべのうちにコトを済ませておいてよかったぜと内心滝汗。大丈夫、防犯カメラはない。ないはずだ。

四日目。朝早く、散歩がてら（？）自販機コーナーまで行こうとすると、店の前にパトカーが止まってる。六時前ですよ？とうとう張り込みかよ大変だな！と思ってスマホでパトカーの写真撮ったら、すぐバタンバタンとドア開けて警官がふたり降りてきまして、ちょっとキツめの口調で、いま写真撮りましたよね、それどうするんです、ＳＮＳに上げたりしますか、それはちょっと困るんですが、とやんわり尋問みたいな感じになって、うわやべえ、ガチやべえどうするこれってなって、いやあ紙詰める人がいるんでしょ、すっかり噂になってますよ、犯人見つかったか気になって見に来ちゃいました（怪しまれてないかな、さりげない感じで言えたかな）と言うと、いやあまだ見つかんないんですけど、犯人ていうか、本人と会えたらやめてくれと伝えるんで早朝からここに来てますって話でした。警察って通報あるとそこまで対応するのか大変ですねえ。私はすぐ帰って来ちゃったしもう今日はたとえお札が入れられてても回収に行くには危険すぎるのできっぱり諦めようと、以後一日じゅうそっち方面には足を向けませんでした。ものごとと人生は引き際が肝心です。

五日目、つまり今日ですね。朝お店あくのは十時くらいなんですが、最初の日に見かけた常連の爺さんが、おばちゃんに興奮気味に何か話してます。「見ちゃった！俺犯人見ちゃった！」。うっそーん！！突っ込もうとしてるの見たの？！「そうなんだよ。千円札をさ、こう細長く畳んで、それも千円札入れるとこじゃなくて、コイン入れる方に押し込んでる」。いやどこまで新しいんだよ。どんな人でした。「爺さん。俺よりちょっと上くらいかな。そんで、いくらなんでも無理だろうと思ったから俺、声かけちゃった」。話したの？！？！なんて声かけた。「ねえ、そこにお札入れたら壊れちゃうよって」。そしたら？「うるせえな！！」って。めっちゃ気の短い人だったようです。

☆☆☆

ここで、うまく落ちたんでお後がよろしいようで、で終わってもよかったんですが、後日談がありまして。実はこの話、今日ではなくて四ヶ月ばかり前の出来事だったんですね。その後、コトがどう片づいたんだか知らないけど、もう謎のお札が出現することもなく、どこそこの認知症の老人がとうとう手に負えなくなって施設に入れられたなんて噂が立つこともなく、なんとなくうやむやのうちに事態は沈静化して日常が戻ってきたようだったんです。でも。昨日のことです。爺さん、その、犯人じゃなくて犯人見つけた方の爺さんですね。彼はだいたいおばちゃんとダベりに来るんですが昨日は店が閉まった夜の八時くらいに来ててジュースか何か買おうとしてるんですが、また機械がちゃんと動かない。だいたいボロすぎるんだよこの店はと思って、どうしたのまた故障？て聞いたら、爺さん、お札をコイン投入口に入れようとしてたんです。