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2021年08月24日16:33

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本格胸糞ミステリー「穴」と、ミステリーにしなかった「パーム・スプリングス」

実は最初、『同じタイトル対決!「ANNA/アナ」VS「穴」』というブログを書こうと思って、先に「ANNA/アナ」を観ていたのですが、「穴」は先延ばしになっていました。
今回ようやく「穴」を観たら、これがなかなか傑作のミステリー映画だったのです。
それで単体で真面目に書こうと思ったところ、そう言えばやはり単体で書こうとしていた「パーム・スプリングス」と比較したら面白いのではないかと思いつきました。

「穴」は胸糞悪いサイコ・スリラー、「パーム・スプリングス」はループものSFの恋愛コメディ。
まったく真逆の映画であると言えます。
この2つをなぜ比較したのかと言うと、「穴」は非常に意識的にミステリーとして作られた作品であるのに対し、「パーム・スプリングス」はあえてミステリーにしなかった作品なのではないかと感じたからです。

何をもって「ミステリー」とするか。
この認識は人それぞれだと思いますが、一般的には「隠されていた真実が最後に明らかにある」ものだと思います。
探偵が殺人事件を解決するものばかりでなく、普通の物語であっても上記の様に「ある事実」を隠しておき、それが判明した時にいかに効果的に観客に驚きを与えられるか、という点を意図的に演出していれば、それはミステリーと言えるのではないかと思うのです。

「穴」は、主人公を含めた学生4人が行方不明になり、主人公1人だけが生還してきたところから始まります。
4人は、合宿に参加するのを避けるために防空壕の様な穴の中で数日間を過ごすつもりだったのですが、そこで何があったのかについては主人公も記憶を失っているようです。
そこから、時系列や虚実が入り乱れた混沌とした構成により、徐々に真実が明らかになる・・・というものです。

閉ざされた場所で事件が起きるというのは、ミステリーでよくある設定です。
しかし、通常は一人、また一人と殺されていくものですが、この作品は最初に主人公以外が殺されているのが明らかにされていますから、ミステリーとするのはなかなか苦しい話ではあります。

前述したとおり、ミステリーというのは「ある真実を隠す事」が重要ですが、もう一つ重要なのは「その真実が何なのかを知りたくなるように作られている事」だと思います。
こちらが「これは不思議だ!どういう事だ?」と興味を持たせる事が出来ていなければ、真実が明らかになっても「あ、そう」と見過ごされてしまうからです。
ミステリー小説の名作では、ただの殺人事件ではなく、ありえない状態の死体が発見されたり、誰にも不可能な方法で殺されていたりします。
これは、まずその謎自体に興味を持ってもらう事が何より重要だからです。
魅力的な謎を提示する事が出来れば、ミステリーとして半分はすでに成功しているわけです。

「穴」では、死んだ同級生がどういう状況で発見されたのか、意図的に隠されています。
餓死なのか、事故なのか、殺人なのか。
警察ならすでに分かっている事じゃないか、と思うでしょうが、この作品はあくまで主人公の視点である事が重要です。
さらに、その視点もまったく信用ならないのがやっかいです。
明らかに彼女の精神は正常では無いからです。

本当は一体何があったのか?
そして、彼らはどうなってしまっているのか。
ここへ興味を持たせる部分が非常にうまく機能していると思いました。
本来ミステリーにはならないものを、演出でミステリーとして成り立たせている作品だと思います。

対して「パーム・スプリングス」ですが、この映画にミステリー要素があると思った人はほとんどいないはずです。
同じ日を何度も繰り返す主人公は、ある日そのループにうっかり女性を巻き込んでしまう。
ループする日々を共有する内に、徐々に惹かれあっていくが・・・という内容です。

ループする日々を割り切って楽しむ2人の姿は痛快で、明るく楽しく、下ネタが許容できれば誰にでもオススメできるお話です。
王道のラブコメとしてもよく出来ています。
ただ、ある事実が判明するシーンがあるのですが、そこが妙に唐突に感じてしまったのです。
全体としてもそこだけ少し居心地の悪い感じがします。

おそらく、脚本では結構重要な部分だったはずです。
それを、映画ではあまり深くは掘り下げない様にしているのです。
理由は明白で、映画のテイストをあまりダークでシリアスにしたくなかったのでしょう。

この映画のユニークな部分は、主人公の男はループ世界で生きていく事に慣れてしまっているのに対し、女性の方は積極的に脱出を試みる点です。
これは人間性の違いなのかもしれないし、男性より女性の方が現実的で前向きである様にも感じられ、そこが現代的な映画として感じられる部分でもあります。

ただ、「ある事実の判明」を重視すると、そこの感じが随分変わってしまうのです。
身も蓋も無く合理的な理由が生じてしまうからです。
「なぜ彼女がどのような手を使ってでもループから逃れたいと思うのか」を謎とすれば、「ある事実の判明」は解決編となるのです。
そこをもっと強調する演出をすれば、この映画はミステリーになったかもしれません。

結果として、映画では謎が提示される前に「ある事実」を出してしまう事により、ミステリーである事を止め、王道ラブコメ路線を選びました。
これは正解だったと思います。
音楽、映像、そして物語と、全体のバランスもうまくまとまっているからです。
ミステリーというのは、解決によってそれまでの世界が色褪せてしまうものです。
そんな終わり方は、この作品には似合わなかったでしょう。

SFでもファンタジーでもホラーでも、演出と構成でミステリーにする事は可能です。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作品のほとんどにはこの演出があり、特に「メッセージ」は完全に映画としてのミステリーを意識していると思います。
しかし、この演出が常に良い方向に機能するとは限りません。
真相が明らかになる事で観客に何を伝えられるか、どのような効果があるかが重要で、うっかりするとシラケさせるだけになってしまうのです。
今回の2作品は対照的でしたが、どちらも良い選択をしていたと思いました。


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