夏水(あるいは全員) 「そうはさせん」
利緒 タン。
【M8】
夏水 「ZYPRESSEN――たどり着いたようだな、だが通すわけにはいかないのさ」
利緒 誰だ。
山城 「問われて名乗るもおこがましいが、俺は北側国境警備隊イスマイル・ヤクシュ」
もえ 「知らざぁいって聞かせやしょう、同じく南側国境警備隊グラフコス・ヴァシリウ」
淑乃 「続いて次に控えしは、同じく北側国境警備隊ムスタファ・ギュレル」
サヤ 「またその次に列なるは、同じく南側国境警備隊イオアニス・パパンドレウ」
夏水 同じくどん尻に控えしは、北側国境警備隊長アフマド・イェシュルユルト。
利緒 だから何者だ。
夏水 鳩さ。
利緒 鳩。
夏水 ここは鳩どもの城なのさ、ハハハハハ。
利緒 タン、タン。何を笑うんだ。この炎天、オセロの鮮血も見る間に乾き埃と飛んだ円形劇場の熱波にあって、お前ら、どんな笑いを笑うのだ。
夏水 簡単なことだ、一本の線さ。
利緒 線、何のことだ。
夏水 ここに一本のチョークがある。ニワトリの前にズッパリ一本線を引くとだ、もうニワトリは動けない、一歩とてそれを踏みこえられないのさ。
利緒 越えるとも、俺のインパラの脚をみろ。
もえサヤ 「やめてくれ、来るな、この土地はサイプラス民主共和国のものだ、来ないでくれ」
淑乃山城 「違う、北サイプラス・ターキー共和国のものだ、来るんじゃない」
夏水 そういうわけだヘルメス、君に来てもらっちゃ困るのだよ。
利緒 ふざけんな、俺がニワトリだってのか。
夏水 では何だね、鮮やかに一羽のニワトリと違うほどのお前は一体何だというのだ、名は、生地は、そして十数年にわたろう記憶は。
利緒 ――おかしい、さっきまで覚えてたんだ…嘘じゃないよく覚えてる…不思議だな…いつから僕はいるのだろ…。
夏水 記憶なぞその程度のものさ、だがそうやって一個の身体にとどまる限り記憶からすら逃れられはしない。いいかねフェティシズムは個体幻想なのだよ、貴様がプラトニックアニマルである限りオセロの二の轍を踏むだけさ。デズデモーナは不義に走ったか。是なり是なり、ただしオセロの大脳においてはだがね。行李がどこにあるというのだ、ハハハハハ。
利緒 どこって…これは…イオじゃない…? ――だがしかし、個体は捨てられん、故郷を捨てるんだ、そのためにだけ俺は俺の個体を使う、道具に過ぎないが必要条件だ、俺は、俺を吹っ切るために俺の肉体を肯定する。
夏水 修正主義者め。
利緒 何をッ。
夏水 いいわけ弁十郎といったのさ、地を這うカタバミに個体があるか、ブドウの天幕(テント)に個体がよ? 記憶などニューロン細胞の微電流だ、だがウィルスは、風邪のようにお前に入りお前の体を体として殖え、やがてまた風に乗って立ち去るのだ、単なるRNAのパトローネがだ。
【M9】いいか個体はなく記憶は幻だ、あるのは流れと風とのみなのさ。
利緒 違う。
夏水 違わないね。
利緒 違う、そんなら俺が証明してや…、
夏水 時は止まり――個体は、ない。貴様には別の記憶をやろう、次なる一幕の始まりだ。
淑乃 『El dia abre la mano Tres nubes Y estas pocas palabras』
サヤ 『谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな』
山城 『夕焼けやパンとは佇ちて喰うものか』
もえ 『日の光が手を開く 三つの雲 そしてわずかのことばたち』
夏水 みずから立とうと欲するならば真夏の雪を降らさねばならん、他のことではない貴様だ、お前にこれができるか。できて初めて個体を語れ。われらはくぐつうつつよにあり、なげきのそらのそらごとまえり、されどもそらのそこひのおもい、もゆれどいずれくぐつならずや。――時は流れだす。
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